夕方から雪降りとなり、気温は今年一番の最低気温になるとの予報です。昼間は陽射しもあり久しぶりに松本のブックオフまで出かけてきました。特にセール情報があったわけではなく何となく出かけたのですが、老舗の古本屋を見るような酸性紙の古い本が沢山ありました。
処分に困った人が持ち込んだのでしょう、店側も内容はともかく古本的な価値は別にして「105円」の値段を付けて売っていました。郷土史、民俗学的な本があり写真、図つきで個人的には真にありがたい、宝の発見でした。
民俗学関係の本だけは、また郷土関係の本だけは古さが勝負と思っています。既に絶えた習俗が、その時の観察眼で書かれていて実際に今現在に想像体験をリアルに体験できるからです。それがまた旧漢字で書かれていて、漢字の使い方がまた参考になるのです。
何冊かかった中に柳田國男先生の『山の人生』という本があります。初版本ではなく戦後実業之日本社から出版(昭和22年)された柳田國男先生著作集第一冊『山の人生』で、墨書きのような「山の人生」の文字がなぜか私を惹きつけるのです。この本の別本は全集も含め既に持っており読んでいるのですが買ってしまいました。
どうして惹きつけられるのか、この本の第一話は「山に埋もれたる人生である事」という内容です。以前ブログにも書いたことですが文芸評論家の小林秀雄先生が「柳田國男という人物」を熱く語る中でこの話をされていて、最近悲哀という言葉を連発していますが、悲哀の域を超えた現実があることを知ったのです。
小林先生のこの話は昭和49年8月5日鹿児島県霧島で行った「信ずることと考えること」という講演会での話で、CDで聞いたときにはこの話の深さと柳田國男先生が民俗学というものに情熱を傾けた理由が頷けたました。
<山に埋もれたる人生である事・小林秀雄談>
柳田さんの話になったので、もう一つお話ししましょう。柳田さんに「山の人生」という本があります。山の中に生活する人の、いろいろな不思議な経験を書いている。
その冒頭に、或る囚人の話が書かれている。それを読んでみます。
「今では記憶して居る者が、私の外には一人もあるまい。三十年あまり前、世間のひどく不景気であった年に、西美濃の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を二人まで、鉞(まさかり)で斫(き)り殺したことがあった。
女房はとくに死んで、あとには十三になる男の子が一人あった。そこへどうした事情であったか、同じ歳くらいの小娘を貰って来て、山の炭焼小屋で一緒に育てて居た。
其子たちの名前はもう私も忘れてしまった。何としても炭は売れず、何度里へ降りても、いつも一合の米も手に入らなかった。最後の日にも空手で戻って来て、飢えきって居る小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥へ入って昼寝をしてしまった。
眠がさめて見ると、小屋の口一ばいに夕日がさして居た。秋の未の事であったと謂う。二人の子供がその日当りの処にしゃがんで、頻(しき)りに何かして居るので、傍へ行って見たら一生懸命に仕事に使う大きな斧(おの)を磨いて居た。阿爺(おとう)、此(おれ)でわしたちを殺して呉れと謂ったそうである。そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寝たそうである。それを見るとくらくらとして、前後の考も無く二人の首を打落してしまった。それで自分は死ぬことが出来なくて、やがて捕えられて牢に入れられた」
「山の人生」は大正十四年に書かれているが、その当時の思い出が「故郷七十年」の中でも語られている。明治三十五年から十余年間、柳田さんは法制局参事官の職にあって、囚人の特赦に関する事務を扱っていたが、この炭焼きの話は、扱った犯罪資料から得たもので、これほど心を動かされたものはなかったと言っている。「山に埋もれたる人生」を語ろうとして、計らずも、この話、彼に言わせれば、「偉大なる人間苦の記録」が思い出されたというわけだったのです。
<小林秀雄全作品集26・新潮社p188~p189から>
そごい話です。間違いなく実際にあった話なわけです。「人はなぜ人を殺してはならないのか」という問いがあるならば、その問い以前の話です。人間とはこのような悲しい存在なのです。
「小屋の口一ばいに夕日がさして居た。」この記述は多分自白調書にある言葉なのでしょう。男はその光景を見、それを取調官に話したかった、なぜ。すごい情景です。
人間の魂は互いにそうなる関係に導いたのでしょうか。
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