思考の部屋

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NHK教育「100分de名著 ニーチェ“ツァラトゥストラ”」2-(2)・”神は死んだ”から”超人”

2011年04月09日 | 哲学

 「NHK教育、100分de名著ニーチェの『ツァラトゥストラ』の2回目「”神は死んだ”から”超人”」の続きです。

 西研先生は、『ツァラトゥストラ』の解説の中で貴族的価値評価法を
 
 聖職的な高僧価値評価法(キリスト教徒的)に従うことは、心清く生きることであり、固定的な生き方となってしまう。一方ツァラトゥストラの新しい提示である生の高揚にはさまざまのものがありそれを実験していくのが「よい」とする、評価法と説明されます。さらに、

 生きることは実験である、それぞれが高揚を目指して生きて行こうではないか。

 ニーチェの主張したいところは、どうやれば自分がパワーアップし、元気が出て喜びを感じてゆくかということで、人様に尽くし天国に連れて行ってもらうことではない。

 これが楽しいし、人に何かしてあげてニッコリ笑う顔を見たらうれしいというのが「生の高揚」の生き方。


と語り、現在を正にニヒリズムの世の中と見ています。ニヒリズムの世の中ということについては西尾幹二先生の言葉も付け加えましたがそう見えるのも確かだと思います。


NHK教育・100分de名著ニーチェの『ツァラトゥストラ』から

 平等観や善悪の道徳観を共有することで世の中の”正義 ”を貫こうとすると個人の人権、個性豊かな人生は常に他者がまとわりついたものになってしまいます。

 ハーバード白熱教室でも議論された、コミュニタリアンとリバタリアンの論議になってしまいます。

 ニーチェはニヒリズムの世の中にまどろんでいると「末人(まつじん)・最後の人間」になってしまうといいます。

 安楽がよい。冒険しない。憬れというものを持たない。


NHK教育・100分de名著ニーチェの『ツァラトゥストラ』から

 平等観や善悪の道徳観を共有することで世の中の”正

 蚤(ノミ)みたいな人間『ツァラトゥストラ』

 ニーチェから言わせると人間は「憧れの矢を持っていなければいけない」「憧れの矢を彼方に放つのが人間だ!」でそういう感覚がニーチェにはあると西先生は語っています。

 それでは「末人」ではいけないのなら何が必要か、それが「超人」で----「生の高揚」をトコトン実現した人間

 ルサンチマンも持たず、嫌なことがあってもすぐに忘れてしまう、絶えず創造的にクリエーティブにパワーにあふれて生きてゆける人間(ポジティブな人間)

----と西先生は説明されました。

『ツァラトゥストラ』の超人の比喩

【ナレータ】
 山を下りたツァラトゥストラは、ある街にたどり着きます。


NHK教育・100分de名著ニーチェの『ツァラトゥストラ』から

 平等観や善悪の道徳観を共有することで世の中の”正

 広場には綱渡りを見るために民衆が集まっていました。
 
【ツァラトゥストラ】
 私はあなた方に、「超人」を教えよう。

【ナレータ】
 しかし誰も理解をしないばかりか、皮肉交じりにあざ笑うばかり。

 そうしているうちに、綱渡り師が綱を渡り始めました。

【ツァラトゥストラ】
 人間は動物と超人の間に張り渡された一本の綱なのだ。

【ナレータ】
 その時綱渡り師の後ろから、道化師のような男が飛び出してきました。


NHK教育・100分de名著ニーチェの『ツァラトゥストラ』から

 平等観や善悪の道徳観を共有することで世の中の”正

【道化師】
 とっとと行け怠け者!
 
【ナレータ】
 道化師は綱渡り師の背後に近づきます。

【道化師】
 ヤァー・・・・・!。


NHK教育・100分de名著ニーチェの『ツァラトゥストラ』から

 平等観や善悪の道徳観を共有することで世の中の”正

【ナレータ】
 そして(道化師は)悪魔のような叫び声をあげると、綱渡り師を飛び越えたのです。
 
 綱渡り師は狼狽し足を踏み外し、転落しました。


NHK教育・100分de名著ニーチェの『ツァラトゥストラ』から

 平等観や善悪の道徳観を共有することで世の中の”正
 
 ツァラトゥストラは、死んでしまった綱渡り師を背負って歩きました。

 彼を手厚く葬るために。

西先生の解説
 
 人間=綱渡り師

 綱は、
 動物から調心に至る道のり

 綱の中間に人間がいることになります。

 民衆の中には「あんたそんなことして何になるの」「創造的な生き方をしようなんて馬鹿なことは止めたら」と皮肉に思っている人々すなわち末人が多くいて見ています。

 しかし綱渡り師は創造的な生き方、超人を目指して前に進みます。そんな時に背後から道化師が近づきます。


NHK教育・100分de名著ニーチェの『ツァラトゥストラ』から

 平等観や善悪の道徳観を共有することで世の中の”正

 道化師とは何の譬えか・・・西先生は、「たぶん道化師とは『そんな無駄なことは止めてしまえ』という人間の心の中の声、何だと思う」・・・

 そして落下した道化師をツァラトゥストラは手厚く埋葬するこのことは、ニーチェは

「失敗していいのだ、どんどん実験しようよう」・・・超人を目指して没落せよ!・・・


NHK教育・100分de名著ニーチェの『ツァラトゥストラ』から

 平等観や善悪の道徳観を共有することで世の中の”正

と言いていると説明されます。

 自分がダメでも後輩や子供たちに伝わってくれればよい。

 「超人なるために死のうとするものを自分は愛する」(ニーチェ)

西研先生はその容貌もさることながら、おもしろく実に説明が理解し易いものです。

 ここで私は強く生きることを決意します。


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2 コメント

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はじめまして (タラコ)
2011-04-21 16:46:13
偶然ニーチェの番組を見て、インターネットで調べているうちに、こちらのブログに出会いました。
私の場合、間違って番組が予約され「なんだこりゃぁ」と思ったけど、見てみたら引き込まれました。第3回をみて第2回を見たとこですが、復習するのに、こちらのブログは本当に役に立ちます。活字が苦手なので、哲学など縁遠い世界と思ってたのが、これほど身近なものとは、そても驚きました。
苦しみ・悲しみを重ねた分だけ、ニーチェの思想が自分にしみ込んでくるのしれません。
最近、自分は幸せに穏やかに暮らしているのですが、昨日、着物の仕立てをする会社の同僚が、非常に苦しんでいる胸のうちを打ち明けてきました。仕立ての仕事は、時代の流れもあり、週6日、9時から19時まで働いても、彼女は10万円(歩合制)にも満たない給料で、漠然たる将来の不安を抱えていて、最近は精神的にも参っている様子でした。最近話題の派遣社員よりも過酷かもしれません。ニーチェの言う、
「口に入っている毒蛇を噛み切る」とは、例えば彼女にとったらどういうことなんだろう・・・と思います。私も苦しいときにもがきましたが、結局自分で見つけた生き方が今の幸せにつながっているので、誰かに答えを求めるよりも、自分で答えを見つけることが重要なのでしょうか。しかし、究極のポジティブ思想をもてれば、どんなことがあっても幸せに生きられることは間違いないと思いました。
ニーチェにもこちらのブログにも出会えて得した気分です。ありがとうございます。
返信する
おそれいります。 (管理人)
2011-04-22 22:19:53
>タコ様
 私は知った顔でニーチェを語っています。
 専門家ではありませんが、知りたい意欲だけは人一倍あると思っています。
 思考する。考えるということが本当に私にとっては悦びです。
 求めていると不思議に出会うもので、ニーチェの番組もそんなところにありました。
 当然誤り解釈もあるかもしれませんので、自分で検証してください。
 そして自分のニーチェをつかんでください。
返信する

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