思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

NHK教育 こころの時代~宗教・人生~ ・山浦玄嗣「ようがす 引ぎ受げだ」 (1)

2011年05月22日 | こころの時代

 今朝のNHK教育「こころの時代~宗教・人生~」は、東北大震災の被災地岩手県大船渡市で医院を営む山浦玄嗣先生の「ようがす 引ぎ受げだ」 というケセン(気仙)語の題名で書かれた番組でした。山浦先生はカトリック信者でケセン語で聖書を作られた話を以前ブログに書いたことがあります。

ケセン語の聖書[2010年02月07日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/6d320d22b244010fd973d45b1ccc1577

という内容で書いています。

 とても印象深く、勉強させてもらっていただけに、その語られた言動の中にキリスト者の信仰と生き方を改めて勉強させていただきました。

 私はキリスト教徒ではありませんが、聖書を読み時には牧師さんの話も聞きキリスト教というものを勉強しています。

 意味を問うことを嫌い、考えるという人間に与えられた力を自ら断つ人もいますが、改めて山浦先生の話は、私に思考の素晴らしさ、生きることの悦びを与えるものでした。

 番組は一時間、再放送で聞くこともできますが、ここに途中省略もありますが、大方先生の言葉は起してみました。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 震災時には大船渡市は市の中心部はほとんど流され、死者行方不明者は400人を超え、8000人以上の人が避難生活を余儀なくされました。

 町を見下ろす丘の上にあるカトリック協会、震災から40日余りキリストの受難と復活を思うミサが行われていました。山浦先生はこの教会に通うカトリック信者です。

 その先生の住まれている気仙沼市の医院は震災時に津波が床上まで来るという被害に見舞われました。

 日曜日ミサのために教会に行った先生は、丘の下を見て驚きます。大船渡市の市街地が跡形もない状況、先生は次の言葉を語られていました。

【山浦玄嗣】
 ・・・・・瓦礫の中を歩いて教会までたどり着き、フット丘の下を見たら、丘の下がまるっきり無くなっていました。

 腰が抜けるほどびっくりしました。大船渡の街がズーット何も無くなっていたのです。ただ瓦礫だけ。

 そして向こうから自衛隊の肩が10人ぐらい何か戸板を持って歩調を整えてズッズッズッと歩いてくるのを見たら、あの・・・死体を運んでいたのですね。・・・・その時の衝撃が強いので、自分で何をどういうふうに考えているのか実はよくわからないところがあります。考えてもしょうがないことです。

 それよりもその時点で私が感じたのは、猛烈な闘争心です。

 ・・・はい! くそ頑張るぞ! 

という闘争心です。

とその時の自分の感慨を語られていました。

 震災直後の山浦医院の様子を忘れないうちにと描きとめた絵を紹介していました

【山浦玄嗣】
 津波の場合には生きるか死ぬかのどちらかなのです。神戸の震災のようなケガ人で溢れかえるということはないんです。ですから生き残った方はだいたいは高血圧とか糖尿病であるとか脳梗塞であるとかそういった慢性の持病を沢山抱えた方々が必要な薬が無くなって、それでいらっしゃる。・・・・・山浦先生は助かったそうだとか薬がもらえそうだという口コミは早いですから津々浦々までしみ込んでいきます。そうすると最初の日は40人ぐらいでしたか、それから60人、100人と次々と患者さんが増えてきて、そして一番多い時には1日250人ぐらいの患者さんが来ました。

 それで寒かったですよ、雪が降って・・でみんな凍えながらくるわけですよ。・・でその人たちに・・薬がないですからね。だから3日分とか5日分ぐらいしか出せない。

 ・・で薬の問屋さんに「何とか頼む」というと「先生、薬がないんだ」「そんなことを言わないで・・何とか頼む」とにかく薬を運んでもらって、みんなにさし上げて、コンピューターも壊れていますから全部手書きの処方箋でだして、・・勿論お金はいただけないわけですから・・とにかく頑張りました。

 寒くてしょうがないからこの爺さんと婆さんをこの毛布で、私くるんで・・震えているから、私も寒かったけど・・全然知らない同士なんですね「いいんべか、いいんべか」・・「遠慮しないで」・・そう言ってこんなふうにして、みんなで順番を待ちながら・・寄っていた。周りは瓦礫の山ですし、そこからこう・・・薬は必要何です。これが無いとみんな死んでしまうんですから。

次に、先生は「本当に申し訳なかったのは、」と二時間の道のりを暗い三陸鉄道のトンネルを通り家族の薬をもらいに来た人の話をされました。

【山浦玄嗣】
 ・・・・・零下2度の世界を真っ暗な中を手探りで、そして頭からすっかり雪だらけになってわたしの所に来て、「薬をくれ」というわけです。

 その時も5日分しか上げられないのです。・・2時間もかけて来たのに申し訳ない。

 でもね。そういう時に患者さんたちは決して文句を言わないですね。

 「ようがす。他の人の目もあるんだ。こうして貰えるだけでもありがてぇ」

そして津波でめちゃくちゃになった村に帰って行くわけです。

「先生、おれ近えから3日分でいいから遠くから来た人に。なんとかすて10日分やってくらせん」
そういうふうに言う人がたくさんいましたからね。

その後地元の電気屋さんや水道屋さんに助けられたことを話されていました。

まあ・・ここは津波とともに歴史を繰り返しているところですからね。・・3回津波を経験した人は老人に多いです。昭和8年の大津波、それから昭和35年のチリ津波があったでしょう。それで今度の平成の大津波でしょ。だから80歳ぐらいの方々は、みんな3回経験しているんですよ。

 まあ・・大船渡の町もやられましたが、高田はひどいですね。高田松原・・すっかり海の中に沈んでしまったし・・まるで原子爆弾が落ちたように・・何にも無くなってしまいましたからねなてね。

ただ、私はね。この津波の後、「あっぱれだなあ~」と思ったことがあるんですよ。

それはね、一つは、
 
 誰一人として、「なんでこんな目に遇わねばならんのけぇ」

ということを言う人が一人もいないということです。私はこれだけはズーと心に残っている。そういった怨みごとを言った人が一人もいない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 震災が起こったとき、山浦先生は新しい聖書に取り組んでいたそうです。ケセン語訳の聖書の噛み砕いた表現が全国で評判になり、もっと多くの人に親しめる言葉の聖書をと、求められたからで、その日本語訳聖書『ガリラヤのイェシュー』はケセン語に訳した4つの福音書を訳し直したものだそうです。

、今回の訳は日本の幕末に設定しているそうです。

 イエスの時代と共通点が多いと考えているからで、戦乱や悪政、飢饉などと暴力と絶望にさいなまれた時代に、イエスは何を伝えようとしたのか。そのメッセージを日本人にもわかり易く活き活きと伝えたいという試みであったそうです。

 山浦さんは震災前にその原稿を書き終えていました。

【山浦玄嗣】
 それはちょうど津波の二三日前のことだったでしょうか。マタイの福音書のゲラが届きまして、・・それで私がゲラに赤ペンを入れ始めた時にグラグラきたわけです。

【ナレータ】
 山浦さんは今回の津波を経験したことで、聖書のメッセージがより深く響いてくるようになったといいます。

言いますた 震災後書き上がっていた原稿を書き直しています。

【山浦玄嗣】
 あの津波の惨害、瓦礫の野原。あの場に呆然と立ち尽くした時に、私の心の中に、浮かんできた言葉・・・「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(※山浦さんは「エリを叫びですからエリーと話されていました)という言葉なんです。

 これはイエスが十字架の上で、むごたらしく殺された時の・・最後のことばなんです。

 その意味は、「我が神よ、我が神よ、何ゆえ我を見棄て賜(たま)いし」という言葉なんです。

 だれからも見捨てられ、弟子は逃げ去って、しかも十字架刑という、それはそれは惨(むご)たらしい殺され方をして、・・最後に息を振り絞って叫んだ言葉が「神様、なしておれんとこ見棄てやった」・・何ともその絶望と苦渋に満ちた・・何か怨みごとみたいな・・言葉なんです。

 私は惨害の野に立った時に、本当に「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」「神様なしておらんところを見棄てただ」「なんでこんな目に遇わせただ」という言葉が私はものすごく重く感じられたのです。

 あの言葉は本当に、絶望のことば、怨みのことばなんです。

 でも実は、あれはそうではないのです。旧約聖書の詩編というのがありまして、その詩編の22章の1~6というところですが、イスラエルにダビデ王という英雄がいましてこの王が、失意のどん底にあったとき、絶望と苦難の中でなお神様の救いを確信してやまない讃歌の発句なのです。

 最初は神様に向かって駄々をこねる。「なんで俺をこんな目に遇わせたんだ・・」・・・「だけれども神様俺は知っている。あなたは本当にいい方だ。神様!」とすがって「お願いします!」という者を捨てたためしがない。

 というどんな絶望の中にあっても、どんな苦難の中にあっても、神様に悪口を言いながらも・・「神様、私はあなたをしっかりと信じています。信頼しています。あなたは俺を絶対に捨てたりはなさらない。

 それを私の注釈として付け加えないと、一般の方にはわからないと思いましたので、そこを付け加えることにしたんです。

ここは文語ですから次のようになります。

我が神、我が神、何ゆえ我を見棄て賜いき。

何ゆえ我を離れ救い賜(たまわ)ざりき。

我が呻(うめ)き、我が嘆(なげ)き、何ゆえ御耳(おんみみ)に届くこと無かりき。

我が神、昼は昼とて呼び求め、夜は夜とて叫べども。

優しき御依頼にて我が口をつぐませ賜うこといまだなし。

されど御身(おんみ)賢所(かしこどころ)にましまし、イスラエルの言祝(ことほぎ)を読みしたもうなり。

我が親は御身を頼み、御身にすがりて救われたるなり。

救けを乞いて御身に叫べば、救われざること絶えてなく。(※私注:救われないということは無かったという意)

御身を頼もうて、捨て足られたるためしなし。

だけど断末魔の苦しみの中で、発句を唱えるだけで力尽きて、後の句は遂に言葉にはならなかった。

 「神様なんでこんな目に遇わせるだ」と言ってもいいわけです。それは人間として当たり前のことなんです。

 だけれども・・「おれは信じている」

 絶対にこの苦しみは、このままでは終わらない。必ず新たな命への、あなたの新たな喜びへの出発点になるはずだ。

と、いう叫びなんですね。

<新しく書き加えようとする気持ちについて>

【山浦玄嗣】
 それはこの言葉のとおりで、たくさんの友達が死んで、自分ももう少しでという危ない目に遇った人は沢山いるわけです。 それでも自分は家も残ったし、被害というほどではない。だけれどもこの燦燦たる有様はこの街はほとんど住めない、だから街を全部取り壊して山を崩して高台に街を移転しようという計画があるぐらいです。実現するかはどうかはわかりませんが、今はみんな一生懸命頭をしぼっているのです。

 このような滅茶苦茶な惨害に遇ったけれども、我々はまた立ち上がるんだ。神様は絶対に我々を見棄てたりはなさらない。

と、私は思うのです。

<これまでわかり易い聖書に翻訳する仕事をしてきて、津波の後、一層深く自分自身の心に刻まれた、あるいは言葉が立ち上がってくるという箇所について>

【山浦玄嗣】
 ありとあらゆる場所でそうです。たとえば「一日も早い復興をお祈りします」と言います。

 日本語の聖書のなかに「祈り」という言葉はたくさん出てくるわけですが、

 その祈りが日本語の祈りと本当に「=」なのか?

ということは、かなり問題がある、と私は思っています。

国語辞典を調べてみると「祈り」という言葉の意味は、

自分の力ではどうにもならないような、困難なことです。

そのことについて神様、仏様にお願いすることなのです。

「祈り」とはあくまでもお願いなのです。ところが新約聖書にはたくさんの「祈り・祈る」と訳されている言葉が出てくるのですが、それを原文では「神様を褒め称えること」これも祈りなのです。

 それから先ほどの「お願いします」も祈りなのです。みんな違う言葉が使われているのに全部、一緒くたんの言葉にしているのはおかしいのではないか、と思うようになったのです。

 一番多くつかわれているのは「プロセホマイ」という動詞なんです。イエスと言う人はユダヤ人で、ユダヤ教徒です。ユダヤ人たちが「プロセホマイ」という言葉の中に何を思っているのか、ということをもう一回調べてみる必要があるだろうと思いましていろいろと調べてみますといろいろ面白いことがわかってきました。

 それはユダヤ人たちが神様に対して何か言葉を発する時の基本的な姿勢は「聞く」ということなのです。

 ユダヤ人が一日何回も何回も唱える大切なお祈りの中に「シェマー イスラエル」という言葉があり、「イスラエルよく聞け」、「シェマー」といい「シェマーの祈り」というのですけれど、その「シェマー」というのは、神様の声を聞けということなのです。

 「神様の声を聞けイスラエルよ」

 神様が何をおまえたちに要求しているのか、それを聞け、神様の言いつけを聞け、という意味なのです。

 実はこれが祈りの原点なのです。

 人間は神様に作られた道具なのです。神様がこういう世界を作りたいと思って人間をその中の一つの道具としてお作りになったのです。

 神様が我々を道具に使ってどんなことをなさりたいのか、そのことを聞くんだ。ではどのようにして神様の言葉を聞くのか?

 実はヘブライ語にそのカギがありましてユダヤ人たちが使うヘブライ語では、言葉は「ダーヴァール」というのですが「ダーヴァール」にはもう一つの意味がありまして、「出来事」という意味があるのです。

 つまり我々の周りで起きている出来事、状況は即ち神様のことばである。だからそれをよーく見て、その中で自分が何をすべきか、必死になって耳を澄ませ、目を凝らせ、これが「プロセホマイ」の基本的な意味であると私は理解しております。

<災害の中でどのような神の言葉を聞いたかについて>

【山浦玄嗣】
 私はともかく寒さに震えながら処方箋を書くことでした。私は医者なので医者としての本分を尽くして・・・一人でも多くの人が健康になれるように、病気の人は良くなるように一生懸命になって力を尽くして働くこと。私はそれしか能がないから・・それが私の一番大切な道だと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

番組では、山浦先生の聖書の印刷・出版を行っている会社の災害遭遇と再建も紹介されていました。

【山浦玄嗣】
 海は大好きでよく出かけますが、海ほど怖いものはありません。愛憎半ばとすると言いますか、よく悪夢を見ることがありますが、その時私は海の夢を見るのが一番怖いのです。

 津波の夢を見るのです。私は今まで一度も津波を見たことが無いのですが、今度初めて見たのですが、それなのに私の頭の中には津波の情景が焼き付いているのです。

 それは親たちからくり返しくり返し聞かされている話が頭の中にイメージとなってしっかり焼き付いているのです。

 明治29年の大津波の時や「こうだった。あーだった。こうだった」、昭和8年の大津波の時は「こーだった」というそういった話がいっぱい積みこまれている。ですから夢を見ると青い海が、きれいな海が見えるのですが、きれいであればあるほど不気味に見えるんです。

 そして沖の方にワーッと波頭が立って、もう山よりも高い波が、ザーッと押し寄せてくる恐ろしい夢を何度見たかわかりません。

 人間の時間は短いですから何か70年も経つと何か短く遠い昔のようであるけれども、この世界の時間はもっともっと雄大ですから、その長いモノサシで時間を見るとしょっちゅう起こっているわけです。

 なぜこういうことが起きるのか?

とういうことについてユダヤ人たちも一生懸命考えたのです。それで一つのうまい考え方は、「これは罰が当たったんだ」と、「我々がろくなことをしていないてめにそれで、こんな目に遇ったんだ」と言う考え方、預言者という人たちそういうことを言うのです。

 「災難は天罰だ」という考え方は、これは世界中の人間がそのように考える傾向があります。日本人でも「あいつは酒ばっかり飲んでいるから、肝臓が悪くなってとうとうガンになってしまった」「荒れは自業自得だ」そのように何か災難は罪の結果であると短絡的に結びつける傾向があります。

 当時のイエスの時代のユダヤ人もそうでした。病気は全て罪の結果である。それから体が不自由になるのも全部その人が何かろくでもないことをした天罰だ。

 病気の苦しみだけでもたくさんなのに、罪びととしての軽蔑と差別を受けたのです。そのような時にイエスが「そんなことは無い。災難と罪とは関係がない。災難を天罰と思うな!」と彼ははっきりと言うのです。

 これはるかの3章(1~5)です。

 その頃何人かの人が、イェシュー様のところに来てローマ帝国属州ユダヤ、ソマリヤ、イドマヤの総督ピラトがガリラヤ人を殺して血祭りに上げたということを話してお聞かせ申した。

 イェシュー様は応えて言いなさった。「そんな目に遇ったからといって、それらのガリラヤ衆が他のガリラヤ衆のみんなより罰当たりな者たちだったのかね。そんなことは無いさ。あるいはシロアムの塔が倒れたという事件があってたくさんの人たちが下敷きになって死んだ」、地震か何かで倒れたのでしょう。「あの死んだ18人がエルサレムに住む他の人たちよりも、償なわなければならない咎(とが)をどっさり持っていたやましい連中だったとお前たちおもうかね。そんなことはないぞ。」つまり災いと咎とはそもそも関係がないのだ、とはっきり言った。イエスの特徴的な物の考え方だと思います。

 災害というものは急に来るから、大規模に来るから、だからみなビックリして腰を抜かして狼狽(うろた)えます。大変ですが、よく考えてみると人生とは災害の連続なんです。人生そのものなんです。

 我々はそのような世界に生きている存在なのだ。ということをまず受け入れる必要があると思います。

 気仙沼の人たちが災害の後に「なんでこんな津波に遇うんだべ」ということを言う人が一人もいないのは、そういうもんだと思っているからですよ。

 人は死ぬべきものであり、津波は必ず来る。地震も必ず来る。

ブログの文字数が超過しましたので、以下は次回ブログとします。

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8 コメント

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Unknown (名無しさん)
2012-02-10 02:08:02
山浦先生のお住まいの気仙地方と
気仙沼市は別です(近いですが)
返信する
ありがとう (管理人)
2012-02-10 05:47:23
>名無し様
ご指摘ありがとうございます。
返信する
感謝 (しましま)
2012-02-11 14:31:13
先ほど偶然見た「心の時代」再放送を見た後、山浦先生について知りたいと思っていたところ、こちらのお部屋に出会い見逃した前半の内容をゆっくり読むことが出来ました。ありがとうございます。
返信する
心の時代 (tonko)
2012-02-11 22:21:11
はじめてコメントさせていただきます。
今日偶然、山浦先生のテレビを見て、
感動しました。
そして とても元気をいただき、
祈りの原点を知ることが出来ました。

最近くよくよすることが多くあったので
なおのこと、先生の言葉が強く胸を打ちました。
文起こしていただきありがとうございました。
返信する
ありがとうございます。 (管理人)
2012-02-11 23:36:17
>しましま様
>tonko 様

コメントありがとうございます。

 忘れたくない大切な話に出会い、メモを取りますがメモではどうしても充分な内容を残すことができません。最近はデジタル録音機もあり講演会の内容もノートに残すことができますし、テレビ番組はデジタル再生ができテープの時よりも簡単に文起こしができるようになりました。

 メモを見ながら、録画を見て起こしていますが簡単とはいえ時間がかかるのは確かです。しかしどうしても起したいその情熱が、番組を観た感動から生まれます。内容は自分のパソコン内に留めておけばよいのでしょうが、ブログをほぼ毎日書いていますので公開ブログに掲出しています。

 学校教育を卒業してしまうと、学問的な学びの機会が失われてしまいます。人は常に発展途上人。従って常に私の場合は温かい話に、善い話に出逢い昨日より一歩でもより善き人になりたいと願っています。

 NHKはその点私の願いを聞いてくれる(単純にそういう片思いですが)番組を放送してくれます。今日も色彩に関する番組があり昨年から興味を持っている題材でもあり感動してしまいました。現在DVDを作り中で、その合間にこのコメントを書いています。

 今日は祝日でこれまで録画したまま、まだ観ていない番組を観ました。記録に残さねばならない番組あり過ぎて時間が足りません。これからも私の尺度ですが、ブログに感動した善い話を書き続けたいと思っています。

コメント本当にありがとうございます。
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山浦先生のこと (睦子)
2013-08-28 10:11:11
私は16歳でプロテスタントの洗礼を受けましたがカトリックに改宗したくて時を待ちました。今70歳になりました。でも時は来ませんでした。最近読売新聞で山浦先生の記事を読み、あ、この方だ、と思い至りました。どうかしてカトリックの公共要理を勉強できないかと思ったのですが、さらに山浦先生のこのブログを読みよくよく考えているうちに私はもう洗礼を受けたクリスチャンではないかということに気が付きました。神さまとのお約束で救いを信じる者になっていたのでした。神様は神様です。 
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もとに在る者 (管理人)
2013-08-28 16:02:09
>睦子さま
 もとに在ることにお気づきになられたようですね。
 信仰とはそういうものなのだと私自身が気づかされました。コメントに感謝です。
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はじめまして、寄らせて頂きました (シズコ)
2014-03-23 22:09:47
管理人様はじめまして。山形在住のシズコと申します。
私はプロテスタントのクリスチャンで、山浦先生の大ファンです。このページはずっとブックマークさせて頂いておりましたが、今度から読者登録させていただけるようになったので、今日登録させて頂きました。どうぞよろしくお願いいたします。

私はこの時の山浦医院に駆けつけた患者さんのあたたかい言葉に慰められます。

「先生、薬ないんだば、俺の薬を代わりにやってくれ」といった患者さんの薬と、その別の患者さんの薬は違うのであげられないけど、気持ちが嬉しかった、と言うのを何かで読んで心がほかほかしました。

私は今ひどいうつなのと、今日新しいパソコンに変えたばかりで、ひどく打つのが困難ですが、どうしても一言書かせていただきたくて書かせていただきました。
これからもどうぞ、よろしくお願いいたします。
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