
ハーバード白熱教室の5回目Lesson10「市場取引にそぐわないもの」で市場における「同意」という問題を精子バンク・卵子提供・代理妻における「契約」という視点で論議されました。
個人的にどういう訳か、このような論議に違和感を感じ、会話を綴る気になりませんでした。そういうもの、全体を否定するのではないのですが、生命の尊厳さから考えると、人間の価値的(金銭的)な問題が含まれているので心にブレーキが掛かってしまいました。
日本では、諏訪御柱の中の下社がある下諏訪の産婦人科の先生が代理妻等の問題では、医師会から批難を受けていることは皆さんもご存知だと思います。
長野県に住み諏訪にも住んだこともあり、この先生がどのような方であるかは、かなり知っています。倫理的にも、人格的のも全く問題が無いなどというレベルの話ではなく、おかげ様のそのままの先生です。
アメリカといえば、宗教右派という強硬な保守主義の国です。
「私は政治に携わって以来、いつも、生命重視派(中絶反対派のことだ)であります。このように断言できる候補は、私をおいて他にはいません。私の政治行動の記録を調べてもらえれば、それはすべてわかることです!」
こう断言しないと、ホワイトハウスへの道は開かれない国なのです。(飯山雅史著『アメリカの宗教右派』から」
アメリカという国の建国が、清教徒の関係からも明らかなように、また聖書への神聖なる宣誓にみるように、厳とした宗教的倫理がその国家基盤にあるのです。
一方またアメリカは「プラグマティズム」の国で、いわゆる「実用主義」という簡単いいえば「知識・価値が正しいか否かは実際の有用性・有効性の観点から判断する」という国なわけです。
この考えの起源はいつかということになりますが、鶴見俊輔先生によると
プラグマティズムの歴史は、1870年代(?)の初めに米国マサチューセツ州のケムブリッジで二週間おきに開かれた若い学徒の集まりに出発する。・・・・・・(鶴見俊輔著『アメリカ哲学』講談社学術文庫P11)
プラグマティズムという言葉は、カントの哲学における言葉で、「プラクティカル」(プラクティッシュ praktisch)、いわゆる「実践理性」の領野、すなわち道徳や神や霊魂のさまよう領野にかぶせられるもので、そこは、実験科学者の住居すべき領域でない、という意味を有しているとのことです。 (上記書P17)
カントの自由論で、私は愚直に自分の理性に従う行動をある種利用すしているのですが、こういう考えはある種、独裁的危険性が伴うのが歴史の示すところでした。
どこをどのように折り合いをつけて、自分のものにして行くかはその人にもよりますが、全体的思想までに取り込まれるとその圧倒的強さに圧倒されます。
ある思想に純粋理性の道が活用されると、物象化論にもなりますし、今回の白熱教室の市場のにおける「同意」に、生命の根源を無視した契約の話も登場することになるのです。
その点日本は、おかげさまに日本教の国です。
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このような視点で、こんかいの白熱教室の講義を見ると
○ 同意が無効となる条件
○ ベビーM訴訟
○ 下級裁判所の判断:契約は有効
○ 州の最高裁判所の判断:契約は無効
※ エリザベス・アンダーソン
「いかなるものであれ親が子に感じる愛情の抑圧を代理母に
求めることは、出産を子どもとの情緒的な絆から切り離し、
出産を譲渡できる労働に変えてしまう」
→ある種の行為は尊敬・感謝・愛・畏敬などによって
評価されるべきであり、その利用によって得られる
(金銭的)価値によって評価されるべきではない。
( 「ハーバード白熱教室ノート」 から拝借)
が、別な意味でアメリカ人の思考の根底が見えてきます。
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こういうことで今回のLesson10「市場取引にそぐわないもの」をクリアーしたいと思います。
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