李恢成『またふたたびの道/砧をうつ女』(講談社文芸文庫、原著1969年、1972年)を読む。
本書には、著者34歳のときの処女作「またふたたびの道」、芥川賞受賞作「砧をうつ女」、同時期の「人間の大岩」の初期3篇が収められている。
著者は、日本占領下のサハリンに生まれた朝鮮民族である。日本の敗戦後、母親を亡くし、父親は翌年再婚。その両親や義母たちとともに日本に渡り、朝鮮への帰還をめざすも果たせず、札幌に住むことになる。この3篇は、その両親の生涯や、自分との関わりを描いたものである。
祖国を去り、祖国にたどり着けず、抑圧され続ける、あまりにも過酷な環境。自分の父や母や兄弟姉妹は、決して美化などされることはなく、むしろ汚く醜く描かれる。被害者意識やプロパガンダによって語られることもない。著者は、閉ざされた無間地獄のなかをぐるぐると歩きまわり、あてどなく何かを求める。「何か」が何かさえ、わかったものではない。
植民地支配の実態とは何だったのか、言語を奪われ強制されるとはどういうことか、故郷とは何か、肉親とは何か、そのようなことに対する思索を抜きにしては読めない作品群だ。そして、血で書かれているだけに、小賢しい知識や予断は許してもらえない。日本人であるわたしも、わたし自身の裡の視たくないものに、視線を向けることを強いられるような作品である。
●参照
○李恢成『伽�塩子のために』(1970年)
○李恢成『沈黙と海―北であれ南であれわが祖国Ⅰ―』(1973年)
○李恢成『円の中の子供―北であれ南であれわが祖国Ⅱ―』(1974年)
○李恢成『流域へ』(1992年)
○植民地文化学会・フォーラム『「在日」とは何か』(2013年)