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自縄自縛日記

アンドリュー・カルプ『ダーク・ドゥルーズ』

2017-01-01 02:20:57 | 思想・文学

アンドリュー・カルプ『ダーク・ドゥルーズ』(河出書房新社、原著2016年)を読む。

「ダーク・ドゥルーズ」とは、闇の力を呼び起こすジル・ドゥルーズの別キャラ名。ドゥルーズの思想は、リゾームであれ逃走線であれ、明るみの下で、繋がりを求める前向きで自己主体的なものであった。しかし、それは、情報化時代において力を失っている。どっちつかずの、論理と理屈を理解することに注力する者ばかりだ。そうではなく、闇の力と憎しみの力をもって、繋がりの理屈を理解する前に、これではいけない箇所を突破すべし。

―――まあ、ざっくりと言えばそんなところだろう。ああ、バカバカしい。ドゥルーズの思想はそんな明るく、既存の論理回路=コードをもって良しとするものではなく、むしろ正反対である。

もっとも、著者はそんなことくらい解ったうえで、爆弾としてこの本を世に問うたのかもしれないが、いかにも軽薄だ。既存のプログラムをまったく認めず、とにかく閉塞化して突破口を見出せないこの社会に対して、破壊的・破滅的な「地殻変動」を煽るだけの言説であり、「戦争が起きてくれればいいのに」という叫びと何が違うというのか。

著者は、「国家、国民、あるいは人種をフィクションであると非難しても、そしてそれらに対する歴史的、科学的正当化がどれほど真実に反していたとしても、それらの権力を駆逐することはほとんどできない」とする(117頁)。それは真っ当な指摘であるとしても、そのひとつの事例として挙げられるものが、「地球温暖化の真実について民衆に長々と熱弁をふるう気候学者の多くは、政策の変化を促すことはしない」だそうである(118頁)。著者はなにか政策のひとつでも知っているのだろうか。抽象論ばかりを叫び、具体的な動きについてまったく視ようとしない不誠実さがここにある。現実論を放棄した処方箋を説いたナオミ・クライン『This Changes Everything』とはまた別の意味で、救いようがない。

●ジル・ドゥルーズ
ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症』
ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『千のプラトー』(上)
ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『千のプラトー』(中)
ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『千のプラトー』(下)
ジル・ドゥルーズ『フーコー』
ジル・ドゥルーズ+クレール・パルネ『ディアローグ』
ジル・ドゥルーズ『スピノザ』


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