渋谷の「ZEN FOTO GALLERY」に、北井一夫の写真展『1973 中国』を観に足を運んだ。1973年、木村伊兵衛の誘いではじめて訪中した歳の写真群、すべて未発表である(なお、木村伊兵衛は翌1974年に亡くなり、北井一夫は第1回木村伊兵衛賞を1975年に受賞している)。北井一夫は満洲生まれ、敗戦以来はじめての中国であったという。今回あわせて出版された写真集には、以下の文章が寄せられている。
「母の話でよく聞いていた北京は、どこか懐かしくそれで侵略者の息子という複雑な気持ちになって落ち着くことができなかった。」
そういった精神的な影響なのか、被写体と微妙に距離を置いた間合が特徴的だ。人々の顔は、モノクロフィルムの粒子感とともに成立している。しかしこれが素晴らしく良いのだ。広角レンズ(初期の北井写真において使われたキヤノン25mm)で北京の胡同にある四合院の塀を捉え、その中で、入口付近の子どもを抱いた女性が佇む写真は、今回の写真群の中でも印象的な1枚である。
ただ、この間合は中国限りではない。三里塚でも、青森でも、沖縄でも、同じような間合の北井写真を思い出すことができる。
今回気が付いたことがある。手癖なのか、意図なのか、微妙に画面が左に傾き、水平が出ていない。 これさえも魅力のように感じられてくるから不思議だ。
北京の工場内を捉えた写真には、窓の向こう側に、明らかにライカM5を持った男が佇んでいる。台湾出身だという、ギャラリーの女性によると、木村伊兵衛その人である。そういえば、晩年の木村はM5使いであった。現在は北井一夫もM5を使っているが(いちどギャラリー冬青で愛機を持たせてくれたときには吃驚して感触を覚えていない)、このときに使われたのはライカM4であったようだ。
北井写真に感じない人にとっては何の変哲もない古いスナップかもしれないが、何とも言えず素晴らしい写真群である。ギャラリーをじっくり5周まわってしまった。
この「ZEN FOTO GALLERY」は、北京の安定門近く、国子監や孔子廟があるあたりにもギャラリーを開いたそうで、9月には北井一夫写真展が開かれるという。ちょうど北京を訪れる機会があればいいのだが・・・。
●参照 北井一夫
○『ドイツ表現派1920年代の旅』
○『境川の人々』
○『フナバシストーリー』
○『Walking with Leica』、『英雄伝説アントニオ猪木』
○『Walking with Leica 2』
最近出した私の写真集の傾向について『東京ベクトル』豊里友行写真集に比べると写真が自由でないと北井先生からご指摘を頂く。
政治性が強く写真の方向性が狭まれて息苦しい。
懇切丁寧な北井一夫先生の率直な感想のおかげで今度『沖縄』の写真集の改定増版を出す際にはなんとかもっといい作品集に出来そうな気がする。
正直に私も『1973 中国』写真展も見たかった。
写真集を穴が開くほど見ているものの私は北井先生の「村へ」の視線の距離感が一環しているのに驚かされる。
私のように肉薄して撮るやり方はいつまでも一貫して出来るかどうか自信がないのでこの作家の姿勢から学ぶ点も多い。
軌道修正しようかな?!
それは写真家・北井一夫の美学であり、「政治性が強く写真の方向性が狭まれて息苦しい」のも一つの在り方だと思ってしまいます。少なくとも、豊里さんの写真群にはその魅力を私は感じていたわけですが。
ありがとうございます。
個性は人それぞれなんでしょうね。
でも北井一夫先生の伝えたいことも汲み取れたらと思います。
欲張りではありがますがね。