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自縄自縛日記

古関彰一『平和憲法の深層』

2015-05-07 22:44:37 | 政治

古関彰一『平和憲法の深層』(ちくま新書、2015年)を読む。

本書を読む者が痛感せざるを得ないことは次の二点である。一、日本国憲法はGHQの押しつけだとする主張は歴史的に弱く、低水準な言説である。二、自民党の改憲案がいかに時代に逆行しており危険な代物であるか。

確かに敗戦直後(終戦と曖昧な言葉を使い続けているが)、明治憲法から大きく変わらないものを当初構想した日本政府に対し、GHQが提示した方針は、戦争の放棄と天皇制の維持であった。後者は、沖縄の基地化を前提としての昭和天皇とマッカーサーとの合作として知られているが(豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』に詳しい)、本書の分析はむしろ前者についてである。

9条」の第1項は平和条項、第2項は戦争放棄条項である。マッカーサー草案にもGHQ案にも、第2項の方針はあっても、平和を積極的に求める第1項の内容はなかった(言うまでもないことだが、現在詭弁のように使われる「積極的平和主義」とはまったく関係がない)。著者の丹念な研究によれば、これこそが、日本側の意思なのだった。それには、政府側の憲法問題調査委員会(宮沢俊義ら)や、民間側でそれよりも優れた案を提示した憲法研究会(鈴木安蔵、森戸辰男ら)が関わっていた。GHQ案は単純に「押しつけ」なのではなく、それを積極的に受け入れてジャンプ台とし、より良い憲法を生み出したのは、まぎれもなく日本の知性だったということになる。

戦後まもなく、日米は再軍備に舵を切った。9条第1項において「国際紛争を解決する手段としては」という部分と、第2項において「前項の目的を達するため」の部分は、芦田均が付加したとされている。これが「自衛戦力合憲論」の根拠とされるが、著者の結論は、それに対して否定的である(つまり、「前項の目的を達するため」は、国際紛争の解決よりも広くかかるという解釈)。もちろん異論はあろうが、この「芦田修正」の解釈が都合よく使われてきたことは否定できないだろう。

「日本国憲法」の平和主義は実に先駆的で、実際の効果を上げてきた。奇怪で単純な「押しつけ」論で片づけられるようなものではなく、日本オリジナルであることがよくわかる本である。

●参照
豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』
吉次公介『日米同盟はいかに作られたか』
ジョン・W・ダワー+ガバン・マコーマック『転換期の日本へ』
孫崎享『日本の国境問題』
波多野澄雄『国家と歴史』
『9条を抱きしめて ~元米海兵隊員が語る戦争と平和~』
沖縄「集団自決」問題(16) 沖縄戦・基地・9条


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