Sightsong

自縄自縛日記

波多野澄雄『国家と歴史』

2012-04-12 06:00:00 | 政治

波多野澄雄『国家と歴史 戦後日本の歴史問題』(中公新書、2011年)を読む。

なぜ、日本は今に至るまで、戦争責任を共通認識として持ちえず、被侵略者への誠実な対応ができないでいるのか。なぜ、愚かな歴史認識を持つ政治家やエセ文化人たちが跋扈するのか(河村・名古屋市長の発言など氷山のごく一角に過ぎない)。本書は、この歪んだ姿に至った歴史的経緯を丹念に示してくれる本である。

指摘されているポイントは次のようなものだ。

○サンフランシスコ講和条約(1951年締結)を経て、日本政府の立場は、「大東亜戦争」を侵略戦争であるとする国際的批判を受容しつつ、その一方で、自ら侵略戦争として認めることはない、という矛盾したものであり続けた。
○それは、国家補償の根拠となり、経済的負担が耐えられないものとなることを是が非でも回避するためであった。
○謝罪や賠償の代わりに、アジア諸国の経済開発への貢献により<贖罪>するのだ、という意識が、政府にも民間にも脈々と広く共有されている。
○犠牲者意識に支えられた平和主義は、リアリティを持ちえなかった。
○平和憲法は、戦争責任を問われた際に示す解として、隠れ蓑のように利用されてきた。すなわち、平和憲法によって過去の戦争は清算されたとみなすものであった。
○責任や賠償を論じる前提として<国籍>が置かれ(憲法も、審議段階で、その対象を人から国民へと変更した)、そのために、朝鮮など植民地支配下の住民、強制連行・強制徴用した住民、慰安婦など、そのカテゴリーから外れた(外された)人びとへの戦後の待遇が理不尽なものとなった。
○日本国内での戦後補償についてもアンバランスである。戦後補償費の98%は軍人恩給であり(2010年)、日本人の軍人・軍属に対する厚遇ぶりは他国に比べて際立っている。
○国家間の取り決めは外交上の処理であり、個人がその被害補償を相手国に請求する権利まで奪うものではないというのが国際法上の解釈である。しかし、日本はこれに極めて冷淡であり続けている。

「1955年6月、戦争責任の問題をあらためて問われた花村四郎法相は、「やがて歴史家がはっきりすべきもの」であり、「戦争の責任が何人にあるのかをせんさくすべく苦労するよりも、戦争を放棄し、これから戦争をやらぬということに全国民が反省することがむしろ望ましいことであり、必要であろう」(1955年6月3日衆議院予算委員会)と答えている。これはその後に続く、政府答弁の一つの典型である。」

歴史を健忘し、指弾する者があれば過剰に自己防衛し、そのうち戦責任を問う声が出なくなるまで持ちこたえようとする態度は、まともなものではない。自らを裁く態度でない限り、開き直る者が出てきても当然だと言える。

沖縄の「集団自決」に関する教科書検定の経緯に関する書きっぷりには若干の不満もあるが、良書である。

●参照
高橋哲哉『戦後責任論』
柄谷行人『倫理21』 他者の認識、世界の認識、括弧、責任
鈴木道彦『越境の時 一九六〇年代と在日』
尹健次『思想体験の交錯』


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (永田浩三)
2012-04-14 08:01:23
波多野澄雄さんは、私が信頼する現代史家です。防衛庁戦史部に長くお勤めでした。こんな資料はないでしょうか、と尋ねるたびに、いろいろご教示いただいたことを思い出します。sightsongさんが読まれた新書、私も気になっていました。さっそく読んでみます。ありがとうございました。
Unknown (Sightsong)
2012-04-14 09:14:18
永田浩三さん
そのようなご関係があったのですね。確かに、豊富な資料や事実をもって初めて歴史を語るという姿勢には少なからず圧倒されました。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。