Sightsong

自縄自縛日記

ジョージ大塚『Sea Breeze』

2017-05-07 10:52:28 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジョージ大塚『Sea Breeze』(テイチク、1971年)を聴く。

George Otsuka ジョージ大塚 (ds)
Takao Uematsu 植松孝夫 (ts, ss)
Shunzo Ohno 大野俊三 (tp)
Hideo Ichikawa 市川秀男 (elp)
Takashi "Gon" Mizuhashi 水橋孝 (b) 

「和ジャズ」とかレッテルは安易に貼りたくないが、これは確かに「和ジャズ」で、異様にカッコ良い。

「どばしゃばだ」とジョージ大塚がプチ嵐を起こし、市川秀男のエレピ。勢いもある。やはり嬉しいことは、それぞれに確立した「声」をためらいなく放っていることである。植松孝夫の繰り返しのリフやマニッシュでポップス的でもある音も、まさに。大野俊三のラッパを聴くと実にすかっとする。

水橋孝のベースを聴くと、確かにマリオン・ブラウンの日本ライヴにおける音はその個性だったとわかる。1999年に赤坂でアーチ―・シェップを観たとき、水橋さんが飛び入りでベースを弾き、シェップに「Happy reunionだ」と紹介されていた。そのときも、ああ独特だなと感じ入って聴いていたのだった。70代のいまも現役のようだし(1943年生まれ)、また観に行こうかな。

●ジョージ大塚
植松孝夫『Debut』(1970年)

●市川秀男
菊地雅章『POO-SUN』(1970年)

●大野俊三
ギル・エヴァンスの映像『Hamburg October 26, 1986』(1986年)
大野俊三『Something's Coming』
(1975年)

●植松孝夫
植松孝夫+永武幹子@北千住Birdland(JazzTokyo)(2017年)
本田竹広『EASE / Earthian All Star Ensemble』(1992年)
『山崎幹夫撮影による浅川マキ文芸座ル・ピリエ大晦日ライヴ映像セレクション』(1987-92年)
浅川マキ『アメリカの夜』(1986年)
植松孝夫『Debut』(1970年) 


大西みつぐ『小名木川物語』

2017-05-07 09:08:48 | 関東

銀座のTCC試写室にて、大西みつぐ『小名木川物語』(2017年)を観る。これが4回目の上映だが、すぐに満席になっていたりして、ようやくの機会である。

小名木川とは、西の隅田川から東の旧中川までを東西に結ぶ運河。もともと、行徳の塩などの物流のために、徳川家康が開削させたのがはじまりである。当時の「行徳船」は、江戸時代(1632年)から明治12年(1879年)の間、旧中川からさらに旧江戸川までの運河を通じて千葉と日本橋との間を行き来していた。なんと、上りは3時間、下りは6時間を要したそうであり(いまは20分、昔は3~6時間)、山本周五郎などはそんなものを使って浦安から東京に出勤していたものだから、会社をクビになっている(山本はいまの帝国データバンクの子会社に勤めていた)。このあたりの物流の歴史はとても興味深い(浦安・行徳から東京へのアクセス史 『水に囲まれたまち』)。また、古くは広重の絵にも出てくるし、1923年の関東大震災の直後に中国人や朝鮮人が殺されたときには、多くの遺体が浮かんだという(植民地文化学会・フォーラム「内なる植民地(再び)」)。

この映画は、そういった歴史や機能の経緯に焦点を当てたものではなく、あくまで、生活空間としての深川や小名木川周辺を舞台とした劇映画である。もっとも、かつては船が頻繁に行き来してにぎやかだったこと、東京大空襲のときは逃げて飛び込む人が多くいたりしたといった、過去の記憶も取り上げられている。

主人公は、進(徳久ウィリアム)と紀子(伊宝田隆子)。ふたりとも俳優としては素人のようなものだと思うのだが、アーティストでもあり、面白い雰囲気を醸し出している。徳久ウィリアムはモンゴルのホーミーや口琴をなんども披露し、それらの芸能と土地との結びつきを口にする。それが、深川とのつながりを大事にすることにもなっていくわけである。また伊宝田隆子は、これまで知らなかったのだが、美術家・パフォーマー。映画の中では、小名木川で舟を操り、水に気持ちをゆだねることによって良い作品を創作する。

場とのつながり、無心になること。大砂嵐がゲスト出演し、既に土俵入り前の花道から無心になっているのだと語るのだが、それも、敢えて遠くのエジプト出身者に語らしめるという仕掛けなのだろうと思った。

大西みつぐ監督はもちろん写真家であり、深川を含め、東東京~千葉においても、多くの作品を残している。動画や音声についてはぎくしゃくした印象があったのだが、静止画に近いカットは見事だった。

ところで、映画には、森下の「ドリス古書店」も出てくる。いつかは行こうと思っている本屋さんであり、さらに行きたくなってしまった。


稲垣徳文写真展『HOMMAGE アジェ再訪』

2017-05-07 08:29:04 | 写真

御茶ノ水のgallery bauhausにて、稲垣徳文写真展『HOMMAGE アジェ再訪』

ウジェーヌ・アジェは19-20世紀にパリの街風景を撮った写真家であり、言うまでもなく、いまもパイオニアとして崇敬されている。

稲垣徳文さんは、その記録をもとにパリを訪れ(事前にgoogle streetviewで丹念に調べたという)、ディアドルフの8×10カメラで同じ場所を撮った。レンズはフジノン180mmのようである。大判であるからシャッタースピードは遅く、10分の1とか、速くても30分の1。わかっている人はじっと待っているが、動いて流れてしまう人もいる。

そのネガが、通常の銀塩の印画紙と、鶏卵紙の両方に焼き付けられている(密着焼き)。稲垣さんによれば、フランス製の紙に、直前に鶏卵等の乳剤を塗り、日光のもとで10分焼くのだという。

比較してみるととても面白い。銀塩では影となって黒く潰れてしまうようなところも、鶏卵紙では細かくディテールが表現されている。片方では出てこない文字がもう片方では出ていることもある。つまり、この特性が、遡って写真撮影にまで大きく影響してしまうことさえも意味する。鶏卵紙は何もレトロな効果を狙うためのものではなく、いまとなっては、まったく新しい表現手段とみることもできるのだ。これには驚いてしまった。

稲垣さん曰く、紙のpHによっても像のでかたが左右されることがわかったから、さらなるコントロールもできるのだという。今後の作品の集積が楽しみである。

ところで、最新の『日本カメラ』(2017年5月号)にはこの作品の一部が掲載されているが、残念なことに、色がすべてモノクロとなってしまっている。


小泉定弘写真展『身辺風景Ⅲ』

2017-05-07 07:57:59 | 写真

研究者のTさんとご一緒し、町屋文化センターにて、小泉定弘写真展『身辺風景Ⅲ』

タイトルの通り、小泉さんのご自宅の庭や、窓からの景色などを撮った写真群。

撮影はかなり前ながら、プリントは5年くらい前にバライタに焼いたもののようである(いまでは他の人に焼いてもらっているとのこと)。また、ボディはキヤノンかライカのRF機、レンズはやはりキヤノンの50mmかライカのズミクロン50mm。小泉さん曰く、「標準が好き」と。

こうして銀塩プリントをじっくりと観ていると、やはり眼が悦ぶのがよくわかる。岩と水との間の感覚なんて実に気持ちがいい。荒川区のケーブルTVの人が取材に来ていて、思いがけずマイクを向けられて、そんなことを間抜けに話した。

小泉さんに、粟生田弓『写真をアートにした男 石原悦郎とツァイト・フォト・サロン』の話をした。故・石原悦郎さんと小泉さんとは同級生でもあり、また音楽好きの仲間でもあった。小泉さんによると、石原さんはSPレコードのコレクションをしており、その一部は中国で寄贈もしたが残りはどうなっているんだろうね、とのこと。

●参照
小泉定弘写真展『漁師町浦安の生活と風景』
小泉定弘『都電荒川線 The Arakawa Line』
小泉定弘『明治通り The Meiji Dori』
小泉定弘写真展『小さな旅』
粟生田弓『写真をアートにした男 石原悦郎とツァイト・フォト・サロン』