ともに自分の人生の課題だね。
鬱・・・あるいは不安・・・どのくらいからあるか・・ゲシュタルト療法を行った時、その起源はなんと3歳。
3歳の時に不安や恐怖、憂鬱感がすでにあった。その後、幼稚園、小学校入学、中学・・・
いつも節目は憂鬱で不安。恐怖。
自覚として、18歳に無気力が3カ月。ここから自分は鬱があるのかな?と感じます。
さて、なんで、幼いころからそうなのか。それはぎくしゃくした家庭環境にありました。
カウンセラーが探ると、出てくるのは両親の気の荒さ。これゆえ、気持ちが収縮してしまい、以後の自分がある。
原因がわかれば、気持ちの修復は可能だが、気が付いたのが遅すぎる。というのが率直。
しかしながら、そこから、考えにヒントが出るわけで、自分との向き合いができるようになった。
そこで出てきたのが発達障害。
この発達障害は違う表現で小学校の先生に言われた。「知恵遅れ」という表現でね。
IQは低いし、生活も含め遅れをとっている。そのご学習障害という表現が頭に残るんだが、これはずっと自分のコンプレックスのようなものだった。
発達障害は環境的なものではないといわれるものの、心理学者はそれを否定する人もいます。
脳の何らかの障害と言われますが、環境はひどく影響するように思えるんですが・・その因果がはっきりしていません。
ただね、発達障害でも、環境が良いとそれなりの人格が形成されているようにも感じるので、自分はこれがあるものと思う。
両親はとにかく変わり者だったから、それがゆえにトイラウマになることもあるもので、自分を追求していくと、やはり幼少期からの宜しくない家庭環境がでてくるものだ。
ひとそれぞれ、育ち方があるんだろうが、同じような境遇はあるはず。そこに、もう一つ助け的なものがあれば変わるんだと思う。それは親せきや兄弟の力だね。
青年期に、ひどい倦怠感を訴えた時、かかりつけ医から、精神科の勧めがあった。そのとき、放置しておくと、後尾で代償を払うと警告された。ところが世間体を理由に、親は精神科に行くなという。今のように、健康保険は独立して持ってませんから、また、診療した病院名は保健証書に記載されるから、精神科の名前があったら、「お父さんにおこられる」
母の父に対する恐怖感は子供にも影響していた。つまりこのぎくしゃくした家庭こそ、精神的に少なからず影響はあったんでしょう。
「たられば」は不要にせよ、あの時精神科に行ったら、もしかしたら、違う生き方があったかもしれない。
以後続く不明な倦怠感はなかったかもしれないね。
そんな言い訳すればすでに年齢は中高年の域。このままあがくこともなく終わるのかな?と思うものの、いまさらはでにやってもな・・という気持ちが優先。しかしながら、自分がかかえてる、精神的なもの、これは完治でなくても取り組んでいきたいものだ。