壊れてしまった人間を何度も観ています。
まあ、どこまでか?というのは難しいですね。自分も壊れていると思うんで。
最近、心理学の本を読むこともあり、医学的見地と違うところが見えてしまいます。
学説にもよりますが、例えば、発達障害。これは遺伝的なもの書かれてます。しかし、心理学の中では、遺伝的なもの以外に、周囲の環境を注視してるのもあります。
ただ、周りの環境、親のしつけで、大人になるすべをしらないのは、発達障害ではないと取るべきなのか。
医学的には脳に欠陥があり、それは遺伝性があるようなことを言います。
だから、周囲環境やしつけなどで、「発達障害」のような言動は、不適合障害とか、別物ということなんでしょうか?
冒頭に壊れてしまった人間と書きましたが、多くは、何かの障害が故に壊れてしまったと私は感じるんですね。その原因は遺伝的なものではなく、親のしつけや周囲の環境でそうなる。
つまり、人間壊れるって、間接的には、自身の問題でなく、周りの状況などが影響し、行き詰る。自分が壊れてるとしたら、というか壊れてると思ってますが、ずっと周囲の影響のせいにはしていませんでしたが、「今ーここ」という考え方になると、出てl来るのは、重要な発達期なんですね。
カウンセラーに、ガサガサしている自分が嫌い、直したいと相談した際に、記憶で、一番初めにガサガサ感を感じたのは何歳だと思いますか?と問われ。5歳の自分が浮かび上がりますと答えました。
その時に戻り、そのガサガサしたときの記憶をよみがえらせてくださいと。
どんな状態ですか?の質問で、思わず、「あっ!」と声が出てしまいました。カウンセラーは何かに気づかれましたね?と微笑みを浮かべます。
その状況は、幼稚園に行く寒い朝の日、起きた途端、歯磨きなさい、歯磨き中に、何かを質問してくる、まだ歯を磨いてるのに、早く着替えなさい、もたもたしてると、おt峰産に叱られる。カバンに何を入れるの。いっぺんに母親は言います。それは高校生まで続きました。
カウンセラーがそのいっぺんなこと、5歳の子にできる内容ですか?
涙が出そうな気分になりました。
そうなんだよね。
自分ができる状態で、自分の意志で生きるこtぽができれば、なんてこともない。しかし、5歳じぅむりなんでや、当然親は何か言うでしょうが、大人目線で言われれば、出来ないもので、それが何年も続けば、気づかないうちに、ガサガサ感や、焦り感が慢性的になるものです。
こういうのが、きっかけで、人間が壊れてゆくというのがあるのではとも思うものです。
自律援助ホームで働いていた時に、16歳の男子、障害手帳をも持っている、発達障害の子。しかし、そうには見えない。
その子の場合は、親が、発達障害としかけ、紹介年金をどうやら、奪っていたらしい。
あらてめて、検査したらADHDは薄いと診断された。
本人から聞くと、確かに精神的な疾患はあります。それは母親の虐待からでしょうねと。
そのホームに来るまでは、本当に死をも考え、就学もできなきゃ、寝るところもなという日々だったらしい。
一歩間違えれば、壊れていたかもしれません。それも周囲の環境ですよね。
自分ではまっすぐ生きているつもりでも、何か周囲のことで、自分が歪曲してゆき、気が付いたら、かなりの病んでいる状態だったとか。
自分なんかもそれがあるんではと、カウンセラーや医者を追及します。
ある日突然おかしくなる人であっても、それは積み重ねで、発作的に出るもので、壊れるまで、一sj法懸命に耐えていたことと思います。
自分に置き換え、壊れてるかな?と思った場合、一つでいい、衣をまず脱ぎ捨てるところ、つまり何かのきっかけが必用なん?だなと思います。
自分も今は、壊れかけくらいには戻ったものの、やはり、非難してはいけないんだろうけど、家庭環境に少なからず、問題があったんだと思います。
まあ、どこまでか?というのは難しいですね。自分も壊れていると思うんで。
最近、心理学の本を読むこともあり、医学的見地と違うところが見えてしまいます。
学説にもよりますが、例えば、発達障害。これは遺伝的なもの書かれてます。しかし、心理学の中では、遺伝的なもの以外に、周囲の環境を注視してるのもあります。
ただ、周りの環境、親のしつけで、大人になるすべをしらないのは、発達障害ではないと取るべきなのか。
医学的には脳に欠陥があり、それは遺伝性があるようなことを言います。
だから、周囲環境やしつけなどで、「発達障害」のような言動は、不適合障害とか、別物ということなんでしょうか?
冒頭に壊れてしまった人間と書きましたが、多くは、何かの障害が故に壊れてしまったと私は感じるんですね。その原因は遺伝的なものではなく、親のしつけや周囲の環境でそうなる。
つまり、人間壊れるって、間接的には、自身の問題でなく、周りの状況などが影響し、行き詰る。自分が壊れてるとしたら、というか壊れてると思ってますが、ずっと周囲の影響のせいにはしていませんでしたが、「今ーここ」という考え方になると、出てl来るのは、重要な発達期なんですね。
カウンセラーに、ガサガサしている自分が嫌い、直したいと相談した際に、記憶で、一番初めにガサガサ感を感じたのは何歳だと思いますか?と問われ。5歳の自分が浮かび上がりますと答えました。
その時に戻り、そのガサガサしたときの記憶をよみがえらせてくださいと。
どんな状態ですか?の質問で、思わず、「あっ!」と声が出てしまいました。カウンセラーは何かに気づかれましたね?と微笑みを浮かべます。
その状況は、幼稚園に行く寒い朝の日、起きた途端、歯磨きなさい、歯磨き中に、何かを質問してくる、まだ歯を磨いてるのに、早く着替えなさい、もたもたしてると、おt峰産に叱られる。カバンに何を入れるの。いっぺんに母親は言います。それは高校生まで続きました。
カウンセラーがそのいっぺんなこと、5歳の子にできる内容ですか?
涙が出そうな気分になりました。
そうなんだよね。
自分ができる状態で、自分の意志で生きるこtぽができれば、なんてこともない。しかし、5歳じぅむりなんでや、当然親は何か言うでしょうが、大人目線で言われれば、出来ないもので、それが何年も続けば、気づかないうちに、ガサガサ感や、焦り感が慢性的になるものです。
こういうのが、きっかけで、人間が壊れてゆくというのがあるのではとも思うものです。
自律援助ホームで働いていた時に、16歳の男子、障害手帳をも持っている、発達障害の子。しかし、そうには見えない。
その子の場合は、親が、発達障害としかけ、紹介年金をどうやら、奪っていたらしい。
あらてめて、検査したらADHDは薄いと診断された。
本人から聞くと、確かに精神的な疾患はあります。それは母親の虐待からでしょうねと。
そのホームに来るまでは、本当に死をも考え、就学もできなきゃ、寝るところもなという日々だったらしい。
一歩間違えれば、壊れていたかもしれません。それも周囲の環境ですよね。
自分ではまっすぐ生きているつもりでも、何か周囲のことで、自分が歪曲してゆき、気が付いたら、かなりの病んでいる状態だったとか。
自分なんかもそれがあるんではと、カウンセラーや医者を追及します。
ある日突然おかしくなる人であっても、それは積み重ねで、発作的に出るもので、壊れるまで、一sj法懸命に耐えていたことと思います。
自分に置き換え、壊れてるかな?と思った場合、一つでいい、衣をまず脱ぎ捨てるところ、つまり何かのきっかけが必用なん?だなと思います。
自分も今は、壊れかけくらいには戻ったものの、やはり、非難してはいけないんだろうけど、家庭環境に少なからず、問題があったんだと思います。