津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■立石合戦記

2024-03-27 10:55:24 | オークション

         豊後立石の攻防!/[立石合戦記・手写本34丁]/松井・如水/九州
            即決40,000円(税 0 円)送料・全国一律520円(税込)

 

 いわゆる西の関ケ原・石垣原の戦いを記録したものである。大友義統が石田三成の意を受けて立石別府市南立石)で挙兵したことで、
細川家の松井・有吉勢とこれに加勢をした黒田如水の連合軍との戦いとなった。義統はこの敗北により、名門大友氏の没落へと導いた。

少々気になる文書ではある。
実はこの文書、別のサイトで全く同じ品が「フリーショッピング」でも見ることができるが、ここでは26,000円とある。
                                   (文責:津々堂)

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■熊本の「桜の井戸」

2024-03-27 08:36:49 | 熊本

 熊本市中央区の上通郵便局の前の通りをかっては「桜井町」といった。
藩政期は武家屋敷が並んでいたから町名はなかったが、明治13年に至りこの名がついた。
上通郵便局の前にあるセントラルマンションの前庭に「桜の井戸」があり、この井戸に由来して町名となった。
清正が軍備のために掘ったと伝えられるが、一方では茶の湯の井戸で誰もが使用することはできなかったとも伝えられる。
屋敷内に桜の木でも植えられていたのだろうか。
「桜の井戸」の命名の由来はよくわからないが、案外先に書いた清正の江戸屋敷の「桜の井戸」からきているのかもしれない。
清正公死して、江戸と熊本に「桜の井戸」を残した。

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■加藤清正の江戸屋敷と「桜の井戸」

2024-03-27 06:42:13 | 歴史

 桜田門の変でおなじみの井伊家の上屋敷が、かっての加藤清正の江戸屋敷であった。
その名残として清正が堀ったという「桜の井戸」が残っているが、これは昭和43年道路工事に伴い動いている。
処で、清正時代の時代の表門は桁行10間ほどあったと伝えられる。櫓門で外向惣長屋など丸瓦には金の桔梗紋が施されていて夜中でも光り輝いていたという。
「事跡合考」には「この屋敷の表門の冠木に、清正長さ三尺余の黄金にて虎を作り紋とせり。然るにこの紋、朝日にて耀て品川浦魚驚きさりて猟すくなくなり、漁人殊の外渡世難儀のよし歎くに付、彼紋を放したるといふ事、往古より武家の口碑にのこるところなり」とある。

   
      安藤広重の「東都名所」より「外櫻田弁慶櫻の井」 天保14年(1843)

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