続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『城』2299。

2016-04-28 06:09:00 | カフカ覚書

だれがなんとと言って反対したり、引きとめようとしても、馬耳東風でした。ポンプの下になにか見るものがあると、わたしたちは、身をかがめたり、ほとんどはいつくばってポンプの下にもぐりこんだりさせられました。バルナバスは、それをいやがったので、罰に横っ面を張られました。


☆再び話すことも許されず、引き留めることも改めることもしませんでした。辛辣(皮肉な話)を見分しても、すべてに屈しなければなりませんでした。バルナバス(生死の転換点)は、それを阻止したので強打されました。


昨日は・・・。

2016-04-27 07:06:36 | 日常

 昨日は、参加を心待ちにしていた「ゆったりウォーク」の日だった。半日コースで手軽に行けるフリー参加のこのイベントを毎月チェックしているけれど、火曜日は「七宝焼き」や月イチの「歩こう会」(水曜日)が翌日に、という理由からなかなか参加できないでいる。
 今回こそは…前後が何もなく参加させてもらえると期待していたのに体調が今一つ芳しくない。(無理はできない)
 無理をして迷惑をかけたら・・・結局パス。

 残念だけれど払拭できる日に変えよう!そう気分を切り替えて、昨今の暖かさから端に除けた毛布類の劣化した部分を点検し、繕い直し洗濯をした。まさに洗濯日和、雲一つない晴天。

 繕うより処分、新品も手が届かないほど高価ではないと割り切っていたけれど、昨日はエプロンやシャツなどのちょっとした綻びを次々に修繕。午後からは帽子作りに専念・・・。

 かくて一日ははかなくも終了。

 何気なく過ぎていく凡庸な一日に残る寂寞・・・何も事故のなかった一日に感謝すべきかもしれない。


マグリット『恋人たちの散歩道』

2016-04-27 06:30:31 | 美術ノート

 『恋人たちの散歩道』
 道は描かれず、集合家屋の上部(屋根)・家々・背後には木立、その上にあるべき空は漆黒の闇である。全体に光が見えない光景のうしろには雲の散在する青空が描かれたフレームが二つ並んでいる。
 恋人たち…恋人(二人)ではなく恋人たち(複数のカップル→群衆)ということは、次世代の若い勢力、未来をつくる集団を指している。

 暗く重い世情に革新を描く、雲の散在する自然に即した世界への導入、その足音。
 暗く歪んだ世相の上に描く刷新、恋人たちは、若く新しい時代が拓く未来、『あるがままの自然』を掲げている。

 マグリットの秘かな期待である。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『銀河鉄道の夜』293。

2016-04-27 06:20:29 | 宮沢賢治

この方たちのお母さんは一昨年没くなられました。えゝボートはきっと助かったにちがひありません。何せよほど熟練な水夫たちが漕いですばやく船からはなれてゐましたから。」


☆法(仏の教え)が簿(ノート)に溢れている。
 策(くわだて)の念(考え)は、歿(人が亡くなること)を叙べている。


『城』2298。

2016-04-27 05:57:36 | カフカ覚書

父は、もちろん、わたしたちをまず消防ポンプのところへ連れていきました。ポンプを見るなり、父は、喜びのあまりひとりでに笑いだしました。新品のポンプなので、すっかりご機嫌になって、さっそく手でさわってみたり、わたしたちにいろいろ説明してきかせたりしはじめました。


☆父(先祖)は、真っ先にわたしたちに辛辣な砲撃(皮肉)を見せました。それを見るなり父(先祖)はその異常さに復讐心をいだき、新しい皮肉を調べてわたしたちに説明したりしました。


マグリット『嵐の装い』

2016-04-26 07:14:09 | 美術ノート

 『嵐の装い』
 海は暗く、まさに嵐の光景である。
 鋏を入れられた切り紙状のものは、擬人化されて立っている。あたかも嵐の難破船を危惧するように六体は海を見ている。(ように見える)

 海と彼らの時空には明らかに差異がある。難破船を眺め下しているように見えるのに、立地点は地続きのようである。
 嵐の海と彼らが、隔絶された時空にあるのは現世と来世(冥府)だからではないか。

 彼らは嵐の光景を見ているように感じるが、難破船からこちら(冥府)にやってきた死者たちかもしれない。
 『嵐の装い』は嵐のような現世から新天地へやってきたものの装いであり、すでに男女としての形態を失い、過去の名誉や罪科なども、あたかも刻まれた模様のように図案化されている。
 誇るべき名誉・栄冠の記憶、あるいは血の出る傷痕ではなく、それらは刻まれたもの(単なる記号)として死者の魂を装っている。


 嵐という死線を超えた人の魂、自分という本体(主張)を無くした人たちの新しい装いである。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『銀河鉄道の夜』292。

2016-04-26 07:02:15 | 宮沢賢治

そのとき俄かに大きな音がして私たちは水に落ちもう渦に入ったと思ひながらしっかりこの人たちをだいてそれからぼうっとしたと思ったらもうこゝへきてゐたのです。


☆我(わたくし)の題(テーマ)は隠れている。
 詞(ことば)で推しはかり、絡(すじみち)を架ける新しい試みの図りごとである。
 死は雷(神なり)である。


『城』2298。

2016-04-26 06:42:10 | カフカ覚書

祭典は、村はずれの、小川のほとりにある草地でおこなわれました。わたしたちが行ったときは、もうたいへんな人ごみでした。近隣の村々からたくさんの人たちが来ていまして、その騒々しさのために、すっかり気もそぞろになってしまいました。


☆先祖の永続は、あの本によって教えられている。すでに先祖の偉大さは多くの人たちを招き、それは騒々しいほどの混乱でした。


マグリット『呪い』

2016-04-25 06:48:15 | 美術ノート

 『呪い』
 青空に散在する雲・・・それっきりである。

 呪いとは悪意を感じる人を祈りによって貶める行為であり、相手の不幸を祈願する不道徳な汚れた感情である。
 それが、感情を伴わない自然の景色である(空と雲)を映して『呪い』と名付ける根拠はどこにあるのだろう。

 空の景色は常に変化していく。雲の形態が留まることはあり得ない。
 不順な天気は生活の糧である生産を危機に陥れるから天に向かって呪うことはあるが、それはむしろ祈願であって、感謝につながる傾向が強い。
 
 呪いは人間の抱く感情であれば、この空と雲の下には人間が存在している。天を仰ぐ、見上げる眼差しとの距離にうごめく混濁の情。

 業は常に人の中に潜んでいる。払っても払いきれず、雲のごとく不意に現れては霧消していく。不穏な呪いの感情は、在るとも無いとも形を表出しない。

 不定形な雲は『呪い』とは無関係である。それを『呪い』と名付けることで無理にもイメージを重ね合わせようとする。名付けることの暴力である。
 自然現象は黙して語らないが、人間は言葉をもってイメージ化する。しかし、それは決定ではなく常に流動的であり存在と無の間を行き来する。
 『呪い』と名付けたことで発生する問題は、存在と無あるいは肯定と否定をあいまいに抽象化し、『呪い』という題名自体が雲のように浮遊するという結果を生んでいる。

 『呪い』は自然現象に対し、選ばれた暗示の言葉に過ぎず、人はその寓意性を生きている。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)