続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

不眠の情熱。

2013-11-30 06:36:32 | 日常
 四人会のメンバーのうち年長の田中さんは非常に手先が器用な上、何事にも熱心である。毎回、自作のパッチワーク作品を持参して見せてくれるのだけれど、今ごろになって《写真に収めるべきだった》と後悔している。
 会食の部屋は外の明るさに比して暗いから明確には写らないだろうというのが写真を撮らない理由なのだけれど、外に出てバスを待つ間おしゃべりをする、そのときなぜ気づかないのか。(ぼんやりしている)という理由もあるけれど、人を撮るのが苦手(自分が写りたくない)なので、つい、カメラを引っ込めたままにしてしまう。こう書いていても、やっぱりそういう流れになるのは必然だから、止めておいたほうが無難という結論に帰ってしまう。


 本当に田中さんのパッチワークは素晴らしくてブログに載せてみたいと思うほどなのである。(作り手の許可、無断搭載はタブー)いろいろ考えてみると・・・。

 田中さん曰く
「もう夢中になってしまうのね、時の経つのも忘れて。」
「どのくらい?」
「夜中まで・・・二時とか三時とか」
「・・・(すごいわ)」
「で、朝は何時に?」
「主人が現役の頃は五時か六時には起きていたけど、今は七時くらい」

(なんて丈夫なんだ、そんなことができるなんて)
「眠る前には新聞も読まなくちゃならないし、忙しいわ」と笑った。

 一日をそこまで熱中して過ごせるなんて!

 思うにわたしも仕事を請けている頃は、そうだった。夜中は本番、オールナイトニッポン(一部、二部)を聞きながらの仕事、やがて朝になる。子供や夫を順次送り出して昼は家事やら通院の付き添いやら・・・。だから、出来ないことではないのかもしれない。(わたしの場合、お金が絡んでいたから)

 田中さんの場合は、ただ美しいもの(バックや洋服)を作り上げるという情熱だけで、不眠に近い日常に喜んで耐えている。

 そういう夢ある情熱に惑わされつつ送る日常に憧れている。
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『ポラーノの広場』165。

2013-11-30 06:30:12 | 宮沢賢治
 楽隊は仕方なくみんな同じ譜で〔数文字分空白〕をやりはじめました。

 楽隊はラク・タイと読んで、絡、他意。
 仕方なくはシ・ホウと読んで、詞、法。
 同じはドウと読んで、導。
 譜ではフと読んで、符。

☆絡(つながる)他意の詞(ことば)は、法(仏の教え)を導く符(しるし)である。
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『城』1460。

2013-11-30 06:03:40 | カフカ覚書
彼女は、やがてやっとのことで起き上がり、両手で顔をなで、髪の毛をととのえ、ふかく息をついた。それから、まず室内とそこにいる人たちにふたたび眼を慣らさなくてはならないのが億劫でならないというような様子をしていたとき、Kは自分から口を切った。それは、自分がすでに承知していることを確かめようというのではなく、相手がしかけてくるかもしれない攻撃の先手を打って、これをふうじなくてはならないと、ほとんど恐怖心をおぼえたからである。いまでは、どんなことにでもそれほど傷つきやすくなっていたのである。

 両手で/Handen→Handel/事件、訴訟。
 顔/Gesicht・・・幻影。
 ととのえる/ordnete・・・解決する。
 息/Atem・・・生命。

☆彼女は死にたいして立ち上がり、事件の幻影を奇襲した。大群(大勢の死んだ人たち)の解決のため、うわべだけの機関に深遠な生命を迎えたのである。それから再びテーマであるここにいなければならない人々にKは決心を伝えた。今は荒涼を畏れず不安を払拭しなければならないと。
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暗闇の淵。

2013-11-29 06:53:21 | 日常
 わたし達は太陽の恩恵を受けて、明るい日差しを享受している。朝が来て夜が来るという当たり前の日常は、不変であるかのように思える。昨日と変わらない今日があるならば、今日と変らない明日があるはずだと・・・。

 その集積がある日消えてしまう。人生そのものがあたかも存在すらしなかったかのように消失してしまう。
「Aさん、亡くなったの。一昨日がお通夜で昨日はお葬式だったのよ」
 ご近所の古くからの顔見知り・・・。

「どうして?」
「知らない・・・」

 こんな風に、人が居なくなるなんて!


 悲しみというより呆然とした虚無感。再婚した奥さんのために家をリフォームして数年、塀を巡らせたために挨拶が遠のいてしまい、姿を見かけることが少なくなってしまったAさんだけれど・・・亡くなってしまうなんて。元気なAさんしか思い浮かべることが出来ない。


 地域全体の高齢化・・・それでも今日も明日も会える、そう思っていたのに。
 一寸先は闇、わたし達は暗闇の淵を今にも落下しそうに歩いている旅人なのだろうか。
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『ポラーノの広場』164。

2013-11-29 06:44:29 | 宮沢賢治
するとデステゥパーゴが
「おいおいそいつでなしにあの〔数文字分空白〕といふやつをやってもらひたいね。」
 すると楽隊のセロを持った人が
「あの極はいま譜がありませんので。」
するとデステゥパーゴは、もうよほど酔ってゐましたが
「や、れ、やれ、やれと云ったらやらんか。」と云ひました。


☆絡(つながっている)他意は字の図りごとで極める。
 普く推しはかり、薀(奥義)を運/めぐらせている。
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『城』1459。

2013-11-29 06:26:19 | カフカ覚書
ペーピと紳士だけは、依然として懸命担って覗き込み、からだをまげ、ほとんどひざまずかんばかりであった。それを見ると、いまは自分を通してくれと鍵穴に哀願しているのではなかとおもえた。というのは、外はおそらくもうなにもみえなかったはずだからである。

 ほとんど/fast→vast/荒涼とした。
 ひざまずく/kniend→knies/不和、対立。
 ~ではないか(印象)/Eindruck→Ahn druck/先祖、圧力。

☆ペーピ(身分証明書)と紳士(大群/大勢の死者たち)はまもなくもどってきたが、お内儀(言葉)だけは懸命になってのぞきこみ、深くお辞儀をしたのは、荒涼とした不和に対してだった。先祖の圧力である荒地に今は、終(死)の牢屋に自分を通すことは必ずやありえないことだと思った。
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まだ痛くて・・・。

2013-11-28 06:47:42 | 日常
 何でもないということは実に幸福な日常なのだと思う。
 ぎっくり腰になって、すでに20日も経つのに、まだ痛い。
 痛くて庇っているうちに他の筋肉痛まで惹き起している感もある。

(骨を折ったわけじゃないんだから、そのうちに治る)という楽観的見解もあらばこそ、何とか耐えているけれど、やっぱり日常の妨げになっている。


 今朝ゴミ集積場で、Hさんのお兄ちゃんに会ったので「お母さんをお見かけしないけど元気?」と聞いたら
「階段の最後の一段を踏み外して、未だに痛くてあまり外へは出られないんです」という。そして、
「ああ、ぎっくり腰・・・自分もポリタンクを持ち上げようとしてやりましたけど完全に治るまで3ヶ月かかりました」と。
(ええーっ、3ヶ月! ショックだわ)

 明日こそ、明日こそって、治癒を期待しているのに・・・。

 それでも何とか11月の予定をクリアーしてきた。布団も陽が出ているかぎり干しているし、バードウオッチングや地域の寺社巡りにも参加している。だけど万全じゃない、(痛い、痛い)と言いながらの日常。

 忘れた頃に治る・・・まだ忘れられない未練(?) ああ、早く、忘れたい!
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『ポラーノの広場』163。

2013-11-28 06:27:43 | 宮沢賢治
「その子どもは何だ。」デステゥパーゴがききました。
「ロザーロの弟でございます」テーモがおじぎをして答へました。するとデステゥパーゴは返事をしないで向ふを向いてしまひました。そのとき楽隊が何か民謡風のものをやりはじめました。みんなはまた輪になって踊りはじめようとしました。


☆詞(ことば)の化(形、性質を変えて別のものになる)で、題(テーマ)は、等(平等)に変わる。
 字によって、講(話)の考えは絡(つながっている)。
 他意を加えて(その上に重ねる)いるので、眠(目を閉じて休む)ことが要である。
 譜(物事を系統的に書き記したもの)の輪(順に廻ること)が、要である。
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『城』1458。

2013-11-28 06:13:56 | カフカ覚書
そこで、みんなも、かわるがわる鍵穴をのぞいてみた。むろん、いちばん長くのぞいていたのはお内儀だったが、ペーピも、とにかくのぞかせてもらった。若い紳士は、あまり気のりがしないようだった。

 お内儀/Wirten→Wort/言葉。
 ペーピ/Pepi→Papier/身分証明書、文書。

☆そこで終(死)の牢屋をかわるがわるのぞき見t。むろんいちばん長くのぞいていたのはお内儀(言葉)だったが、ペーピ(身分証明書)も覗かせてもらった。新しい死者たち(大群)は常に慎重だった。
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友達?

2013-11-27 06:59:19 | 日常
 サークルの仲間であるTさんと美術館のイベントに参加した時のこと。
 わたしたちを見て、何気なく先生は
「お友達?」と聞いたのである。

 少し間をおいて「はい」と応えたわたし・・・ハタと考えてしまった。疑問を持たれるほどに不釣合いな二人だったのではないかと。

 Tさんとは昭和からのサークル・メンバーだから四半世紀以上のお付き合い。ずっと、さらりとした関係。
 彼女はおしゃれで可愛らしくスタイルもいい。それに引きかえ、わたしはドン臭い田舎のおばさん風であるから、(この二人が友達であるはずがない)そう思ったに違いない。
 だから「はい」と肯定するとき、若干の抵抗があった。だからといって「いいえ、友達なんて親しい関係じゃありません。むしろわたしは彼女に憧れを持って見ているファンにすぎません」と、ここまで謙っては、場の空気を壊しかねない。
 ではなぜ、一緒にイベントに参加したのかというと、
「わたし葉山の美術館で、吉行和子さんを見たの」と興奮気味に話したら「あらっ、わたし葉山の美術館に一度行ってみたいと思っていたの、今度誘ってね」と言われたことが、ずっと残っていたから、その約束を果たしたというわけなのである。

 サークルが終ると右左に別れる地域に住んでいるのでお互いの事情もほとんど知らない。ただおしゃれで堅実な彼女が、「わたし人参をベースにした野菜ジュースを毎日飲んでいるの」と聞けば、棚にしまったきりのジューサーを引っ張り出し真似をしてジュース(彼女はスムージーと言ったかもしれない)を飲むようになったりと、彼女の技を盗もうとしていることだけは事実である。

 思うにTさんは、わたしの心のリーダーであって、いつまでも一緒の仲間であって欲しい人。
(友達でもいいの?)聞いてみるのも恥ずかしい。
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