『嵐の装い』
海は暗く、まさに嵐の光景である。
鋏を入れられた切り紙状のものは、擬人化されて立っている。あたかも嵐の難破船を危惧するように六体は海を見ている。(ように見える)
海と彼らの時空には明らかに差異がある。難破船を眺め下しているように見えるのに、立地点は地続きのようである。
嵐の海と彼らが、隔絶された時空にあるのは現世と来世(冥府)だからではないか。
彼らは嵐の光景を見ているように感じるが、難破船からこちら(冥府)にやってきた死者たちかもしれない。
『嵐の装い』は嵐のような現世から新天地へやってきたものの装いであり、すでに男女としての形態を失い、過去の名誉や罪科なども、あたかも刻まれた模様のように図案化されている。
誇るべき名誉・栄冠の記憶、あるいは血の出る傷痕ではなく、それらは刻まれたもの(単なる記号)として死者の魂を装っている。
嵐という死線を超えた人の魂、自分という本体(主張)を無くした人たちの新しい装いである。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
そのとき俄かに大きな音がして私たちは水に落ちもう渦に入ったと思ひながらしっかりこの人たちをだいてそれからぼうっとしたと思ったらもうこゝへきてゐたのです。
☆我(わたくし)の題(テーマ)は隠れている。
詞(ことば)で推しはかり、絡(すじみち)を架ける新しい試みの図りごとである。
死は雷(神なり)である。
祭典は、村はずれの、小川のほとりにある草地でおこなわれました。わたしたちが行ったときは、もうたいへんな人ごみでした。近隣の村々からたくさんの人たちが来ていまして、その騒々しさのために、すっかり気もそぞろになってしまいました。
☆先祖の永続は、あの本によって教えられている。すでに先祖の偉大さは多くの人たちを招き、それは騒々しいほどの混乱でした。