続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

老いる。

2016-04-13 07:21:11 | 日常

 自然の理、まさにこの一本道を歩いている。どこで途切れるかもしれないのに、平然と歩いている、否、不安を抱えて歩いている。

 明らかに劣化の一途をたどる身体機能と道連れである。バネもネジも緩むどころか少々錆びついて脆くなっている。一病息災どころか複合的に病状が進行している感じがする。

 目・肩・腰、加えて膝痛、頭痛もあるし、と言った具合。

 なるほど…と自分を観察してみる。(う~ん、こうやって変化していくのか)

 メンテナンスの利かないお年頃(まさに!)
 《でもね》と、ここで見えを張っても始まらない。粛々と地味なメンテナンスを心がけて行こうと思う。
 起床も「さぁ、起きましょう」と自らに声をかけ、「歯もしっかり磨きましょうね」と幼児並みに優しく諭す。
「さぁ、歩けるかな?」と、自分に問い、歩き出す一日の始まり。

 老いてのタブーは、《くよくよしないこと》に尽きるかもしれない。自分の背中は自分で押すしかない!


マグリット『魔術師の共犯者たち』

2016-04-13 06:48:06 | 美術ノート

 『魔術師の共犯者たち』
 共犯者たち、つまりここには複数の人が関わっているということであり、単独ではない。

 網を被せられた女の前向きの裸体は、足から胸部までで、顔は筒に隠されている。
 その手前の低い位置に後ろ向きの女の肩から頭部の身体が見えるが、胸部から下は筒に隠されている。
 この二つの被写体は、あたかも連続したものが切り離されたような錯覚を覚えるように描かれている。あり得ないが、そう錯覚するように仕組まれた魔術。それにはもちろん共犯者(協力者)がいての魔術であり、仕掛けのない錯視はない。
 背後のカーテンなどはいかにも何か秘密を隠匿している風であり、怪しげな雰囲気を醸し出すと同時に、空間設定を不可思議な時空にしている。

 網あるいは筒は、捕獲の道具であり、自由を束縛する手段である。
 怪しく盛り上がった暗澹の山頂、空は暗く淀んでいる。
 抵抗の不可抗力な女体は、ことさら性的器官を露呈している。

 この条件を『魔術師の共犯者たち』と題している。

 つまり、共犯者はこの作品の鑑賞者である。魔術師が展開したこの光景を犯すのは鑑賞者である。鑑賞者の眼差しはこの女体に反応せざるを得ない。
 マグリットの魔術である。


(写真は『マグリット』西村書店刊)


『銀河鉄道の夜』280。

2016-04-13 06:35:01 | 宮沢賢治

「いえ、氷山にぶつかって船が沈みましてね、わたしたちはこちらのお父さんが急な用で二ヵ月前一足さきに本国へお帰りになったのであとから発ったのです。


☆表れる太陽は千(たくさん)陳(列をなして並ぶ)。
 普く究(つきつめる)要(かなめ)は、字の化(形、性質を変えて別のものになる)に合わせる。
 全て逸(隠れている)。即ち、翻(形を変えて移す)と告げる記は、初めてである。


『城』2285。

2016-04-13 06:15:25 | カフカ覚書

あくる朝、橋屋のお内儀さんが様子を見にやってきたときにやっとー」
「橋屋のお内儀さんがですか」と、Kはたずねた。
「ええ、お内儀さんは、わたしたちとても昵懇だったのです。そrでお内儀さんは、やってくるなり、アマーリアのほうがよい身なりをしていることおみとめざるをえなくなり、わたしをなだめるために、ボヘミア産のざくろ石でこしらえた自分のネックレスを貸してくれました。


☆わたしたちは、東に暈(ハロー)をかける橋を待っていたのです。」
 「暈に賭ける橋を待ったのですか」と、たずねた。
 「ええ」と、オルガは言った。
 「暈に賭ける橋は馴染みがあったので承認すべきだったのです。アマーリアには有利であり、それゆえ安心でした。ただ、わけのわからない栄光は、わたしたちにとって特に恐ろしい縁でした。