続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

🈞マグリット『世紀の伝説』②

2019-01-31 06:39:13 | 美術ノート

 巨大な椅子…地位・権力・勢力・威力…世界を席巻するかの大いなる存在であるが、今は石化し果てているという景である。

 しかし、全体を包む澄んだブルーは清明な空気感を醸し出している。無というよりは静寂であり、新しい活性の予感である。

 この形骸化した石化の椅子の上に小さな赤い椅子が乗っている。赤は生命活動《血》の色であれば、昔を凌駕する新しい時代の到来を示唆してるのではないか。
 遥か想像を超える未来の時空である。

 長く続くと思われてる今の社会もいつか時の流れの中に埋もれ、組織も解体される日が来るに違いない。あらゆるものが燃焼尽され風景は無機的な様相を帯びていくという質の変換である。


 しかし、大いなる循環があるのではないだろうか。
 石化の巨大な椅子の上の小さな(人間的)赤い椅子、世界を新しい誕生に導く光があるのではないだろうか。
(現代人の歴史が『世紀の伝説』となる日がくる)マグリットのつぶやきが聞こえる。


(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図録より)


『オツベルと象』㊷

2019-01-31 06:29:44 | 宮沢賢治

「済まないが税金がまたあがる。今日は少うし森から、たきぎ御を運んでくれ」オツベルは房のついた赤い帽子をかぶり、両手をかくしにつつ込んで、次の日象にさう言つた。


☆砕(くだけ)脆(もろい)襟(心の中)の魂に、化(教え導く)照(あまねく光が当たる=平等)を運(めぐらせている)。
 謀(図りごと)の釈(意味を明らかにする)某(なにがし)の詞(言葉)は、霊(死者の魂)を守る拠(よりどころ)である。
 字で化(教え導くこと)は照(あまねく光が当たる=平等)が源(みなもと)である。


『城』3118。

2019-01-31 06:21:46 | カフカ覚書

ところで、あなたの測量のお仕事のほうは、どんな具合ですかね」
「わたしは、そんな仕事はしていません。測量師としての仕事はあたえられていないのです」と、Kは言った。


☆土地がないことに気づいたひとたちの事情はどうですか。「わたしはこのように現場不在の人たちのための小舟をつくっています。測量師としての仕事などしていません。


🈞マグリット『世紀の伝説』

2019-01-30 07:03:06 | 美術ノート

   『世紀の伝説』

 人の視点が地平線にあるとしたら、巨大な石化の椅子である。
 到底昇り得ない高さは、人(人類)の域を超えたものであり、椅子の上にある椅子などは人の目の位置からは見ることの叶わない幻である。

 世紀末、荒廃し残存の草木は影もなく、残された岩(岩石)のみが散在する世界であるが、椅子だけがかつての栄華を消しがたく残っている。
 しかし、この物は何だろう。

 椅子、人類の手の届かない巨大な存在・・・神だろうか。他の動物では決して創り得ない人の手(知恵)による椅子の形である。
 祀り上げられた巨大な存在である《神》は、人類が滅亡し果てた後にも壊れ難く名残りを留める、それほどに信仰は強固なのかもしれない。

 神への信奉は人類が死した後までも残存する・・・かもしれない。しかし、ただ幻と化した残影は膠着し石化の景として無意味に風に吹かれ『世紀の伝説』となる。


(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図録より)


『オツベルと象』㊶

2019-01-30 06:44:58 | 宮沢賢治

そして菜つ葉の畑にかけた。
 夕方象は小屋に居て、十把の藁をたべながら、西の三日の月を見て、
「ああ、稼ぐのは愉快だねえ、さつぱりするねえ」と云つてゐた。


☆済(救い)の要は将(もしかして)幽(死者の世界)の法(神仏の教え)の章(文章)也。
 拠(よりどころ)としては、自由に把(つかむこと)講(話)である。
 済(救い)の太陽は合わせて現れる化(形、性質を変えて別のものになる)で、諭(教え導くこと)の皆(すべて)を運(めぐらせている)。
 

 

 


『城』3117。

2019-01-30 06:35:39 | カフカ覚書

もっとも、わたしがこの仕事なしではもう生きていけないというのも、ほんとうです。ほかの仕事は、どれもおもしろ味がないような気がします。


☆他方においては正しいのですが、この現場不在証明の方法なしではすませられません。他のすべての現場不在は気が抜けているように思われます。


三谷先生の授業。

2019-01-29 11:05:09 | 美術館講座

 『曲線で折る 立体折り紙体験』

 何気なく参加…でも同じテーブルについたアラフォーのご婦人、テンション高いなぁと思っていたら先生のツイッターのファン、小4のお嬢さんとの参加。ご著書もお持ちでボォーとしたぶきっちょなわたしとは落差ありあり。
 みなさんそれぞれ折ったり曲げたりの試行錯誤の結果を最後に報告。わたしだけ「見学に徹していました」って。徹していたって頑張ったときの言葉、全く恥の上塗り。

 それでも先生も親切、和気あいあい楽しい時間、こんなお婆さんの参加で引き気味だったけど、「おばあちゃん、よく出てきてくれたね」ってご褒美に先生のもの(全員で同じ物を作った)を頂いた。(ラッキー)

 あの世へのお土産って感じの物見、何でも参加するつて楽しい!(ちなみに先生の作品は凄くて圧巻、眩暈!)

 三谷 純先生、長門先生、ありがとうございました。(神奈川県立近代美術館・葉山にて)


🈞マグリット『青春の泉』②

2019-01-29 07:08:17 | 美術ノート

 背景は朝焼けだか夕焼けだか判らないが、青春≒希望という彩色ではなくどこか不穏である。
 ROSEAUと刻まれた石碑、ROSEAUといえば〈考える葦〉を想起するが、この語彙が通用する時空なのだろうか。この言葉が死語になっているということかもしれない。

 荒地である、植物(有機)が見当たらない。
 ROSEAUの言葉が刻まれた石碑・・・つまり過去である、ずっと昔の遺物の残存。

 郷愁…回顧の墓碑。
 石碑(言葉)を包むかの鳥(鳩)の頭部、傍らの一葉は、葉であり樹形であり、枝葉は凝視すると樹の根である。つまり逆さであり、有り得ない《虚》である。
 鳩がくわえてきたオリブの一葉、しかし、この鳩はそっぽを向いている。(怒ってさえいる)
 左端には馬の鈴(伝承・伝説・主張・声etc)がある。

 大いなる伝承の終焉、何時かずっと先の未来、星の数・砂の数を幾たびも数え直すほどの時間を超えた先にある光景である。

【考えること】による支配、宗教や思考が墓碑となる無窮の果ての時空(時代)では、かつての遠い昔(=現代)、それを『青春の泉』と認識するのではないか。

《あの時代(現代)はまだ若く成熟途上の青春であり、泉のごとくあちこちに主張(宗教)などが湧き出でていた》という今は荒廃している懐古の光景である。


(写真は新国立美術館『マグリッㇳ』展/図録より)


『城』3116。

2019-01-29 06:34:28 | カフカ覚書

たいていは村にいますが、いつもというわけではありません。いつなんどきでも城に出かけられる用意をととのえておかなくてはなりません。そら、あれが旅行かばんです。落着かない毎日でしてね、だれにでも向くというわけにはいきませんよ。


☆たいていは村(あの世)にいますが、永続的というわけではありません。どの瞬間も城(死)へ上っていくことを考え無くてはなりません。あれが旅行かばんですが、先祖は不穏のなかを生きているので砦は役に立たないのです。