続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

デュシャン『チョコレート粉砕機』②

2016-08-31 07:05:58 | 美術ノート

 『チョコレート粉砕機』

 右端に載っている本物のチョコレート粉砕機を見て氷解したのだけれど、デュシャンの描いた粉砕機は単に単純化したものではなく、イメージを借用しただけの機能を剥奪したものに変換している。現物にはしっかりした台座があり、モーター(動力源)もあるし、回転させるための軸棒も頑強である。

 デュシャンの意図はイメージによるイメージの粉砕である。しっかりした台座は上部の重量に耐えられないような猫足に変えられ、粉砕のための動力源は姿を消している。
 ロールに張られた糸が遠近法に倣って図られているのは、本来描くべきという観念的な眼差しの拒否である。機械的(人工的)であることの主張を垣間見せつつ、機械的であることを欠落させたものを並置している。

 粉砕のパワー、機械的であることのアイデア、この重量感をもってする大げさ、且つ単純化された構造、工業的である『チョコレート粉砕機』。
 このイメージを簡略化に見せて実態を崩壊させている巧妙さ。

 役立たず=無用の長物を提示する不気味のまえで、鑑賞者はポカーンとせざるを得ない。
(果たしてこれは?)
 遠近法に倣って綿密に張られた糸に、写実を重ねる。迷路を用意しつつ《無/解放》の現場へ誘い込んでいる。


(写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク/TASCHENより)


『銀河鉄道の夜』418。

2016-08-31 06:35:54 | 宮沢賢治

するとある日いたちに見附かって食べられさうになったんですって。っそりは一生けん命遁げたけどたうたういたちに押へられさうになったわ、そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ、もうどうしてもあがられないでさそりは溺れはじめたのよ。sのときさそりは斯う云ってお祈りしたといふの、


☆化(形、性質を変えて別のものになる)で、現れるのは、普く自記であり、逸(隠れている)章(文章)は、冥府(死後の世界)である。
 沌(物の区別がつかないこと)を頓(整え)応(他のものと釣り合うように)全ての章(文章)を図ることで注(書き記す)絡(すじみち)が出来る詞(言葉)を運(めぐらせている)記である。


『城』2423。

2016-08-31 06:19:19 | カフカ覚書

けれども、それよりまだ悪いことには、フリーダは、あたしたちを軽蔑しているかもしれないのです。これは、フリーダの立場からは当たりまえのことで、実際上の事情からしても、やむをえないことですわ。それにしても、わたしたちを軽蔑しない人があるでしょうか。


☆それよりまだ悪いことにはフリーダ(平和)はわたしたちを軽蔑しているかもしれないのです。これはフリーダの立場からすれば当たりまえのことで、実際上の関係からしてもやむを得ないことです。わたしたちを軽蔑しに人があるでしょうか。


空を見ている。

2016-08-30 07:46:42 | 日常

 雨・晴れ・曇り・豪雨・・・。
 激しく変化する空模様、(今朝は雨だから、ラジオ体操はないわ)と思っていると(おやっ、雨は止んでいる)

 昨日の朝もこんな感じ、ついさっき、ほんの数分前まで降っていた雨、でも…止んでいる。
《では!》と出かけたら、いつものメンバー、ちゃあんと、揃っていました。
 と言っても7人、若干淋しくはありましたけど敢行。少雨決行、(やっぱ、体操するとね、元気になれるから・・・)

 今朝もさっきまで土砂降りだったけど、どうなるのかな?
 ご老体を動かしてくださる《ラジオ体操》に感謝、深謝の毎日です。


デュシャン『近接する金属の中に水車のある独身者の器具』

2016-08-30 06:13:33 | 美術ノート

 『近接する金属の中に水車のある独身者の器具』

 近接する金属、一見具体性があるようで抽象的な説明である。
 金属の中に水車、これも説明のつかない奇妙な並置である。
 水車のある独身者の器具、必然性がなく、意味は浮上せず、霧散するばかり。
 この関係性のない言葉の羅列をつなぎ、意味不明の捉え難さを抽象化している。言葉による言葉の崩壊/破壊である。一つ一つは確かに意味がある、しかし、つなげることで意味を霧消させている。意味の否定ではなく全体を無に帰す構成、意味を捕らえようとすると、意味の方が逃げていくという現象を敢えて創意している。

 その題名の作品は、題名に酷似した空気感を醸し出す正解を提示している。
 図①のロールは普通に巻いているように見えるが、《メビウスの輪》状態にも感じられる。つまり、表を通りつつ裏面を辿って元の点にもどるという線条である。(つまり、回転不可)
 図②の水車の軸は果たして支えられているのだろうか。直角に交わる棒の下部にあるように思える、その場合、当然水車は回らないし、回るべき水の流れも不在である。仮に回ったとしてそのエネルギーの方向性も不明であり、これらが独身者の器具であるという説明にも疑問が残る。
 一見整然とした器具に見えるが、器具としての用途も不明であり、器具ですらない不完全な代物である。
 《それらしく見えるが、それでさえない》という不思議に無用な設計を構築している。

 存在しているが、非存在を仲介するものである。


(写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク/TASCHENより)


『銀河鉄道の夜』417。

2016-08-30 05:01:31 | 宮沢賢治

「さうよ、だけどいゝ虫だわ、お父さん斯う云ったのよ、むかしバルドラの野原に一ぴきの蝎がゐて小さな虫やなんか殺してたべて生きてゐたんですって。


☆註(意味を書き記すこと)は普く詞(ことば)で運(めぐらせている)。
 現れるのは、割いた章(文章)の註(意味を書き記すこと)は、察(あきらかに)照(あまねく光が当たる=平等)である。


『城』2422。

2016-08-30 04:48:59 | カフカ覚書

しかし、縉紳館でのあの晩の出来ごとで、あなたは、いまのおたがいの立場をはっきりおわかりになったことでしょう。フリーダは、鞭を手にしていましたが、わたしのほうは、下男どもの群れにまじっていたのです。


☆大群のハロー(死の入口)と同じように、現在お互いの立場を認識しているのかもしれない。フリーダ(平和)は国家の苦境を共にしていましたが、わたしのほうは、群衆にひざまずいていたのです。


ワークショップ。

2016-08-29 07:34:54 | 美術館講座

 久しぶりに神奈川県立近代美術館/葉山へ出かけた。
 積極的に美術館へ行かれない無精者である、ワークショップのようなものに参加し、行かなければならない状況を作って、やっと出かける。

 そうしてここ十年余りを細々美術館へ出かけている。わたしの中のどこかに《美術》に対する未練があると思われる(←他人事?)
 何気なく見た美術館のワークショップの広告、何気なく参加した日。
 李美那先生のお弁当は…よく覚えている。お母さんは浅草当たりのご出身と聞いたけど、玄米ご飯に天ぷらの大盛リ、ざっくりした栄養本意の中身。
 受講仲間の小学生からは海岸に出た折、《水切り》を教えてもらった。
「こういう薄べったい石を捜してね、それで、こういう角度で狙うんだよ」と。

 何気なく参加したワークショップの楽しさ、癖になり、ずいぶんお世話になった。
 日常とは異なる空間に自分を連れて行く楽しさを満喫させていただいた。

 ちなみに昨日のワークショップは、自分で作ったペンで書くカリグラフィ。わたしといえば、自由に描いていた小学生にも劣る出来。(恥ずかしいよ、でもいつもの事)
 川人先生、土居先生、お世話になり、ありがとうございました。

 クエイ兄弟の展覧会、すごく良かった!!
 カフカの『変身』、風の吹く、あの空気感、ベットの下のザムザ・・・。
 もっとゆっくり見たかったなぁ。


デュシャン『汽車の中の悲しめる青年』

2016-08-29 06:50:52 | 美術ノート

 『汽車の中の悲しめる青年』

 題名(言葉)と本体(作品)の結びつきが不明である。イメージとしては、《汽車は走る=空間を移動するもの→正》の中で、悲しみという負の感情をもつ青年(未来という時間を所有する人)である。
 彩色が全体暗色なのは《悲しみ》の暗示であり、茶系は裸婦に見るような肌の色、単に肉体という意味だと思う。

 ゴッホに『悲しい女』というしゃがみこんで背を丸め顔を伏す裸婦像があり、明らかにそのものの情景である。
 しかし、この絵にはそんな風情はなく、鬱屈した暗さが重く沈み込んでいく妙な不安定さが鑑賞者の視覚を揺する。

 青年は青年たちではない、一人の青年の分解である。あたかも現れては消えていくような微妙な時間を感じる。

 汽車という自分では制御不能な空間移動/時間のなかで、立ちどころの不安定な…のめるような崩壊の危機を孕んでいるような危うい風情を感情移入することも可能である。
 しかし、何物も寄せ付けないような慄然とした静けさもある。

 これはデュシャン自身の自画像なのだと思う。悲しみは自己申告であって、他者からは見えない。


(写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク/TASCHENより)


『銀河鉄道の夜』416。

2016-08-29 06:29:31 | 宮沢賢治

「蝎いゝ虫ぢゃないよ。僕博物館でアルコールにつけてあるの見た。尾にこんなかぎがあってそれで螫されると死ぬって先生が云ったよ。」


☆忠(まごころ)を、注(書き記す)と、目(ねらい)を吐く。
 仏(仏教)を勧めることを兼ねている。
 備(あらかじめ用意しておく)釈(意味を解きあかす)の詞(ことば)は、遷(移り変わる)章(文章)に運(めぐらせている)。