続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

金山康喜『鏡の前の静物』

2015-03-31 06:39:25 | 美術ノート
 青い空き瓶の上、接触しそうに電球(ランプ)が下がっている。静かな危機感は甘く切ない揺らぎを感じるし、性的なイメージも消せない。生命の揺らぎ、薄いガラスの硬質は、割れて砕ける末路を瞬時過ぎらせるものがある。

 空き瓶とポットと置時計が、在ると思えば在るとし、ないと思えばないような、どこか儚げにテーブルの上に乗っている。宙に浮いているとさえ見える、そして、それらを映した鏡。
 鏡の中は、なぜか陰鬱な彩色に終始している。室内は混濁してはいるけれど淡いグリーンであり、オブジェも並べて明るい。浮き立つような明るさというよりは落ち着いた爽やかさの漂う水色、そしてクリーム色・・・この対比。

 鏡の中の極端な暗さは一見すると、オブジェを引き立たせるために思える。しかし、映った空き瓶や電球の周りは、黒に近い暗色に縁取られ、室内のオブジェも、それにつなぐ低い彩度の彩色で縁取られている。フェンスが見えるが、その外部も土色であり、普通の外気の空気の色ではない。そして点いていたランプも明かりは消えている。

 鏡の縁取りは白く、赤・青・黄色の差し色が混じった楽しい配色、色使いである。だから、鑑賞者は騙されてしまう。
 実は、この鏡のなかは、真実を映してはいるらしいけれど虚構なのではないか。
 この暗色はもう一つの世界への導入部として描かれているのではないか。

 現実と非現実の大きな相違、それは、観念の有無である。人間を支配する時間、決して戻ることのなく一方向へのみ進む時間という支配。作者はそれを意図的に鏡には映らない位置関係に置いている。

 時空の自由な(the another world)・・・しかし、愉しいという感覚ではない。死の予感、死への恐れを斜めに構えてみている。いまの自分がそっくり向こうへ逝く日を凝視している。

「この絵の手前のオブジェ、この所在無げな不安定な物は(わたくし自身)である。それを映したならば、この通りでございます」という金山康喜の声が聞こえる気がする。
 明るく清明な印象さえあるこの絵の独り言を、わたしは眼を瞑って聞いている。(写真は神奈川県立近代美術館カタログより)

『冬のスケッチ』69。

2015-03-31 06:29:57 | 宮沢賢治
 
二五        *
    きりあめのよるの中より
    一すじの西の青びかり、
    はじめは雪とあざわらひ
    やがては知りつ落ちのころ
    薄明穹のひとかけと
    ほのかにわらひ人行けり。


☆自由が溢れる精(たましい)の照(普く光があたる=平等)の説(はなし)を致(招く)絡(すじみち)を吐く(言う)。
 冥(あの世)を究(つきつめる)図りごとの講(はなし)である。

『城』1923。

2015-03-31 06:16:26 | カフカ覚書
しかし、あなたは、なにひとつ隠したりなさらないわ。これは、お内儀さんもくりかえし言っていました。それから、お内儀さんは、さらにこう言いましたわ。いつでもいいから機会があったら、あの人の言うことをほんとうに聞こうとしてごらん。うわべだけ聞くんじゃなくて、ほんとうに聞くんだよ。


☆しかしながら、何ひとつ隠したりしないと彼女はいつも言っていました。彼女はさらにこう言いました。あなたにいつも言いたいのは、機会があれば真摯に耳を傾けてごらん。ただ表面的にだけでなく、本当に聞くのです。

金山康喜『ヒラメと天秤のある静物』

2015-03-30 07:15:49 | 美術ノート
 テーブルはやっぱり傾いでいる、天窓の線との焦点を結ばない。しかしテーブルの上のオブジェは垂直に立ち、ランプは垂直に下りているので不安定感はない。認識を促さない程度の微かな違和感・・・全くの無風状態でないという作家独特の企みがベースにある。

 窓からは外光が差し込んでいる、室内よりは明るいといった不十分に思える採光である。この窓(壁)が床に垂直(直角)にあるとするならば、このテーブルは後方へ倒れこむはずである、そしてこの上に置かれたオブジェの類は全て落下してしまう、そういう危うい設定を隠された意図として隠蔽している。
 画面の中で、水差しの乳白色のみがシャープさで際立ち、暗い室内に舞い降りた天使(救済)という風な爽やかさを見せている。このすっくと立った水差しの前ではレモンは打ち沈み存在感が薄い。

 その水差しに隠れるようなヒラメの姿・・・まな板の鯉に類した憔悴、諦念。
 天秤で量られる器の中のヒラメは空(空虚)の器よりわずかに重い。その重さが生命力なのか、ため息なのかを、図り知ることはできない。切迫ある哀愁は空虚より重いかもしれない。(仮に燃え上がる情熱などというものは空虚に比して軽いのだろうか)

 ヒラメに託した自身の姿は、水差しの際立つ存在感に比して貧弱であり情けない。高級魚だという誇りはここでは無用のようである。
 ヒラメ(自分)の上に被さるように垂れる電球(ランプ)との距離の近さは、何を意味しているのだろう。滑稽でもあり、救いを求めているようでもあるが、そのランプに光はない。二匹のヒラメと二つの電球、所在なげである。どちらにも活力が感じられない。(ランプは普通に考えて、生命(心霊)の暗示/心の揺れ、情熱の感度)

 望みなしのヒラメは自身なのだろうか。室内の空気は白い靄のかかったブルーで淡い期待(青春時代の希望)を抱かせる青である。

 空虚と天秤にかけても差異の薄い自分(ヒラメ)、恨めしく天井を見上げるしかない。白い水差しは憧れの女性だろうか、あるいはフランスという他国の眩しい活力を示唆しているのだろうか。

《わたしはこのようである》という告白だと思う。(写真は神奈川県立近代美術館カタログより)

『城』1922。

2015-03-30 06:34:03 | カフカ覚書
これでも人を見る眼をもっているつもりのわたしでさえ、まんまと一杯食わされたようなものだよ、と言うのです。しかし、橋屋であなたと最後に話し合ってからは、お内儀さんは、あなたの策略を見やぶったそうです。


☆人見る眼を鋭利にしているわたし自身でさえ、ほとんど分かりませんでした。しかし(小舟)は、ハロー(死の入り口)への仲介、別離の対話です。言葉はあなたとの(争いを)調停したのです。

金山康喜『食前の祈り』

2015-03-29 06:47:56 | 美術ノート
 この作品の印象はブルーである。周囲の暗さに比して、明るさはあるが際立つ透明なブルーというのではない。むしろ打ち沈んだブルーに近い。全体に陽気さはなく、人物は沈痛な面持ちに見える。
 だいたい食前の祈りというものは、今日の糧に対する感謝に尽きると思うが、描かれた人物に喜色は見えない。四人はそれぞれ異なる方向を向いている。家族だろうか、父母と思える人物は落ち着いてはいるけれど、どこか奇妙にズレを抱き深く杞憂している感じが濃厚である。
 背中を向けた人物の様子は不明であるけれど、背筋を伸ばしてしっかり前を向いている。髪形から若いと想像されるが、男か女かは定かではない。
 右端の男は腕を組み首を傾げて、この絵の作者の方向を怪訝そうに見ている。自身に懐疑を抱いているという風である。

 このメンバーは見下ろされている位置に座している。若い作者のおごり昂ぶる気持ちが、無くはない。しかし、絵の中央に直線状に描かれた青いランプ(明かりを灯していない)、空き瓶、そして八分(たっぷり)を残したミルクは何を示唆しているのか。脇の空き缶に見られるような空虚、漠たる不安と少しの希望(少しの甘え)、それが今の自分であるといっているような気がする。
 父母に謝す気持ちと反逆とが混在する胸のうち。自分を許しているのか否かは見えないが、自分はこの道を行くしかないのだという決意。窓の外の景色に映るものは、どんよりとした空気だけ・・・。未知を暗示したような黒い椅子のランダムな配列はこの空間を限りなく引き伸ばしている。いかにも頼りなげな貧弱な椅子、弾むというより沈み込むような、逃げるように足早に去っていくストーリーを感じさせなくもない。
 上方から幾つも下がるランプは、心の揺れと重さ、そしてガラスという質感の持つ危うさと、点る灯りの儚さを提示しているのだと思う。

『食前の祈り』に豪華なご馳走が用意されているのか否かは判らない。四人が囲むテーブルはご馳走が並ぶとは思えない簡素なものである。(もちろん心理的な大きさに過ぎないけれど)そして手前のテーブル、これは遠近法から言ったらかなり不思議な形を呈している、この上に置かれたものは垂直に立って安定しているように見えるが、よく見ると、滑り落ちるテーブルの角度である。家族から離れた場所であり、身を守る楯とも思える。
 青色は哀愁であり、また広い世界(海や空)への期待を含有した彩色に思える。わずかに暖色(黄)を感じさせるのは秘めた情熱を隠蔽し混濁色にトーンを落としているとも見える。心理的、心象風景である。
 食前・・・期待される何かの前の、祈りにも似た複雑な心境を抱く家族の肖像であり、正しく自身の立てる位置の把握を客観視した作品に違いない。(写真は神奈川県立近代美術館n/カタログより)

『冬のスケッチ』67。

2015-03-29 06:36:40 | 宮沢賢治
  雨がふり出し
  却って雪は光り出す
       *
  雪解けの洪水から 杉は
  みんな泥をかぶった。
  それからつゞいてそらが白く
  雪は黄色に横たはり
  鷹は空で口をあけて飛び
  からすはからだをまげてないた。
       *


☆迂(遠回り)して推しはかる。
 却(予期に反して)接(つながる)講(はなし)を推しはかる。
 説(はなし)は幽(死者の世界)の考えを推しはかる。
 太陽に泥(こだわって)吐く(言う)説(はなし)を交えた私記である。
 往(人が死ぬ)を追う。
 空(根拠が無い)の考えを秘めている。

『城』1921。

2015-03-29 06:14:42 | カフカ覚書
あべこべです。お内儀さんは、あなたは子供のように率直な人だ、と言いました。でもあの人の人柄は、わたしたちと非常に違っているから、あの人が言うことがなかなか信じにくい。だれかよいお友だちがいて、わたしたちを救ってくれたら別だけど、あの人の言うことを信じられるようになるまでは、にがい経験をしなくてはならないよ。


☆反対に、あなたは自由な子孫です。あなたの存在は、わたしたちとは異なっていますから、自由に話していてさえ信じるためには困難を克服しなければならないのです。先祖は親切な味方で、わたしたちをより早く救い、禁錮の厳しい経験を通し、わたしたちの相互を信じ、慣れなくてはなりません。

金山康喜『ドアとテーブルの上の静物』

2015-03-28 07:13:35 | 美術ノート
 一見、明るい色調ではある。しかし、どことなく荒い息づかいが充満している。嵐の前の静けさとでも言うような、内的破綻が覗く光景である。

 作品としての闊達なバランス、青と黄には束縛の予兆を感じさせない自由がある。しかし、不安(不安定)は隠せない。
 テーブルの上に置かれたオブジェはそれぞれ垂直に林立しているが、肝心のテーブルは傾いでいるという具合。けれど、四本の支えが不安をかき消している。しかし、それは曲線を描いて集められているではないか。力関係からいえば極めて脆弱な造りだといえる。その下部にいたっては描かれていないので推測するしかないが、危機一髪状態のテーブルなのではないか。もちろん、故意に計算して描いている作家の歪んだ笑いがどうしても垣間見えてしまう。

 ドアは、つまり・・・進入禁止。

 空き瓶に空の缶・・・こんな空っぽの破滅状態の自分を覗くなよ!とでも言っているようである。不思議な空間は奈落の底を隠蔽しつつ、明るいが、影(タッチに見る心理と含みのある下地)のある画面に仕上げている。《自由奔放の虚勢は、崩壊寸前の空虚》なのだと告白している、そんな悲痛な叫びが鑑賞者であるわたしを襲う、そういう作品である。(写真は神奈川県立近代美術館/カタログより)