続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

🈞デュシャン『与えられたとせよ:(1)落ちる水(2)照明用ガス』③

2019-07-31 06:39:32 | 美術ノート

 はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
 神は「光あれ」と言われた。(旧約聖書・創世記・第一章より)

『与えられたとせよ(1)落ちる水(2)照明用ガス』は、「与えられたとせよ」と強引にここから始めている。三態の現象を持つ水と見えること生きることの根源である熱エネルギー(光)は、創造されたのではなく《与えられていた》という始まりである。


 この原始、地上に人類が出現したことの必須の条件を掘り下げ究明している。時間は遡れないが、仮想することは可能である。しかし、リアリティに欠ける。
 デュシャンがとった【覗き見る】という距離感は、正しく直線的であるが抽象的な策である。覗くという視界の狭さによって時空の景色は削除され、ピンポイントで目標に辿りつくという仕掛けである。(視覚における究極のねらい目)

 照明用ガスを掲げた裸婦、草原に仰向けに横になり大股開き、股間は〈凝視せよ〉とばかりの開放。
『元始、女は太陽であった』(平塚らいてう)
 DNAは女性からしか辿れず、生命の起源はアフリカのお母さんとされている。
 女、女の性器から生まれ出た生命。これより他の目に見える証明を知らない。

 時空の驚異的な凝縮、生命の根源への眺望。
『存在とは何か』始まりへのタイムスリップ…厳粛な覗き穴に敬意を表したい。


 写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク(www.taschen.com)より


『セロ弾きのゴーシュ』70.

2019-07-31 06:25:34 | 宮沢賢治

 すると狸の子は棒をもってセロの駒の下のところを拍子をとってぽんぽん叩きはじめました。それがなかなかうまいので弾いているうちにゴーシュはこれは面白いぞと思ひました。


☆理(物事の筋道)の旨(考え)を謀(計画する)。
 句(ことば)のか(形、性質を変えて別のものになる)で表す死の講(話)である。
 談(話)は綿(細き長く)博(大きく広がり)到る。


『城』3235。

2019-07-31 06:12:33 | カフカ覚書

どうしてそんな必要がありましょう。肉体の力も、ある種の限界までしかもちませんからな。この限界というものは、ほかのばあいにも大事なことなんですが、どうしようもありませんやね。こいつは、だれだってどうすることもできません。宇宙ですらも、そのために運航を修正して安定を保っているわけです。


☆勢力もある種の境界までしか届きませんから。そのために境界というものが正しく完全に意味があるのです。
 ええ、それに対して誰も何もできません。そうして宇宙はバランスを保っているのです。


🈞デュシャン『与えられたとせよ:(1)落ちる水(2)照明用ガス』②

2019-07-30 06:24:50 | 美術ノート

 落ちる水とは、重力があることが大前提の水惑星である地球ということである。
 照明用ガスとは、太陽から送られてくる熱エネルギー(光)であり、水と光が地上の根本原理であるという表明だと思う。
 それらは人智が創造したのではなく、《あらかじめ与えられたとせよ》という宇宙の神秘、宇宙の意志であり、詮索無用の起源であるとしている。

 存在の発端から現代までの時間空間、相当に長く、否、短いかもしれない。わたしたちはこれから先の未来を知らない。
 確かに時間の経由はある、たとえば扉に見る木材の劣化や修繕を施した形跡という人為によって連鎖する時空の証明。しかし空間の方は何万年の経由にもさほどの相違を見ない、つまり扉一枚の向こう側に等しい空が広がっている。

 簡単に開けられるかの扉の様相、(叩けよ、さらば開かれん)そうだろうか。
 なんとかして過去(存在の根本原理)を垣間見ようとする眼差し、人から出た手垢の集積・・・自己の確認、すべての始まりである存在への飽くなき究明は人類の最大の関心事である。


 写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク(www.taschen.com)より

 


『セロ弾きのゴーシュ』69.

2019-07-30 06:16:01 | 宮沢賢治

「ふう、変な曲だなあ。よし、さあ弾くぞ。おまへは小太鼓を叩くのか。」ゴーシュは狸の子がどうするのかと思ってちらちらそっちを見ながら弾きはじめました。


☆片(二つに分けた一方)を極(きわめる)談(話)である。
 照(あまねく光が当たる=平等)の態(ありさま)は個(一人一人)が光である。
 理(物事の筋道/宇宙の根本原理)における死の旨(考え)が現れる談(話)である。


『城』3234。

2019-07-29 07:27:02 | カフカ覚書

さあ、いらっしゃい。お見受けしたところ、まだ眠りを払いのけきれないでおいでのようですな。お行きなさい。いったい、まだここに用があるのですか。いや、いや、ねむいなんてことは、言いわけなさるにはおよびませんよ。


☆さあ、いらっしゃい。まだ完全には眠りから抜け出せないように見えます。さあ、行きなさい。まだここにいたのですか。
 眠いなんて、言い訳は許されません。


🈞デュシャン『与えられたとせよ:(1)落ちる水(2)照明用ガス』

2019-07-29 06:00:56 | 美術ノート

   『与えられたとせよ:(1)落ちる水(2)照明用ガス』

 与えられたとするしかない(1)落ちる水=雨、(2)照明用ガス=太陽は、生命の根源である。
 水地球、海とオゾン層(20~50キロ上空)、酸素の供給や太陽や地熱ガスなどの条件が生物の生存を可能にした。
『与えられたとせよ』生命の前提条件であり、その初期状態に関しては言及する術を持たないが、とにかく「与えられたとせよ」と断定することで生命の誕生を推しはかることが可能になる。

 総ての始まりはここに在る、つまりは水と光のエネルギーに端を発している。

 作品にみる扉上方のアーチは煉瓦と共に人智の成せる技であり、思考の証明でもある。物理的条件に精神的条件(人智)が競合し得た始まりである。
 木材による扉、至る所に劣化の痕跡があり修復の跡が見える。釘を数多打ち付けてあるのは、隠蔽への強固な意志の表れであり、羞恥という秘密への自覚である。

 決して開けてはならない闇。
 性(sex)の閉塞性、連綿と続いている生命連鎖の鍵、矛盾と本能のせめぎ合い。
 無理にこじ開け、どうにか自らの眼で確認したいという欲求が、覗き穴に付着した手垢に残存している。


 写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク(www.taschen.com)より


『城』3233。

2019-07-29 05:45:33 | カフカ覚書

彼はぐっすり眠れる質なのですが、なにしろわたしたちの話声が大きすぎましたからな。ある種の事柄について話しているときは、自分の気持ちも声もおさえられないものでしてね。


☆彼はよく眠れるのですが、わたしたちは大声で話していましたからね。ある種の事情を話す時には声も制御できません。


🈞デュシャン『埃の栽培』③

2019-07-26 06:47:04 | 美術ノート

 これは単なる現場証明の写真ではないが、人為の介入しない風(空気の動き)の媒介する景色である。
 ここに意志というものは無く、生活機能の術は皆無である。
 しかし、現象の一刹那を切り取った写真には撮ろうとした眼差しが確かに存在する。

《時間と空間》の混濁、曖昧かつ偶然の混迷、決して好意的には扱われないゴミ屑という代物への観察眼。
 空中の微塵の留まり処、降り積もる静謐も一陣の風で景色を激変せざるを得ない。

 しかし、精神の介入しない世界のなんという穏やかさ、自然の法則への従順。美醜の基準は精神的な観察にすぎない。

 埃は誰にも気づかれぬ間に育っている。秘かな時間の営み、空気の淀みがそれを栽培しているが、持続と成長については確信はない。
 生命をもたないものの変化を栽培と名付けるのはジョークかもしれない。そこに意思の介在はないのだから。


 写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク(www.taschen.com)より