♫まりあ☆の、ちょっぴりスピリチャル♬

自由に楽しく生きるには~🎶

読んだらちょっぴり心が軽くなる、そんなブログで~す(^.^)

突然のキュルキュル

2014-01-27 21:33:30 | 日記
おととい(1月25日)夜9時過ぎの事。

夕飯を食べようとしたら、突然お腹がキュルキュルと痛くなった。

すると、ほんの2~3分前まであったはずの食欲が全くなくなり、

米粒1粒も食べたくなくなった。


家の外では知らぬ間に雨が降り出し、結構な雨音が響いている。


何故急に、こんな風になったのか…。

(なんでかな、なんでかな?なんか変だな…)

と考えたりしながら、仕方がないので、梅肉エキスを舐め舐め横になった。


夜通し、その雨は降り続き、

やがて、どこか不自然なほど、穏やかで静かな朝がやって来た。

それが、きのう(1月26日)


目覚めて雨も腹痛も治まっていたが、全く食欲がわかない。

1日や2日食べなくても、人間全然平気とよく分かっているのに、
(食べないと死んじゃう…!)と恐がっている自分もいて、やれやれと溜め息。

実はこれは子供の頃、私がさんざん親から吹き込まれた想念。

『病気の時は食べないと元気にならないよ。』とか、『どんどん食べて早くよくなって。』とかね、
よく言われたんだよね…。

だから今でも、具合が悪くなると、すぐその【思い込み】が顔を出す。
それは、【間違った思い込み】と分かっていても、【恐い】という感情がわいて来る。

だいたい、そもそも私は、死んじゃうことを恐れていない。
それを恐がっているのは、私の身体(肉体)なのだ。

ああ、めんどくさい…。

またこういう時は、気持ち(感情)もトコトン落ち込んで来たりする。

自分が、ちっぽけで惨めな生き物に思えたり、
生きててもイイことなんて一つもないって思えたり…。

こういう状態を【鬱】って医学的には言うのかもしれないけど、
霊的な視点で見ると、
こういう時こそが、過去の感情や、これからの自分にとっていらないものを、
捨てている時なんだよね。

スピリチャル用語では【浄化】と呼ばれる状態の一つ。


と言うわけで、雨は上がった(※雨は地球の浄化でもある)のに、
きのうの私の浄化は、日がな一日続くこととなった。

こんな時、浄化だろうと分かっていても、辛いものは辛い。

身体全体に、得体の知れない圧力が掛かってる感じで、
ドコがと言うわけでないのだが、ともかくしんどい。
少し歩くだけでも、息が切れる…。

気分はトーゼン最悪。
仕方がないので、ともかくゴロゴロしていた。

こういう時に、無理に逆らって元気なふりをしたって効果なし。

嵐が過ぎ去るのを待つように、ただじっとしているのが良かったりする。


そして今朝。目覚めると、いつもより晴れやかな朝が待っていた。

なんだかすべてが軽く感じられる。

お腹も全く元気になっていて、不調だったのがウソのよう

やっぱり【浄化】だったんだ~って笑みがこぼれる
鼻歌まじりで洗濯や何やらの家事を終え、
普通に買い物にも出かけた。


今回は奇跡的と思えるほど短期間の【浄化】だったが、

こんなことを、今までに何回も繰り返してここまで来た。

ほんとにヤレヤレだ。

いや、ありがたいって言っておこっと。

お陰で、こんなに軽いラクラクの自分になれてきたんだものね。


だからみなさん、しんどい時はチャンスです。
その先に必ずより良い未来が待ってます…と思って乗り切ろう ねっ

千寿音からお知らせ(プチ リニューアル)

2014-01-23 21:04:22 | 日記
 
 ☆2014年 立春 2月4日より
  
① サロン名が
  【千寿音】  
    ↓
  【千手音】に変わります。

② 個人セッション(2時間 10000円)
    ↓
  時間延長ご希望の場合
  【60分毎 5000円】で承ります。
 

③ 電話セッション (1時間 5000円)
    ↓
  初めての方も【可】になります。
  ※ なお内容は、カウンセリングのみです。
    まずお電話かメールにてお問合せ下さい。

 以上3点、プチ リニューアルのお知らせでした 
 今後とも、よろしくお願いいたします

めがね

2014-01-18 22:11:50 | 日記


去年の暮と今年の初めに、メガネを1個ずつ買った。

先に近眼用のを買い、後に老眼用のを買った。

どちらも人生初、じゃじゃじゃ~ん!の、メガネデビューである。


私の目は、左右で視力差があり過ぎる。

小4の時、右目の視力がどんどん落ちて、
0.1に満たないほどになり、
以来何十年も、
遠くのものは左眼で、
近くのものは右目で見て来た。

今思うに、当時父を失ったショックが、
左脳(現実)と繋がる右目を見えなくさせたのだろう。

きっと私の身体は、辛い現実から心を護るために、
物理的な視力を閉ざしたのだ。


まあね、不思議なことに、
左目は全然悪くならなかったので、
今日まで、メガネのお世話になることなく生きて来れた。


しかし、ここ最近、
言いたくはないが、
やはり寄る年波には勝てぬとばかりに、
視界がぼけるようになり、
雨の夜など運転がどうも怪しくなってきた。

信号の色は分かる(もちろんだ!)が、
形はボヤケタ万華鏡のごとく膨張して見える…。

そんな中、
その日もいつものように、
(ふ~む困ったなあ…)と思案しつつ、
スーパーのカートを押し押し歩いていると、
ちょっと前にオープンした眼鏡屋の前で、
突然目が釘付けになった。

(えっ…!? 何これ? ミッキーの、メガネっ?!!☆)

(なになに?? おおぅ~、ミニーのもあるじゃん!)

なんと、「期間限定品」と書いてある看板の下に、
可愛いディズニー模様のフレームが、所狭しと並べられていた!!

(☆☆ おおお~っ! ☆☆) 

で、 即決! 即買い!!

私ね、いつもはディズニーとか大して好きでもないんだけど、
なぜか、これらのメガネはド・ストライクだった。


そんな訳で運転用のと、パソコン用のとの2つが、今、手元にある。

最初はケチって1個だけにしたのだが、
使ってみたら良かったので、
やっぱり、もひとつ頂戴ということに…。


このお品、
スゴイ気に入ったので、お正月に早速実家にして行ったら、

弟には、

「なに?そのウルトラマンみたいなメガネ。」

と言われ、

妹には、

「ヒョウ柄のメガネかと思った。」

と言われた…。
(↑実際は、ピンク地に黒のミニーが沢山プリントされている柄のフレーム)



そうね、そうよね、そう言われればそう見えなくもない…。

でもッ私はそんなのにはメゲナイのだ!

自分がイイと思ってるんだからイイのさ!

おばちゃんだって構うもんか、
ミニーのメガネは可愛いの


  ※注  ちなみに、老眼用はディズニーでなくパリの街のイラストのにした。
      理由は、予算不足…。  とほほ

「御守り」と「祈願」

2014-01-12 13:19:54 | 日記
さて、そもそも神社とは、【人の願いを叶えるために在らず】

本来は、今風にいう、パワースポットに建てられたものだと思う。


古代、人々は、大樹(森)を敬い、水(川)を敬い、お日さま(天)に感謝し祀った。

なぜなら古の人々は、

それらの恩恵なくして、自分達が生きていくことは出来ないと、
知っていたから。

災害が起きないように、十分な実りが得られるように、
穏やかに暮らせるように、

自然という神々(精霊)を敬い祀った。

そこに謙虚な畏れがあった。

だから日々の感謝の上、供物をそなえる祭りを行い、
また神(精霊)も、それに答え人々を見守り助けた。

※例えば富士には、
 ある時龍神が顕われて、村人たちに噴火を知らせたため、
 皆、逃げおおせて難を逃れたという話が残っている。

そして神々を祀る際に、
人と神の間に立ち、
それぞれの仲立ちを勤めたのが、
本来の神主や巫女の姿。


やがて時が過ぎ、
世に大和朝廷の王制が敷かれると、
まず王家の祖先と言われる存在が、
既存の社に神として加えられ、主祭神として祭られるようになった。

※人が死んで後、神として祭られる例は近い時代にもある。
 「菅原道真」の天満宮とか「徳川家康」の東照宮などもそれにあたる。


だから、天津神と言われる、アマテラス系の神々は、
もとは、実在の王族の人達だったのだと私は思っている。

当時は普通にこの世に生きていた人間で、
死して後、神となった人々。

ここで驚くべきことは、
卵が先か、鶏が先かのような感じで、
神として祀ったから神になったのか、
もともと神的な力を持っていたから神となったのかは
謎ながら、
確かにそういう神々は、広大なパワーと共に、
現実に、この世に存在されていることだ。


※(余談になるが、それを確信したのは、
  神として姿を現された、
  織田信長公にお会いしたときだ。

  生前、自分を神として崇めよ!みたいなことを言われていたのは知っていたが、
  まさか死後、本当に神になられていたとは知らなかった。

  あの時は本当に驚いた。

  長くなるのでこの話は、また別の機会に詳しくしようと思う。)


さて本題に戻るが、

よって、日本の神社の神々が、
人のお願いごとを叶えるために存在されているのではないという事が、
何となく分かっていただけたかと思う。
(特に、もともとの自然霊たる精霊系の神々にとっては、願われるのは迷惑至極)


「御守り」やその他神社で買い求められる開運グッズは、
ことの始まりとしては、
祭りに使われた稲わらとか木切れ、お供えものとかを、

(神事に使われたものなので、
きっと神さまの力が、少しなりとも宿っているに違いないから、
どうかその物を持つことで、御神徳に預かれますように…)

という気持ちで、
持ち帰ったものなのでは無いかと思う。

それが、徐々に、
神社の運営や存続、
神官たちの生活費を得るためのグッズとして、
社務所で売られるようになったのではないか…?

それが私の推測だ。

もちろん御祈祷をして作られているものなので、
それらをインチキ商品呼ばわりするつもりは更々なく、
けれど、それを持っているからといって、
誰もが、御神力を受けられるという品でもないと思う。

だって「御祈祷」とは、「お願い」である。
神主さんから、神さまへのお願い…。

だから「御守り」などには、その神主さんの「お願いパワー」は宿っている。
だけれど、
お願いされた神さまが、その「お願い」をお聞き届けになるかどうかは、
神さまの御意志次第。

イヤなら無視される。

当然だよね。
まあ普通、完全無視はないと思うけど…。

だからと言って、(ここが重要だが、)
「御守り」なんて、気休めというわけではない。

ここでポイントとなって来るのが、
【ご縁】であり、【自分の在り方】なのだ。

先祖代々お世話になっている氏神さまには、
誰もがそれぞれのご縁を生まれながらに頂いている。

氏神様は氏子のことを、
大抵はちゃんと気にかけて、護って下さっている。

それから産土の神。
これは自分が生れた場所に祭られている神様のことで、
この神も、生涯に渡り、自分をサポートして下さる神となる。

そういう【ご縁】をいただいている神社の「御守り」などを持つことは、
神さまとの形ある物質的な物を通しての繋がりを持つことになり、
神さまのお力も、その物を通じて働き易くなるのである。

更に加えて、そこに【自分の在り方】も関係してくる。

これは人付き合いと似ている。

人間同士だって、
こいつイイ奴だと思えば、仲良くなったり力になったりするだろうが、
欲深だったり、傲慢だったり、
ともかく嫌な奴のためには、働きたくなくて当然。

結局は、自分が、今どう生きているかということが、大切なのだと思う。


そして付け加えるに、もちろん神さまは、
災難を軽くしたり、命を助けて下さったりすることはあるが、
望みのものを、魔法のように下さることは殆ど無い。

「棚からぼた餅」を狙って、何にもしないでお願いだけしていても、
まず、何も得ることはない。

【夢は叶う】とは、成功している人から、よく聞く言葉だが、
そういう人達は、「自分の努力?」も人一倍していたり、
本当に、心から他者のために、働いていたりする。

【人智を尽くして天命を待つ】というのが、正しい人間の在り方なのだ。


そういう態度で生きている時、
本当に自力だけでない、
奇跡としか言いようの無いサポートを得る。


☆  ☆  ☆


と言うわけで、
年明けに甥っ子の御守りを熱田神宮に頂きに行ったのは、
そこが、うちの家系的にも、私の個人的にも、
大変ご縁の深い神社だから。

ですから皆さん、まず氏神様に感謝を忘れず、
より確かな、良いご縁を育てて下さいね。

生まれ育った場所に住んでいない人も心配しないで大丈夫。
今からでも、その土地の氏神さまに出向いてご挨拶し、
そののち感謝を忘れずに暮らせば、
ちゃんと氏子にして下さりお守り下さいます。

遠くの人気神社にわざわざ出向いても、
何のご利益もないということは大有りなので要注意。

そして基本的に、神社の神々は、
人の願いを叶えるために存在されているわけではないという事も、
忘れずにお願いします。


神社に参ったらまず感謝。
それだけで、実は自然に恩恵をいただけるものです。
願わずが花。
神には、その人に必要なものや事、
すべて分かっておられます。
























なぜ雨なのじゃ…?!

2014-01-08 18:01:39 | 日記
なぜ雨なのじゃ?なんて、
怒ったって?!仕方ないんだけど、
今日は朝から雨。

えんえん、ず~んと雨。

うちは今年の冬、
まだ1度も雪が積もっていない。

こんな年も珍しい気がする。

雪国で、
除雪作業に追われている人々のことを思えば、
マコトに不謹慎だが、

「雪~雪~、降っておくれ~~~※※※」


冬の雨は心底冷たいからキライじゃ。

腰に貼り付けたカイロがなければ、
外に出る勇気も出なかった。

カイロのお陰で、
嫌々ながらも雨の中、灯油を買いに行けたのだ。
まあ、車で、ですけど…。
特に、濡れませんけど…。


一方、
人間は、なるほど面白いと思ったりもする。

人間の感情は気圧にも左右されるのだそうだ。

例えば、低気圧が来ると、
鬱ウツとした気分になり易いのだと。

それ、有りなんだろうなぁ~。


そうそう、
5日の日、熱田神宮に初詣に出かけたら、
ちょうど【初えびす】だった。

参拝の目的は、
甥っ子の合格祈願だったのだけれど、
それならという事で、
【熊手】を頂戴して帰ってきた。

ということで、
【お守り】や【祈願】について、
お話しようと思う。

が、

今日はこれまでだよ~ん。

だって、雨だもん。