☆マリアのスピリチュアル?あれこれ☆

日々の暮らしの中で起こったちょっぴり不思議な出来事とか、発見!など、
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お相撲。

2009-09-29 15:26:54 | 日記
稽古不足と言われた朝青龍が、優勝しちゃった今場所。
テレビのワイドショーで、またまた【横綱の品格】が取り沙汰されていた。

【相撲】を伝統文化とみるか、スポーツとみるか…。
そこが、話題の中心になっていた気がするけど、
(それだけじゃあ、ないよなぁ~。)
と思いながら話を聞いていた私。
(もひとつ、【神事】としての側面を、みんな忘れてる?もしくは知らないんじゃない?!)


もともと、お相撲と言えば、ただの力比べじゃなくて、
神さまに奉納するものだったんだよね。
だから横綱ってば、神社のしめ縄みたいのを着けて土俵入りするんでしょ?!

多分ほとんどの人は、神社に本当に神さまがいるって思ってないから、
その神聖さとか考えることもなく、
あのいでたちも、只の伝統として受け継がれてきた、儀礼的なものと考えているのでしょう…。

日本人だって、そんな感覚なのに、外国人力士にそんなのわかりっこないよ…。

でもね、
【茶の湯】や【生け花】だって、日本固有の伝統文化だけど、
それでさえ、
その所作やしきたりがなければ、【茶道】【華道】にはならないでしょ?!
だって、喫茶店で淹れてくれるお茶は、茶道じゃないよね…。

【相撲】はそれに加えて【神事の側面】まであるんだから、
色んな決まりごとや、【武士道】みたいな精神性があって然るべきだし、
そこで【横綱の品格】という言葉が出てくるのも、
私個人の認識としては、当然と思うわけ。
でも如何せん、その感覚が一般の人々に浸透してない事実があり、
またそういう内容に関しての分かりやすい説明も、人々にされていないのが現状…。

【相撲】はレスリングやボクシングのように、
ただ個人の力量を示し、ファイトマネーをもらうだけの【格闘ショー】じゃなくて、
それに上乗せした【道】という精神性や【神事】という側面を持ったものだからこそ、
自信を持って世界に誇れる、日本の伝統文化なのだと私は思っているのだけれど…。

元々そうであるはずの【稀有】な競技を、
ただの【ショー】と、ひと並びにしてしまうのは、
あまりにも、もったいないという気がする。

伝統や文化は、【今】作ろうとして、すぐ出来るものではないもんね。


朝青龍だって、悪い人でないと思うし、
そこら辺の所をよくよく説明すれば、
日本文化に関して、たとえ本当には理解できなかったとしても、
どうして、あんなにウルサク注意されるのかには、
ちゃんと理由があるわけなんだと、分かってくれると思う。

横綱が、ただの【チャンピオン】だけではないものなんだと感じることで、
より誇りを持ってその職務を務めてくれるかもしれない。
そうすれば鬼に金棒だよね~。

まあ、いろいろな意見があると思うけど。


それにつけても私としては、
もっと多くの人が、神は本当に存在するって分かってくれるといいんだけどなぁ~という思いがあり…。


神社に祀られてるのは殆どが【自然霊】(土地や樹、岩、水や風などの精霊)で、
人間の願い(個人的欲望)を叶えるために存在しているわけではないということも、あわせて知ってほしい…。


古来日本人は、他の国のネイティブな人々(インディアンみたいな)と同じく、
自然霊を敬い、動物や植物も魂の宿るものとして大切にし、調和を図って生きてきた。
神社はその【象徴】でもあると思うの。

日々、様々な恩恵を与えられていること、生かされていることに感謝し、
また、
日照りや干ばつ、台風などの天災に遭わないように、恵や実りを願う場として、
受け継がれて来たものであると。

だけど戦後、それらの精神は、科学的根拠もない【迷信】みたいに位置づけられ、うっちゃられてしまった…。

それでも変わりなく、神々は、今ここに存在し続けている。
私たちの魂が存在しているのと同じリアルさで。

ただ、物質化していない状態だけに、一部の人にしか肉眼では見えないだけなのよ。


前にも書いたかもしれないけど、神社に祀られている神は、
死後、神に祀り上げられた元人間という場合もあり、
その中では【藤原道真】とかが有名だよね。

でもあれは、実は時の朝廷側が、道真の怨霊を鎮めるために建立したもので、
いわば【怨霊封じ】 
どう考えても、願いを叶えてくれる神さまとは成り難い気がする…。

そして神社の中で一番多いのが、
大和朝廷が、その力を日本全土に知ら示すために置いたと思われる、
皇室の先祖とされている神々。
(もともと自然霊が祭られていた聖地に、その時代に祭られたものらしい。)

アマテラスオオミカミをはじめ、みんながよく知っている神々たちなんだけど、
この神たちも元は人間だったり、宇宙人(他の星から地球に来たということ)だったりで、
やっぱり、私たちの望みをかけ引きなく、何でも叶えてくれるとは、思い難い…。


というわけで、現在の私の考えでは、
無条件に私達の幸せを願い、力になってくれるのは、宇宙広しといえども【天使】しかいないということになる。
(※ 仏教系のことまで言い出すと、話しが終わらなくなるので、
それについては、また別の機会に。

【天使】は、万物の創造主たる神の光そのものが、分かたれて作られているものなので
全き光の存在であり、不調和も持たず、ひたすら【無条件の愛】で働いてくれるわけで、
【奉仕】することが彼らにとっての【至上の喜び】らしい。
だから【見返り】を求められることもない。
安心して願ったり、助けを求めたりしてもいいわけ。

でも、くどいようだけど、神社の神さまは違う。
その神に、パワーがあれば、願いを叶えてくれることもあるけど、
そういう時は、代償を持っていかれるらしいのでお気をつけあれ。

なんかで読んだんだけど、
<願をかけるとは眼をかけること。
願いが叶った暁には、眼(その人にとって大切なものの意味もある)を持っていかれるので注意すること> だって…。
怖いよね…。

付け加えると、【龍神】に至っては、もっと厄介なので、
ゆめゆめ【願掛け】などは、なさらぬようにお願いいたします。









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象。

2009-09-27 13:22:27 | 日記
今朝方、奇妙な夢を見てハッと目覚めた。
時計を見ると5時すぎで、外はまだ暗い。

夢の詳しい内容は忘れてしまったが、
気がつくと、
私の周りを囲むように、苦悩に満ちた鳴き声を上げながら、
数頭の象が立ち並んでいる場面だった。
つと見れば、彼らの長いはずの鼻は、鋭い刃物で切り落とされたのか、
途中から無残にぶつ切りになり、赤い肉と白い骨が生々しく痛ましい…。

(!、なんということ!!)

そのショックで息を呑み、パッと目が開いたというわけだ。


夢だったとわかって、一瞬、
(また、【魔】に入られたかッ!?)と思ったけど、

次の瞬間に
(それは違う。)とわかった。

(象牙だ。)と閃いたからだ。


現在はどうだか知らないが、かつて人間には、
象牙が欲しいばかりに、際限なく象を殺した時代があったと聞いている。
象にしてみれば、それはどんなに痛ましく残虐な行為であったことだろう。
その時受けた、苦しみ、怒り、無念さは如何ばかりであったことか…。


そう思い至ると、なぜ今日突然、【象】なのかはわからなかったが、
ともかく申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

早速暗がりの中、手探りでお香に火をつけ、それを両手で握り締めながら、
ひたすら【象の精霊達】にお詫びの気持ちを申し述べた。

人間のしたことには、弁解の余地もない。
「どうか赦して下さい。」とは、
いつものことながら、言えなかった。

この地上で人間のしていることは、他の生命からみればあまりにも身勝手で、
ただ一言赦して下さいと言えば、それで赦されるようなレベルではないと常々感じているからだ。

「人間は、どうしてそんな酷いことができるのだろう…?」というのが、
私の子供のころからずっと持ち続けてきた、やる方ない心情。
【欲しければ、殺してでも採る】、以前はそんな【人間】がどうにも許せずキライで、
でも自分は紛れもなくその【人間】の一員であることが、心の傷にもなっていた。


話しは飛ぶけど、個人的には、養殖も酪農も合鴨農法もキライ。
過酷な環境に動物をおいて、利用するだけ利用して、役に立たなくなったら【処分】する。
または最初から食べるため、殺すために育てて市場に売りに出す。
動物には自由も、楽しい未来もない。

家畜は人に食べられるため生れてきた、もしくは存在しているという考えには、
私はどうしても賛同ができない。
例えば、豚も牛も知能が高い。
けれど人なつっこく穏やかな性格だったため、人に飼われるようになったと聞く。

命が【処分】なんて言葉で、物みたいに扱われてイイわけがないし、
そこには基本的に、他の命を、自分が生きるために最小限頂くというスタンスがない。

本来【人】は、自分の食べるものは、地球から与えられたものを有難く頂くのが道理で、
それが出来ないのなら、せめて【感謝】ぐらいはするべきだと思う。

特に文明人は、自然のものでも搾取するだけ搾取するし、地面に線を引いて、自分の土地だと主張したりもする。
ついには川の水や空気、果ては海まで、我がものと思っているとは、一体何様のつもりなのだろう。

すべては【地球のもの】で、人間はそこに【住まわせてもらっている】だけなのに…。
作物だって、太陽の光、雨、大地があってはじめて実るもので、
いくら人間が自分で耕して作ったつもりでも、実際それだけでは何も育つことなどできないのに…。

[←人工的に試験管の中や、工場などでも、
化学肥料や光などがあれば、野菜は作れると思う人もいるかもしれないが、
私からみれば、それらは生命エネルギーを含まない、野菜の形をしただけのモノである。]


人間には、このように自分たちがしている非道に、全く気づかず、悪気も持たないほどの【無知】なところがある。
全部が全部そんなわけではないけれど、少なくとも、
お金になるからとか、その美しさ(例えば象牙、毛皮など)を、手に入れたいからという勝手な欲望から、
命の尊重も感謝もなく奪い取る【あさましさ】【幼稚さ】【野蛮さ】は、過去にも現在にも繰り返されている現実だ。

ともかくそんなことをツラツラ、声でない言葉にして、ひたすら象に天に詫び続けた。

(詫びる以外に、私に何ができる?!…。)

自分の非力も感じながら、愚かな【人間】の一人として、ひたすら必死に謝罪していると、
暫らくして、開け放した窓から、サーッと雨の音が聞こえてきた。
それは徐々に強さを増し、本格的な降りになったが、
不思議にどこまでも優しく静かな雨だった。

(ああ、地球が癒しの雨を降らせてくれている…。)

反射的にそう思った。
(ありがたい…。)そう、心底感謝した。


地球は今までも人知れず、時々にこうやって、人の起した過ちを静かに癒し、
正してきてくれたのだと思え、より一層感謝の念が深まった。

(そういえば確か今日は、【青い手】の日だったなぁ…。)
と、ぼんやり考えもした。

(やっぱり地球は完璧だ。癒しのエネルギーに満ちたこの日に、こうやって雨を降らせてくれている…)


結局なぜ、【象】が出てきたのかは、全くわからない。
そこに至る脈絡が何もないし、私の日常とも全く関係ない。
多分他の生き物を代表して、【一つの象徴】として出てきてくれたのだろう…。

そんなことを考えながら、
もし現実に今此処に、苦しみに囚われて天界に行けない象の魂が来ていたのなら、
どうか癒されて、行くべき所に行けますようにと、祈りを捧げた朝だった。

※ 雨は10分程降った後上がり、晴れの天気となりました。







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『奉仕』の月に入りましたね。

2009-09-21 19:28:55 | 日記
9月20日より、【マヤの13の暦】でみると、【3の月(奉仕の月)】に入りました。

あ~やれやれ。って感じです。

今年も【2の月(チャレンジの月)】の28日間は、毎日がチャレンジの連続。
私にとってこの月は、大体毎年、
次から次へと暴かれてくる、それまで心の奥に隠してあった【恐怖】と向かいあい、それを越えていくことに費やされている気がします。
そうとわかっているものの、毎年翻弄されて、お約束のようにぐったり疲れているわけなのですが…。

気のせいか、3の月に入ったら落ち着きが出てきたようで、物事もわりと冷静に捉えられるようになってるみたい…。

3の月は、1の月から始まった新たな流れ(エネルギー?)が、何らかの形をとり出す時みたいで、
具体的な動きはなくても、進む方向が見えてきたりとかするかも…。
キーワードは【奉仕】なのですが、だからといって『ボランティア活動せい!』というわけではなく、
マヤの意味合いでは、
私達ひとりひとりに与えられている役目、(本では、惑星への奉仕となっていたと思いますが…)
要するに【天から与えられた仕事=奉仕】をすることのようです。
私見ですが、必ずしも、その目的が、お金を稼ぐことではないので【仕事】でなく【奉仕】なのかな?!

ここでも、目の前に起こってきた事に、ちゃんと向き合って誠実に対応していくことが大切で
それをしていると、自然に奉仕をしていることになり、次に導かれていくようですよ。

とはいえ、【秋分】も大きくエネルギーが動く時ですので、
ここ数日は、人によっては、眠くてたまらなかったり、体がだるかったりなど様々な症状が出たりするかもしれません。

そういう時は、無理をせず、それも天の計画の内と思って、
体に任せているのが良いと思います。(もし眠かったら、ひたすらグーグー寝ること。)


さて、秋も本番の気配になってきた今日このごろ。
空も高くなり、風も澄んで爽やかになってきました。

この気持ちよさを体感できるのは、肉体があればこそですよね。
感謝して、元気に野山に出かけたり、美味しいものを食べたりなど、思いっきり楽しみたいものです。









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鳥のように 心軽くあれ

2009-09-18 10:55:15 | 日記
  

  私達が 生涯かけて日々つくり上げているものは  

  砂山のようなものだ


  どんな 思い入れがあろうと   いつかは天に 地に返す

  ひととき 預かった 生命(いのち)…



  でも その ひととき 具現化された情熱は
 
  刹那に美しく 尊い

  世界に一つだけの人生   一度きりの砂山

   
  『我 砂に伏し  砂の暖かさを 思う

  いつか崩れゆく砂山の  その潔さに   彩り在る』


  生きている実感  頂きものの いのち

  今 生かされている 感謝…




  喜びは いつも静かに [ ここ ] ハートの奥に存在していた


  それに気づくのに なんと膨大な時間 この空間を さまよい歩いたことか…


  

  

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心身共に疲れた夜に…。

2009-09-15 22:03:09 | 日記
さて今日は、

「なんだか1日、とっても疲れたなぁ~。」という夜に、お勧めのCDを1つ、ご紹介します。

※   『Live at くるみの木』  tico moon   ※

アイリッシュハープとギターのデュオ曲。
ジャケットの両手鍋の絵が象徴するように、冬の寒い日に、木のスプーンで温かな野菜スープを一口飲んだ時のような安堵感。
ハートの中心から暖かさがじんわり広がって、カチカチになった体や心を優しく解きほぐしてくれるような心地良い調べです。

『くるみの木』という、奈良のカフェ&雑貨店で2005年12月17日におこなわれたライブを収録したCDなので、
途中、観客の拍手の音なども入っていますが、全然気になりません。
それどころか、時々入っている薪ストーブの薪がはぜる音などが、
実際自分も火の側に坐っているような気持ちにさせてくれ、余計、癒される感じです。

これからの季節、秋の夜長に、
柔らかなウールのひざ掛けにくるまって、ブランデーをちょっぴり加えた甘いホットミルクなんぞを飲みながら、
ボーっと聞いてみたいCDでもあります。





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