☆マリアのスピリチュアル?あれこれ☆

日々の暮らしの中で起こったちょっぴり不思議な出来事とか、発見!など、
ハートからシェアしちゃいます♪

時代の音

2016-10-17 15:34:28 | 日記
その世代ごとに、『時代の音』がある。

それは、その時代に生まれてきた人の持つリズムや質、
波動にリンクしているのだと思う。
それを表す、とも言える。

※  ※  ※

『君の名は。』
を見てから、『君の名は。』の余韻がまだ続いている…。

その効果?なのか、
今まで漠然としていた、
【時間】というものの観念やらしくみやらが、
少しづつ腑に落ちてきているのが不思議だ。

これは、知識として持っていたものが、
実態となる感じに似ている。

3次元では、時間は直線的に流れている。

ある意味私たちは、
ある駅からこの世という電車に乗り込み、
またある駅でその電車を降りるということを、
繰り返している存在なのだと、
今までは思っていた。

電車は線路の上を真っ直ぐに走っている。

行く先(未来)は、乗ってる人々の意識によって、
幾通りにも変わって行くのだろう…。
だが、通り過ぎてしまったもの(過去)を変えることはできない…。

《ほんとに?!

ほんとは実は、今までにも、何度も、
過去は変わってきたのかもしれない。

過去が変わった時点で、現在の記憶もすり替わるから、
変わったとしても、
私たちはそれに気づくことができない。
そういうことなんじゃないの?!

時間と時間の間にハザマがあることは、
私も知っている…。
というより、体験から、
そうなんだろうなあ…と思っている。

渋谷の交差点で、
ふと気づいたら、
周りの人が皆静止している中、
自分だけが歩いていたという話を、
友人から聞いたことも、ある。

どういう人が、どういう理由で、
時間の中を、時間を超えて行くのかは、
私にはわからない。

でも、そういうことは、
今現在も、どこかで起きている…、そう思う。

生まれ変わるのだって、いつも未来の世界にとは限らないんじゃない?!
そう思ったりもする。

3次元を離れたら、時間自体が幻想になるから。
過去も未来もないとも言えるし、
過去も未来も一緒くたになってるとも言える。

そして時間という線路?も、
直進はしていても水平ではなく、
ループ状?とかに?進んでいる!?…。

※  ※  ※

音は波動だ。

それぞれの人が、それぞれの波動を持って生まれて来るが、
同時にその時代の波動も持って生まれてくる。

個人のバースヴィジョンと同じく、
時代にもバースヴィジョン(聖なる計画)があるからだ。
(人類の集団意識が、時代を作るともいえるけど。)
その波動を示す、
同期する音、リズム、メロディがある。

流行りの曲というのには、流行る理由があるのだ。

音は魂に響く。

自分が気づけてないものを、揺さぶり揺り起こす。

『君の名は。』
の音楽は、世界観は、
ほんとうに素晴らしかった。
音の質感も歌声も!

そのキラキラした波動は、
今の10代後半から20代の若者たちのものだ。

彼らが『これから』を創っていく。

いつの間にか、自分世代は、
時代の主流からは遠ざかっていたのだなあと感じて、

『一体自分は何をしてこれたのだろうか?』
と考えてもしまったけれど…。

寂しがってても仕方ないので、
まだまだ、ひと花、咲かせますよん




















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粉末ショウガ、いいね!☆

2016-10-10 18:23:24 | 日記
ここ数日、急に気温が下がってきましたね。

やっと秋めいてきて、やれやれなのですが、
体は、寒さ?についていけてないのか、
喉がおかしくて、頭も重い感じに…。

(風邪引いちゃったかな…?)と思ったので、
ショウガ粉をお湯にといて、飲むことにしました。

何だか体がほっこり温まり、いい感じ。
喉にも効いているような…。

ショウガは、80℃以上の熱で酵素がダメになってしまうらしいので、
そこは注意して、少し冷ました飲み物やスープにいれるのがお勧めです。

絞り汁もいいと思うのですが、
蒸したショウガを乾燥させ、粉にしたものの方が、
より薬効があると耳にしたので、
市販のものを買ってみました。

この冬は、生姜紅茶などなど、手軽に飲んで元気に過ごせそう~

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《人を救おうとすることは、その人の神性を軽んじるということ。》

2016-10-01 16:13:18 | 日記
【人を救おうとすることは、その人の神性を軽んじるということ。】

これはそれ以上でもそれ以下でもない真実だと思います。

【救う】のと【助ける】のとは違います。

【助ける】のはサポートするということ。
出来ることで力をかす、手助けをするということです。

それに比べて、【救う】とは、上から目線が入っている気がします。

人を救おうとする時、【可哀そう】が入っていませんか?

けれど本当にそれは【可哀そう】なのでしょうか?
人はより大きな自分に成長するために、
あえて困難を引き寄せることもあります。

魂の視点で見ないと分からないことも、
たくさんあるのです。

それを、ただ表面的な自我の世界からのみ判断して、
救ってしまったのだとしたら、
それは、その存在の進化の邪魔をしてしまったことになります。
チャレンジと成長の機会をつぶしたことになります。

そしてまた、【救う】という意識が、
【救われるべき人】を創り出してしまう危険もあります。

本来すべての人に、神なる光が宿っており、
その力、ポテンシャルは無限であるはず。

人生に起こって来ることは、初めから自分の中に、
それを乗り越える力が有るということなのです。

その力に気付くのに、
その力を使うのに、
自分だけでは難しい人のために、
【助ける】という行為、
【導き】という恩寵があるのです。

勘違いすることの無いように、
気をつけないとなぁ…と思います。





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