♫まりあ☆の、ちょっぴりスピリチャル♬

自由に楽しく生きるには~🎶

読んだらちょっぴり心が軽くなる、そんなブログで~す(^.^)

三女神とオオカミ 1

2020-09-05 18:01:16 | スピリチュアル

みなさん、こんにちは。

大変ご無沙汰でしたが、お元気でしたでしょうか?

今日の尾張地方は朝から、申し訳ないくらい真っ青な気もちよい晴れ

前日の雨のおかげか空気も澄んで久しぶりに爽やかなスタートでした。

 

さてわたくし、毎朝さまざまな方面にお祈り?をするのが日課なのですが、

ちょっといつもと違ったことがありましたので、ブログに書いておこうかなと…。

 

いつものように熱田神宮にも手を合わせ意識をとばすと、

今日は脳裏にビジョンが流れはじめました。

いつもはそんなの出てきません)

 

日本神話で描かれる天女のような女神が、

参道を、本殿に向かってささと駆け寄るお姿。

女神の後に続いて、30名ほどの天兵でしょうか、

薄青の衣に甲冑、槍と盾のようなものを手に持ち、

隊列を組んだまま、やはり小走りに走り込んできました。

何が起こるのかと見ていると、

彼らは本殿のお社辺りに黒々と渦巻く、

巨大な竜巻のようなものを、

取り囲みはじめました。

(女神は道案内役だったようです。)

 

黒い渦の上の方に意識を向けると、

黒いオオカミの化け物ような顔のアップがっ!!

大きく口を開けて苦悶の表情 

断末魔の『がぁおお~~』みたいな。

(こわツ

(ん? でもたしか近年、ここには三女伸がおられたはず??)

と思い、もっと上空を見上げると、

三女神が渦を囲んで見下ろす形で、空にとどまっておられるのを確認…。

(なんかの化け物退治なの? 浄化??)

 

そこでハタ!と気づいた

 

…というところで、夫が帰宅してしまったので、

続きはまたあした。

 

※これから大嫌いな夕食の支度をせねばならぬのだ…

 ナギサさん、うちにも来てほしい…。


『ヒーリングサロン千手音』閉店のお知らせ☆

2020-06-30 16:31:56 | スピリチュアル

『ヒーリングサロン千手音』

本日2020年6月30日をもって閉店することとなりました。

2002年、アロマの施術からスタートして紆余曲折。

なんだかんだと18年ほど続けてきたことになります。

長年ご愛顧くださった方々に深く感謝申しあげます。

 

今後のことはまるで考えていません。

終わる時がきて終わり、

次へと進む。

そんな感じです。(^^)

何かに困ったわけでも、迷ったわけでもありません。

 

予約のお問い合わせ等下さったみなさんにもお伝えしたのは、

もう、自分の外側の何かにヒーリングしてもらったり、

メッセージをもらったりする時代は終わったということです。

わたしはそう感じています。

現在のこの世界の波動は、

自分の聖なる領域に誰もがアクセスし、

望むならばどんなサポートも得られる状況になっています。

その部分と同調すればするほど、

人生は色鮮やかなものになっていくことでしょう。

 

そうなるために必要なツールは、

ホ・オポノポノをはじめ、すでにわたしたちに与えられています。

求めれば自分にぴったりのものが、見つかるよう導かれます。

(ひとつ小さな秘訣は、

何かを探すときに、ないない」と言わないことです。

「あるある」と言いながら探してください。)

 

ブログは続けていくつもりです。

これまでよりはもう少しマメにアップするかもです。

よろしかったら、ゆるゆるお付き合いくださいませ。

 

これまで千手音を、ありがとうございました。

感謝を込めて。

千手マリア

 

 

 


死というもの

2020-04-23 19:09:01 | スピリチュアル

死というものはさほど遠くにあるものではない。

実際は地面に引かれた一本の線を、

ひらと渡るようなものである。

それがさも困難な苦痛に満ちたものに思われるのは、

死を身近で直視する環境が減ったからかもしれない。

 

昔は死も誕生も

日常の暮らしの中にあるものだった。

人は家の中で生まれ去るものだった。

そして生活。

例えば鶏肉を食べるのなら、

鶏を殺さなくてはならない。

野菜を食べるのだって同じことだ。

野菜も命を持っている。

 

肉体を維持するためには、

他の生命をいただかなくてはならない。

それが物質次元のルールだ。

 

日々生きることの中に生と死が組み込まれていた。

だからこそ命の尊さも、

生かされる感謝も、

ひとはみな、

当たり前に分かっていたのかもしれない。

 

生きて死ぬのは当たり前のことなので、

必要以上には恐れず、

自然の理として受け入れていたのかもしれない。

 

人は寿命でなければ死ぬことはない。

そして寿命は可変的なものであることを、

実体験としてわたしは学んだ。

その人の意志、

正確には本体である魂の意志により、

それは延びたり縮んだりする。

 

生れる前からの設定で、

寿命となる候補の歳が人によっていくつかあり、

その前後でそれを超えるかそこで去るかを決める。

生きることにした場合はかなりな変化を体験することになる。

だって死ぬということは、

それまでの自分を終わらせるということでもあるから。

 

それまでのライフスタイル、

物の考え方なども否応なく変化することになる。

それは多岐にわたるだろう。

ある意味生きながら転生するみたいなものなので、

肉体も大きく体調を崩したりもする。

(だって細胞も一新しないといけないから)

 

なにかとそれもしんどいので、

さっさとこの世を去っていく人もある。

それは選択なのだ。

 

実際あの世は遠いところにあるものではない。

同じビルの2階と3階のようなものである。

上空から見ればそれは同じ地点にあるが、

壁面から見ればそれは別のフロアーにある。

上の階に上がるには軽くならなければいけない。

そこは非物質の世界だから。

なので物質である肉体は置いていく。

 

また上からは降りることはできても、

肉体をまとわなければそこで生息しているものと、

直接触れ合うことはできない。

降りたとしても、

エネルギー体のままでは波動が異なるので、

あまり居心地はよくないだろう。

特別の場合を除いて。

 

あの世とこの世の間のしきりは、

マジックミラーのようなものとも言えるかもしれない。

この世からあの世は見えないが、

向こうからはガラスのように透けて見える。

 

死というものを恐れるのは、

人が肉体の記憶に縛られているからである。

生物の一種族としての人間が、

生命を維持することを最大の使命にするのは当たり前のことで、

そうやってこれまで人間は、

この地球で生息してきたのである。

 

でも本当に息の止まる瞬間とは、

それまでに

意識である霊体(エネルギー体)は抜けてしまっているので、

苦痛は伴わないそうだ。

肉体というのは神経が正常に働いているときでなければ、

痛みを感じない。

手術のとき、麻酔をかけているから痛くないのと同じで。

(肉体自体は嫌がったりするとしても)

 

事故の時などは、

一気に神経自体が切れたり失われたりするので、

痛みを感じることができない。

感じる器官がないのだから。

 

※   ※   ※

 

いまここに、

コロナの嵐が吹き荒れている。

もともとこれは風邪だ。

ある意味、による浄化といえるかもしれない。

 

人は否応にも死と向き合い、

生と向き合う事態となっている。

 

『人々よ恐れることなかれ。

こは既存の固定観念を破壊するためにあり。

人類に新しい価値観を与え、

新たな世界へ進むための福音。

こを祝福と捉えるものはそれを得、

なんらかの裁き、

禍と捉えるのものは、

またそれを得るだろう。

 

必ずや解決策はあり、

それを見出すのはあなた方自身。

ひとりひとりの内にある輝きを信じ

同調し信頼すれば、

おのずとどう行動すればいいのかも

わかるようになる。

あなたがたは無力な愚か者でなく、

等しく輝ける無限なるものなのである。

 

その意図するものは現実としてあらわれる。

それだけのことなのだ。

 

わが愛するものたちよ。』

 

あなたは何を選択しますか?

 


嵐の中で穏やかでいること。

2020-04-21 19:57:57 | スピリチュアル

みなさんこんばんは

千手まりあです。

色んな嵐の吹き荒れる今日この頃

いかがお過ごしでしょうか?

 

わたくしはこの2か月あまりの間に、

夫の転職、義母の急逝が重なり、

バタバタの毎日でした。

3密を避ける

なんて言っていられる状態でなく、

新しい会社の立ち上げで激務の夫と手分けして、

病院、葬儀場、お寺、役所、金融機関、

老人施設の退去、遺品整理等々走りまわる日々。

 

ですがそんな中感じたのは、

どこへ行っても、

感じのいい人ばかりに出会い、

すべてが穏やかだったということ。

 

例えば看護師さんたちもみんな親切で、

病院も殺伐とした戦場みたいなイメージは皆無でした。

(それは数週間前のことなので、

さすがに最近は変わって来てるのかもしれないけど、)

やっぱり思うのは、

人は自分のフォーカスしている波動上にあるものと繋がっていく

体験していくということかなぁ

 

昔のわたしだったら、

この状況を

『とんでもないこと!!』

と捉えて、

そのせいで自ら戦々恐々とした現実

を創り出していた気がします。

すると登場人物たちも、

ピリピリ殺気立った人々になってくる。

みんなで「大変だ!たいへんだ~~~

を連呼するような世界。

そうならずに、

物理的に飛び回ってはいても、

心穏やかにいられたのは有難かったです。

 

義母は突然体調を崩し、

心不全で1週間の入院といわれたのが、

その翌日大量下血し、

数時間後に亡くなりました。

意識が無くなって4時間ほどで逝ってしまったのですが、

その直前までは、

しんどいながらも寝たきりになることや、

老齢年金の手続きのことを心配したりしていましたので、

まさかの出来事でした。

が、

わたしは入院当日に、

死の天使が枕元にじっと立っているのを感じ、

息を引き取る1時間ほど前には、

母の肩を抱き抱えるようにして、

二人で去っていくのが見えたので、

家族には一応そう伝えました。

それが見間違えならいいのにと思いながら…。

 

義母にしてあげられなかったこと、

自分の至らなさなど、

その後ひたすらクリーニング。

それは大切な時間と行為だったと思います。

それで穏やかさを体験できたのかもしれません。

 

いろんなことに感謝しながら日々暮らしていけることに、

またまた感謝している今日この頃です


『小さな神たちの祭り』観ました~☆

2020-02-29 17:32:34 | スピリチュアル

本日15時~17時までCBCで放送していたドラマ、

『小さな神たちの祭り~

あの日ありがとうも言えずに別れた愛する人たちへ

時空を超えてもう一度だけ逢いたい

震災9年目の奇跡』

なにげにテレビをつけたら始まったばかりのところで、

そのまま最後まで、

てっきり再放送の映画だと思ってみてました。

 

いっぱい胸を打たれる場面がありました。

家族の中でひとりだけ生き残った主人公の苦悩…。

(そうだよね、そうだよね。

と涙ぐみながら、

(でもこれホントなのよ。

あの世ってこんな感じなのよ。

亡くなった人の想いもこんなよ。)

と。

もちろん経験上、わたしの知る限りではですけど。

 

身体を失っても、

ふつうの人間の眼では見えない体と意識で、

人は存在し生きている。

 

わたしの場合、

亡くなった人と話すのは得意ではなくて、

姿をみたりすることも殆どないけど、

そういうことが明確にできたら、

悲しみにくれる人の心を癒す、

お手伝いもできるのになぁと、

以前は残念に思ったりもしていました。

もともと受信型なので、

相手が、

わたしに分かる周波数に合わせてくれてはじめて、

コミュニケーションが成り立つわけで、

セッションも然り。

受け取ったエネルギーや情報を、

お伝えする通訳みたいのが、

わたしの仕事です。

要は来たものを渡すだけ。

 

話はズレましたが、このドラマをみて、

救われた人、

心が軽くなった人がたくさんいたらいいな、

と思った次第です。

 

それにしても、

ドラマを見出してから、

やたら左肩が痛くなってきて、

終わるころには激痛。

これはCM中に肩回しした時

、スジを痛めたに違いない

整体行くのもヤダなあ…

と思っていたのに、

ブログを開いて数分。

ふと気が付くと、痛みが全く消えている

震災で亡くなられた方々の想いだったのか、

残された方々の想いだったのかわかりませんが、

ひとりでも多くの方々のこころが癒され、

みんなの幸せが増していきますように…。