木偶房 日日録

江上之清風 山間之明月

仏典を読む3 大乗の教え(上)

2018年05月31日 | 日日録
仏典を読む3 大乗の教え(上)   中村元著   岩波書店刊

空観(くうがん)とは、あらゆる事物が空であり、それぞれのものは固定的な実体を
持っていないと見なす思想です。
「般若心経」一巻の中にそのエッセンスが盛られています。
大乗仏教の主要な経典について一つ一つ分かりやすく解説しています。
「金剛般若経」
「維摩経」
「勝鬘経」
「法華経」
「観音経」
です。
聖徳太子が、日本の国造りにあたって、「維摩経」「勝鬘経」「法華経」
という三経典を取り上げ、注釈書「三教義疏」を書いたと言いますから、
この三つの経典が日本の仏教を方向づけたということです。
聖徳太子は、インテリだったのですね!
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萩焼 銘「点睛」

2018年05月30日 | 茶湯記
奥さんが田村萩焼店で、玉村松月の萩焼茶碗を入手した時は
冷静に見守っていたのですが、
旅行から帰ってきてみると、自分も萩焼茶碗が欲しくなってしまいました。
子供みたい!
岡田仙舟の萩焼茶碗です。

「点睛」という銘がついています。
銘の由来は、茶碗の三ツ星が画竜点睛をイメージさせるからでしょうね。
ついでに、出帛紗も・・・

宗和緞子です。
どちらも緑系でいい感じです。
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いずも旅30 高杉晋作

2018年05月29日 | 一見記
長州そばを食べた向かいが木戸孝允の生誕地でした。

木戸孝允とは桂小五郎のことです。
京都では、池田屋事件で難を逃れ、
禁門の変でも何とか生き残ったおかげで、
ついに明治維新という大事をなすことができました。
同じ町内に高杉晋作の生誕地もあります。

奇兵隊を組織して活躍しましたが、
人生が29歳で途絶えてしまったので
大事を成し遂げることはできませんでした。
近くの公園に銅像が建っています。

辞世の句 「おもしろきこともない世におもしろく」
長州藩で町民や農民から「奇兵隊」を組織できたのは、
関ヶ原の合戦後、領地が四分の一に削減され
今で言えば倒産の危機にさらされ大量解雇が行われた際に
武士団が散逸せずに町民や農民となって長州に残ったため、
二百五十年経っても武士の心が温存されていたからだという説があります。
「百万一心」という毛利元就のコンセプトが生き続けていたのですね。
・・・いずも旅はここで終わり・・・萩・石見空港から帰ります。


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いずも旅29 長州そば

2018年05月28日 | 一見記
城下町の散策を続けます。

石積みの塀がかつての武家屋敷の雰囲気を残しています。
塀の中を覗くと、屋敷はなく夏みかん畑になっています。
石積みの塀だけが残っているのです。
白い土塀もあります。

こちらの方が武家屋敷っぽいです。
世界遺産になっている「萩城下町周辺」エリアを目指してさらに進みます。
ちょうどお昼時になったので、長州そばを賞味しました。

メニューに長州そばと書いてあったのでこれが名物なのかと思っていましたが、
あとで調べてみると、長州は瓦そばが名物でした。


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いずも旅28 萩焼資料館

2018年05月27日 | 一見記
萩城の後は萩焼です。
萩焼資料館に行って見ました。

資料館と言っても展示販売店です。
この周りには、ここかしこに萩焼のお店があります。
奥さんはお店を巡りながら萩焼の知識を吸収中です。
城下町の方に行ってみよういうことで、さらに散策を進めます。
こちらも、ここかしこに萩焼のお店があります。
なかなか気に入ったものが見つからないようです。
ついに出会いました・・・田村萩焼店です。

萩焼の抹茶碗、萩焼の茶器揃え、萩焼のペア茶碗、萩焼の楊枝入れ、
そして、お土産に萩焼のフクロウと次々に決めてしまいました。
私は、割らずに持ち帰る自信がないと言って
宅急便で送ってもらうことにしました。
・・・奥さんは、これで萩まで来た甲斐があったと言っています。
めでたしめでたしです。
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いずも旅27 萩城

2018年05月26日 | 一見記
萩八景遊覧船に船着場のそばに萩城はあります。
萩城へ向かうと満開の桜の下で毛利輝元公が迎えてくれます。

指月山の麓に平城が展開しています。

城内は指月公園になっているようなのですが・・・

天守閣があるわけでもないので中には入りませんでした。
そもそも毛利氏は、
鎌倉幕府政所別当の大江広元の四男季光が
相模国毛利荘を所領としたので毛利氏となりました。
その後、鎌倉時代末に安芸国吉田荘に分家したのが
安芸国の毛利氏の始まりです。
戦国時代になると毛利元就が現れ一代で
弱小国人領主から戦国大名へと大躍進し
その孫に当たるのが、毛利輝元です。
輝元は、関ヶ原の合戦に敗れて
所領を112万石から29万8千石に削減され、
広島から萩へと引きこもったというわけです。
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いずも旅26 萩八景

2018年05月25日 | 一見記
桜が満開の季節に居合わせたため、遊覧船も期間限定の「桜コース」でした。
船乗場から橋本川の出ると眺望が広がります。

案外広い川で、気持ちのよい川風がさらさらと吹き渡っています。
川沿いの桜並木は完全な満開です。

子供が手を振っているので、思わずこちらも手を振ります。
遊覧の最後には海に出て海から指月山を眺めます。

船頭さんの口上も巧みで、とても面白い遊覧となりました。
関ヶ原の合戦に敗れた毛利氏は、町全体を川で囲み込んで天然の要害とし
江戸時代の250年を生き抜いてきたのですね。
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いずも旅25 萩八景遊覧船

2018年05月24日 | 一見記
吉田松陰を堪能したので、今度は萩を堪能しようと萩八景遊覧船に乗りました。

萩を囲む橋本側と松本側から萩を遊覧します。

救命胴衣をつけて出発です。
萩八景は、三代藩主吉就が萩城下の佳景を選ばせました。
桜江の暮雪
下津江の落雁
倉江の帰帆
小松江の晩鐘
中津江の夜雨
玉江の秋月
鶴江の夕照
上津江の晴嵐
の八景です。
屋根を下げて橋の下を通過したりします。

船着場に戻ります。

この遊覧船は、人気があるようです。
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いずも旅24 吉田松陰歴史館

2018年05月23日 | 一見記
松陰神社でお参りを済ませたので、次は吉田松陰歴史館です。




吉田松陰の生涯がリアルな蝋人形で再現されています。
わずか三十年でしたが、
かなりコンデンスされた生涯を送ったことがわかります。

夢なき者に理想なし
理想なき者に計画なし
計画なき者に実行なし
実行なき者に成功なし
故に
夢なき者に成功なし。


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いずも旅23 松陰神社

2018年05月22日 | 一見記
松下村塾の奥に松陰神社があります。

なんと吉田松陰は神として祀られていました。

創建は明治四十年で、
門下生の伊藤博文らが中心となって公の神社としたそうです。
祭神は、吉田矩方命(よしだのりかたのみこと)です。
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