夫婦で女子美祭に行ってきました。
娘が附属高校から在学していて、毎年行っていたので今年も行きました。
ここは、近頃めずらしい自由に溢れた学校です。
学校行事も生徒の自由な企画を重視して進めているようで、
こちらも見ていて楽しくなります。
この校風のもとは、建学の志にあるようです。
明治33年(1900年)に「芸術による女性に自立」を目指して
学校をつくったといいますが、当時としては途方もない企てだと思います。
女性が自立する手段として和裁や洋裁を習うなら分かりますが、
もっともお金にならない芸術で自立しようというのですから、
発想が時代を突き抜けています。
逆にこの突き抜けた精神が、結果として幾多の女性芸術家を生み出すことになった
というのも分かる気がします。
ちなみに、女子の美術大学は、世界中に2校しかないそうです。
もう1校は、アメリカのフィラデルフィアにあるムーア美術大学だそうです。
娘が附属高校から在学していて、毎年行っていたので今年も行きました。
ここは、近頃めずらしい自由に溢れた学校です。
学校行事も生徒の自由な企画を重視して進めているようで、
こちらも見ていて楽しくなります。
この校風のもとは、建学の志にあるようです。
明治33年(1900年)に「芸術による女性に自立」を目指して
学校をつくったといいますが、当時としては途方もない企てだと思います。
女性が自立する手段として和裁や洋裁を習うなら分かりますが、
もっともお金にならない芸術で自立しようというのですから、
発想が時代を突き抜けています。
逆にこの突き抜けた精神が、結果として幾多の女性芸術家を生み出すことになった
というのも分かる気がします。
ちなみに、女子の美術大学は、世界中に2校しかないそうです。
もう1校は、アメリカのフィラデルフィアにあるムーア美術大学だそうです。
個人美術館の愉しみ 赤瀬川原平 光文社新書
著者自身が訪問した45の個人美術館が紹介されています。
個人美術館というのは、作家やコレクターの情熱の結実として
存在していると強く感じました。
私が訪問したことがあるのは僅か5館でしたが、
この本をガイドにいつかは全館を訪問してみたいと思いました。
特に、行きたいと思ったのは、
まず、愛知県美浜町の杉本美術館です。
杉本健吉の「僕はずいぶんウソを描いています。」という言葉が気に入りました。
この人の絵を見てみたいと思います。
次に、群馬県桐生市の大川美術館です。
ここには松本竣介の絵があったからです。
どちらの絵も現実と幻想の狭間にあって、それこそが絵だと思うからです。
という訳で、私は小出楢重の絵も好きです。
著者自身が訪問した45の個人美術館が紹介されています。
個人美術館というのは、作家やコレクターの情熱の結実として
存在していると強く感じました。
私が訪問したことがあるのは僅か5館でしたが、
この本をガイドにいつかは全館を訪問してみたいと思いました。
特に、行きたいと思ったのは、
まず、愛知県美浜町の杉本美術館です。
杉本健吉の「僕はずいぶんウソを描いています。」という言葉が気に入りました。
この人の絵を見てみたいと思います。
次に、群馬県桐生市の大川美術館です。
ここには松本竣介の絵があったからです。
どちらの絵も現実と幻想の狭間にあって、それこそが絵だと思うからです。
という訳で、私は小出楢重の絵も好きです。
塩沢のムーゼの森を散策しました。
始めに、絵本の森美術館にいきました。
テレビでおなじみのポール・スミザーの「ピクチャレスク・ガーデン」は、
秋も深まり枯れ草のガーデンになっていました。
次回は花も盛りの頃に来てみようと思います。
展示館は二つありますが、
第一展示館は、内容空疎でカビ臭いばかりでした。
第二展示館は、カビ臭さもなく上質の原画が展示されており楽しめました。
良かったのはここだけです。
第二展示館は、外観も面白いのですが、傾斜した外壁の汚れを見ると
建物の形状が風土の合わないことは一目瞭然です。
雨が当たる壁は真っ黒です。
この建物の形は、砂漠にあるべきもので、モンスーンのものではないということですね。
帰りに、向かいのエルツおもちゃ博物館のプリン専門店で
抹茶と胡麻のプリンを買って帰りました。
これは、美味でした。
始めに、絵本の森美術館にいきました。
テレビでおなじみのポール・スミザーの「ピクチャレスク・ガーデン」は、
秋も深まり枯れ草のガーデンになっていました。
次回は花も盛りの頃に来てみようと思います。
展示館は二つありますが、
第一展示館は、内容空疎でカビ臭いばかりでした。
第二展示館は、カビ臭さもなく上質の原画が展示されており楽しめました。
良かったのはここだけです。
第二展示館は、外観も面白いのですが、傾斜した外壁の汚れを見ると
建物の形状が風土の合わないことは一目瞭然です。
雨が当たる壁は真っ黒です。
この建物の形は、砂漠にあるべきもので、モンスーンのものではないということですね。
帰りに、向かいのエルツおもちゃ博物館のプリン専門店で
抹茶と胡麻のプリンを買って帰りました。
これは、美味でした。
窓」の思想史 日本とヨーロッパの建築表象論 浜本隆志著 筑摩選書
対立図式として
発信型文化=垂直志向=ヨーロッパ
受信型文化=水平志向=日本
という枠組を設定し、様々な事象の断片を寄せ集めて論じていて
面白く読みました。
特に、
鐘の鳴らし方についての比較は興味深いと思いました。
ヨーロッパは、鐘楼。
鐘に舌があって、鐘を動かすワイヤーを舌に引っ張ると、
「梃子の原理」により鐘自体が半回転し、その反動で舌の部分が
鐘に当たり音を出す仕組みで垂直方向の動作ですが、
日本は、鐘付き堂で、水平方向の動作です。
又、
ファシズム建築の思想の章で、二人の人物に触れてます。
イタリアのムッソリーニは、モダニズム建築を好みましたが、
ドイツのヒットラーは、新古典主義建築を好んだと言うことです。
結局、イデオロギーと建築は全く関係ないということです。
対立図式として
発信型文化=垂直志向=ヨーロッパ
受信型文化=水平志向=日本
という枠組を設定し、様々な事象の断片を寄せ集めて論じていて
面白く読みました。
特に、
鐘の鳴らし方についての比較は興味深いと思いました。
ヨーロッパは、鐘楼。
鐘に舌があって、鐘を動かすワイヤーを舌に引っ張ると、
「梃子の原理」により鐘自体が半回転し、その反動で舌の部分が
鐘に当たり音を出す仕組みで垂直方向の動作ですが、
日本は、鐘付き堂で、水平方向の動作です。
又、
ファシズム建築の思想の章で、二人の人物に触れてます。
イタリアのムッソリーニは、モダニズム建築を好みましたが、
ドイツのヒットラーは、新古典主義建築を好んだと言うことです。
結局、イデオロギーと建築は全く関係ないということです。
塩沢湖のタイアセンで
アントニン・レーモンドの「夏の家」を見てきました。
南が丘に立っていたそうですが、
当時の写真では木が1本もない荒野で、今からは全く想像できない景色です。
こんなところに良く家を建てたものだと思います。
建物のシルエットは当時と変わっていませんが、
当時は、1メートル程度のコンクリートの基壇の上に立っていたそうで、
写真で見ると当時の方が圧倒的に素晴らしいです。今は地面にへばりついてしまいました。
内部に有名な斜路があり写真撮影もできるのですが、写真のインターネットへの掲載が禁じられています。
どうして禁止するのでしょうか。
斜路を上ると小さな仕事部屋(スタジオ)があるのですが、
この小さな部屋に来るためだけにどうしてこんな大げさな斜路が必要なのか分かりません。
それが建築というものなのでしょう。
確かにこのバタフライ形の屋根のシルエットは美しいと思いました。
今はやりのゲリラ豪雨が来たらすぐ雨漏りですけど・・・美しい。
アントニン・レーモンドの「夏の家」を見てきました。
南が丘に立っていたそうですが、
当時の写真では木が1本もない荒野で、今からは全く想像できない景色です。
こんなところに良く家を建てたものだと思います。
建物のシルエットは当時と変わっていませんが、
当時は、1メートル程度のコンクリートの基壇の上に立っていたそうで、
写真で見ると当時の方が圧倒的に素晴らしいです。今は地面にへばりついてしまいました。
内部に有名な斜路があり写真撮影もできるのですが、写真のインターネットへの掲載が禁じられています。
どうして禁止するのでしょうか。
斜路を上ると小さな仕事部屋(スタジオ)があるのですが、
この小さな部屋に来るためだけにどうしてこんな大げさな斜路が必要なのか分かりません。
それが建築というものなのでしょう。
確かにこのバタフライ形の屋根のシルエットは美しいと思いました。
今はやりのゲリラ豪雨が来たらすぐ雨漏りですけど・・・美しい。