木偶房 日日録

江上之清風 山間之明月

書に親しむ13 集字聖教序1

2019年11月26日 | 書画記
今日から王羲之の集字聖教序が始まりました。
お手本は、

我が書は、

王羲之は美しい!
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吾家の設計

2019年11月22日 | 読後記
吾家の設計    ウィリアム・メレル・ヴォーリズ著  創元社刊

Show me your house, and I will tell you what you are
人の住居はその人を現す

普通の人は、立派な座敷、上等の客間、なによりも正面を立派にする、
と思うかも知らんが私はそれと反対。
私は初めに台所をやる。台所がうまくできたら、その家の価値が上がる。
台所が拙いなら、値打ちは半分以下になる。

台所が完全にできたら、第二の問題は寝室です。

これで、台所と寝室ができた。
この二つがあったら、もう文化生活はできるでしょう。

わずかな頭の使い具合で、同じ面積、同じ壁、同じ高さ、同じ屋根で
古いそのままに、理想的とは言わないまでも、
これくらい便利な家ができるのです。
それが建築の特徴です。

この本の初版が出たのが1923 年ですから、
今から96年前のことなのに・・・
全く色褪せない言葉です。


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リ・フォーメイション20 メダカ池

2019年11月21日 | 作事記
リ・フォーメイション工事が終わり、引き渡しも済んで
メダカ池をのぞいてみると・・・
いました!
生きていました!
暑い夏をなんとか生き延びたのです。

でも、生き残ったには数匹でした。

こいつらは、過酷な夏を生き延びたのですから
きっと冬越しもできるに違いありません。
来年は大いに繁殖してくれるでしょう!
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リ・フォーメイション19 前庭

2019年11月20日 | 作事記
工事中足場スペースとなっていた前庭を整備しました。
道路に面するリビング窓の前は、
右にサザンカ
中央にハイノキ
左に常緑ヤマボウシ
の三尊体制としました。

落葉樹は道路に落ち葉が散乱するので
花咲く常緑樹でまとめています。
コンクリート平板とレンガで園路を造りました。

フェンスを撤去してフルオープンにしたついでに
道路に面した腰掛けを設えました。

来春になって庭が花でいっぱいになったら
ここに腰掛けて憩うという趣向です。
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書に親しむ12 祭姪文稿3

2019年11月19日 | 書画記
顔真卿の3回目です。
お手本は、

我が書は、

ボロボロです。
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蜜柑

2019年11月17日 | 日日録
今年は夏が暑かったせいか、庭の蜜柑が大豊作です。

鳥が食べ始めたので一気に収穫してしまいました。

カゴいっぱいになりました。
これで、蜜柑に不自由することはなさそうです。
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リ・フォーメイション18 坪庭

2019年11月16日 | 作事記
茶室用の坪庭を造りました。

この窓を開けると小さな坪庭が現れます。

四目垣を立て防犯砂利を敷き詰めました。
木は鳥が運んできたものです。
外から見ると

茶室の窓から見える範囲だけ整えました。
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サンスクリット原典現代語訳 法華経 下

2019年11月15日 | 読後記
サンスクリット原典現代語訳 法華経 下    植木雅俊訳  岩波書店刊

あらゆる物事を普遍の実体がない空と観察するのである。
すなわち、あらゆる物事は、あるがままに存在し、倒錯せずにあり、
あるがままの状態にあり、動くこともなく、動かされることもなく、
後退することもなく、変転することもなく、常にあるがままの状態にあり、
虚空のような本姓を持ち、語源的説明や表現を離れていて、生まれることもなく、
生ずることもなく、因縁や業によって生じたのでもなく、
因縁や業によって生じていないのもなく、あるのでもなく、
ないのでもなく、言葉で表現されることもなく、
執着のない状態にあるけれども、あらゆる物事は、
意識の倒錯によって現れていると観察するのである。

常不軽菩薩とは、
常に軽んじないのに、常に軽んじてると思われ、その結果、
常に軽んじられることになるが、
最終的にはつねに軽んじられないものとなる菩薩
である。

納得です!
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鏑木清方記念美術館

2019年11月14日 | 日日録
所用で鎌倉に行ったついでに
鏑木清方記念美術館に立ち寄ってきました。
小町通りの旧軽井沢並みの雑踏から小道に入るとそこはもう静寂の世界です。

旧居跡に建てられたのでとてもこじんまりとした佇まいです。
こじんまりとしすぎたせいか、展示室も一室しかありません。
あっという間に見終わってしまいました。
ビデオコーナーがあったので、清方の生涯をビデオ鑑賞しました。
これで少し満足!
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書に親しむ11 祭姪文稿2

2019年11月13日 | 書画記
顔真卿の2回目です。
お手本は

我が書は

顔真卿は、本当に難しい!
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