木偶房 日日録

江上之清風 山間之明月

能苑逍遥(下)

2018年10月31日 | 読後記
能苑逍遥(下) 能の歴史を歩く   天野文雄著    大阪大学出版会刊

室町時代から安土桃山時代、江戸時代、明治、大正、昭和に至る
700年の歴史を歩くのですが、あまりに専門的すぎて
楽しめませんでした。
古文書内に散らばる各点を細い細い線で結ぶという作業を
横から眺めるだけでも疲れるのに、確固たる結論にも至りません。
読んでいても疲れるだけでした。
かろうじて得た知識は、
能舞台に鏡板が作られるようになったのは安土桃山時代の頃で、
元禄の頃はまだ松が描かれていないことは確かなのですが、
松が描かれるようになったのがいったいいつからなのかはよくわかりません。
ということです。
また、現在では知る人は少ないが、かつて能は「乱舞(らんぶ)」と呼ばれていた。
ということも知りました。
能苑逍遥は上中下の3巻構成で、残り2冊もアマゾンで買ってしまい
明々後日には届いてしまいます。
同じような中身だったらどうしよう?
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竹扇子

2018年10月29日 | 茶湯記
竹扇子です。
表面は桜です。

裏面は紅葉です。

合わせて雲錦になります。
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山是山花是紅

2018年10月28日 | 茶湯記
大徳寺聚光院の小野澤寛海和尚の筆で
「山是山花是紅」(やまこれやま はなこれくれない)です。

この色紙は、山が大きいな字で山のように強調されていて面白いです。
前半は、「山是山」ですから、
「山是山水是水」(やまこれやま みずこれみず)という禅語から取られています。
この禅語は、
悟りに至らない段階では、山は山としか水は水としか見えない。
本来無一物の境地に達すると
一切が無差別平等隣、山は山でなく水は水でなくなってしまう。
さらに、修行が深まって悟りの心さえ消え去ってしまうと
山が山として水が水として新鮮に蘇ってくる。
という意味です。
後半は、「花是紅」で、
「柳は緑 花は紅」から取られているようです。
後半が水でなく花なのが色気があってとてもいいです。
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日日是好日

2018年10月27日 | 日日録
樹木希林の遺作となった「日日是好日」は封切られました。
シネスイッチ銀座で鑑賞しようと思っていたので
混雑状況を確認したら平日でも相当混んでいたので、
早く見ないと見損なってしまうと思い、ららぽーと柏の葉に行きました。
が、
予想に反してこちらはガラガラで観客は20人に満たない状態でした。

黒木華はいいですね。
顔の表情で微妙なニュアンスを表現できています。
湯の音、水の音、雨の音を通して次第に季節に気づいて行く姿が
よく表現されていました。
メディア系への進出については、
裏千家は熱心なのに表千家は不熱心な印象でしたが、
今回は表千家が舞台です。
そういえば、先頃まで放映されていたNHKの
趣味Do楽の「清流無間断」も表千家です。
家元が変わったので表千家も変わって行くのでしょう。
外国人労働者をどんどん受け入れるという流れの中で、
日本の文化的アイデンティティを再確認する上でも
茶道をもっともっと積極的に広めるべきでしょう。
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現代能楽講義

2018年10月23日 | 読後記
現代能楽講義  能と狂言の魅力と歴史についての十講
               天野文雄著     大阪大学出版会

能楽の全貌を体系的に語れる人についにたどり着きました。
脳の上演時間が世阿弥の時代から徐々に長くなり
2.5倍になっているのは驚きでした。
能「安宅」の上演時間を比較すると、
世阿弥時代は35分、室町末期は53分、江戸末期は79分、現代は88分となっています。
このスローテンポ化は、「退屈」というマイナス面とともに
「洗練」というプラス面を生み出していますが、現代の能のテンポは、
人間の忍耐の限界をすでに超えているように思えます。
その通りだと思います。
その証拠に私は、いつも前シテの後半で眠くなって寝てしまいますが、
後シテが登場するあたりから覚醒して舞を堪能するという
パターンが身についてしまいました。
能については、主題や趣向を包み込んだ作品全体の狙いへの
言及が少ないという指摘もその通りだと思いました。
国立能楽堂の普及公演に行くと、
当日演じられる能の解説してくれるコーナーがあるのですが、
この作品の狙いは聞いたことがありません。
能の狙いを気軽に語り合えるようになれば、
もともと面白いのだから
もっともっと普及するような気がします。
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英国総督最後の家

2018年10月22日 | 日日録
「英国総督最後の家」を見ました。

インドとパキスタンの分離独立に立ち会った最後のイギリス総督
マウントバッテン卿一家を描いた映画です。
結構面白かったです。
宗教によって国家が分立するということがいかに不合理か
ということがよくわかりました。
国民の識字率が高ければ別の結論に達することができたのではないか
と思いますが、
多大な犠牲を払わなければならなかったことは残念なことでした。
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壺中日月長

2018年10月21日 | 茶湯記
「壺中日月長」の掛軸です。
「こちゅうじつげつながし」と読みます。

紫野上雲との署名が読めるのですが、
紫野と署名できるのは大徳寺の住職だった人だけのはずなので、
探して見ましたが該当する人が見当たりません。
まさか紫野という苗字の人か・・・?
・・・誰の書なのかはわかりませんが、書の雰囲気は良いので満足です。
「壺中」というのは、
後漢書に記されている費長房(ひちょうぼう)という人が壷公(ここう)と呼ばれた
薬売りの老人のもつ壷の中に入り込んだところ
中には立派な宮殿があり、そこで様々な歓待を受け十日ばかりで戻ってきたら
実は数十年経っていたという浦島太郎のような話からきた言葉です。
それで、
「壺中」は、時空を超えた別天地を意味し、
「日月長」は、非常に穏やかでのんびりした時間がいつまでも流れている
ことを意味することになります。
我が未完の茶室「八橋庵」は、「透明の壷」を自称しているので、
この掛軸の「壺中日月長」が、まさに基本コンセプト示しているわけです。
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紅葉 銀杏 こなし

2018年10月20日 | 茶湯記
今月の和菓子教室は「こなし」でした。
「こなし」とは、白あんに薄力粉などを混ぜて蒸し、生地をよく揉みこなしたもので
関西で主流の和菓子です。
関東で主流の和菓子は「ねりきり」でこれは蒸しません。
先生のお手本はこれです。

一方、私の作はこれです。

作って見て気がついたことは、
和菓子の形態は、円と正方形を基本要素として構築されている。
和菓子の見立は、モチーフをよく見て形の本質を見極めなければならない。
ということです。
手業もなかなか奥深いです。
半年単位のコースが今月で終わって修了証書をいただきましたが、
あと半年続けることにしました。
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インド食器

2018年10月14日 | 日日録
インド料理用の食器を3セット揃えました。

プレートとカトリとグラスです。
インド料理は手で食べるのが本当ですが
スプーンとナイフとフォークも揃えました。
日本は陶磁器が中心ですが、インドは金属器です。
食器が変わると気分が変わり料理の味も変わります。
・・・どうしても形から入りたくなってしまうのです。
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なぜ世界は存在しないのか

2018年10月13日 | 読後記
なぜ世界は存在しないのか   マルクス・ガブリエル著    講談社刊

世界が存在しないとは、
存在する一切のものを組み込む唯一の概念的秩序が存在しないという意味です。
プラトンの形而上学vsカントの構築主義という哲学の対立図式に対し
新実在論を唱えています。
新実在論のテーゼは2つあります。
第1テーゼ 私たちは物及び事実それ自体を認識することができます。
第2テーゼ 物及び事実それ自体は唯一の対象領域にだけ属するわけでありません。
このテーゼから導き出される人生の指針は、
全てを包摂する基本構造なるものを断念すること、その代わりに
現に見られる数多くの構造をもっとよく、先入観なく、もっと創造的に
理解するべく共同で取り組むことです。
これって
平野啓一郎の唱える「分人」か?
さかのぼると
龍樹の唱える「空」か?
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