Nonsection Radical

撮影と本の空間

ソフトとアプリ

2017年02月15日 | Weblog
モバイルの歴史というのはパソコン持ち運びの歴史と言っていい。
少なくとも自分の場合はそうだ。
普段家で行なっているパソコン作業を外出先でもというのがこの何十年かの”夢”であった。
もちろんそれなりの出費をし、最新技術に目を配るような人ならばすでに可能な世界であったであろうが、単なる”ユーザー”であるだけの身では、そうそう最新機種を買い続けることなど”趣味”の世界での話になってしまう。
それが解決したと思わせたのがスマホの出現、あるいはタブレットの一般化であった。
スマホもタブレットも立派なパーソナルコンピュータである。
性能も高いし、”電波”で外部ともデータのやり取りも簡単にできる。
そういうものが手頃な価格で登場したのだ。
これで”夢”が叶うと思ったわけだ。
ところが・・・
どうも使い勝手が良くない。
正確には良くないのではなく、パソコンとは使い勝手が違うのだ。
パソコンの時にはソフト(アプリケーションソフトのことね)と呼ばれたものが、スマホではアプリ(アプリケーションソフトのことね)と呼ばれるようになり、パソコンと”同様”の機能が装備されるようになったのだが、画面の大きさなどの関係から、使い勝手は異なる。
それがパソコン育ちのジジイには使いにくいし、使い方がわからない。
たとえばGmailの場合、何も考えずに作成ボタンを押して、”To”をクリックして連絡先から送り先を選べば済んだのに、これをiPodのGmailアプリでやろうとすると、まず”To”を”クリック”できない。当然連絡先一覧は出ない。なんらかの文字を打って初めて該当するリストが表示される。
ところがなんらかの文字の”なんらか”がハッキリしない場合、どうやって頭に描く相手先を呼び出せばいいかがわからないのだ。
もちろんそんなことはきっと簡単にできるのだろうが、パソコンと”お作法”が違うことは確かだ。
そうなると2つの、あるいは複数のお作法を覚えなければならない。
同じソフト(あるいはアプリ)で複数の使い方を覚えなければならないのはジジイにとっては不合理なのだ。
できればパソコンでの使い方を”優先”したい。
だって便利なんだもの。
この一例だけでも、パソコンとパソコン機能の内蔵されたスマホやタブレットは別物だなと感じてしまうのだ。
割り切ってしまえばいいのだろうが、それだと当初から思い描くモバイルとは違ってしまうのだ。
ソフトとアプリの違いといえば、ソフトには対応する使い方解説書などが第三者から出されていて、その”本”を読めば様々な使い方が勉強できたのだが、アプリには該当するようなマニュアル本がほとんどない。
そもそもアプリ自体が単体で安価な上、そこにアプリの価格を上回るようなマニュアル本など出しても誰も買わないという状況があるのだろうけど、その結果ネットで個人の使い方説明みたいなものだけがあって、それでは知りたいことがわからないという中途半端な状況となっている。
そもそもグーグルなどは様々なアプリを出しているが、そのアプリの”正式な”マニュアルなどない。あるかもしれないが探しても見つけられていない。そんなことってありなの?ヘルプはあっても、全体の操作を網羅するまとまったものが見つからない。
試行錯誤して使えということなのか。
Android携帯などハードもソフトもきちんとしたマニュアルがないものも多いのではないか。アップルにはあるけど。
そんな状況でどうやってみんなは使い方を覚えているんだろうと不思議なのだが、実態はなんとなくというものではないのか。
そういう状態のものって、これまでの経験上、しばらくすると消えていってしまうんだけど。
スマホがそういうことにならないことを願っている。



稲村ガ崎の街並み 2
神奈川県鎌倉市稲村ガ崎2,3丁目
撮影 2016年12月29日 木曜日 16時50分
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