Nonsection Radical

撮影と本の空間

パワースポット

2010年08月15日 | Weblog
某月某日
胸の振り子さんnamasuteeさんの街角の写真を見ているとパワースポットを撮影している事がわかりますね。
街角の「気」が溜まっているところにレンズで向けていますね。
なに?わからない?
それはあなたに「気」を感じる力がないからでしょう。
satoboもある時から「気」を感じる事が出来るようになり、レンズを向けるのですが、御両人のようには写りません。

よくパワースポット詣でをする人がいますが、あれはわかりやすいですね。
単純な誰にでもわかるパワースポットです。
神社仏閣などで「気」を感じる事も多いでしょうが、あれはもともとパワースポットである場所に神社仏閣を建てたのです。
それを感じやすいようにタテモノや木々の配置をそれらしくし、「おごそか」な雰囲気を作り出しているのです。
だからタテモノがエラいのではなく、その場所を見つけた「開祖」がエラいのですね。
そこに「気」が満ちている事を発見して、その場所に庵をもうけたのです。

でも、わざわざ特別な場所に行かなくても、街には「気」が満ちている場所が結構あるのです。
田舎に行くと、よく分かれ道に道祖神などがあったり、お地蔵さんがありますが、そういう場所に「気」が満ちているのです。
それを昔の人は感じる事が出来たのですね。
先の御両人もよく分かれ道を撮影していますが、その画像にも「気」が写っていますね。
きっとその「気」を感じてシャッターを押したのだと思います。
これを我々の業界では、「その気になる」というのです。

また分かれ道でなくても「気」が溜まっている場所があります。
それが光の加減や天候によって目に見えるようになる事があるのですね。
そこにレンズを向けると、なんて事のない写真のように見えるのですが、なにか引っかかるものを感じたり、違和感を感じる写真が得られる事があります。
そういう場合でも、絶対にこのように撮らないと「気」が写らないという「選択」があります。
それはその人の目の延長にレンズがならないとダメなんです。
レンズの延長とは、実際にはレンズの焦点距離の選択で、その人の見ている画角ともいえるかもしれません。
つまり感じたままを映像に固定するという技術が必要なんですね。
そうやって撮影されたものには「気」が写っているのです。
そこがパワースポットである証しですね。

さてみなさんはそういうパワースポットを感じる事が出来るでしょうか?
感じる事が出来れば、写真というのが面白く感じる事が出来るようになります。
今日は勘違いな話をお送りしました。(笑)
コメント (4)
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