さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

加藤治郎歌集『しんきろう』

2021年11月23日 | 現代短歌
十七番目。
日めくり詩歌 短歌 さいかち真 (2012/6/20)
投稿日:2012年06月20日 カテゴリー:日めくり詩歌(月~金曜更新)

なにか明るい路をあるけば地下鉄の柔らかい車輌が俺をふっ飛ばす

営業になった者たち辞めた者たち オフィスに残った者たちのランチ

万緑の中に幼児はうち重なりてありがとう口がうごいている

みずをくださいなんとなくだるいですペットボトルの水をください

   加藤治郎歌集『しんきろう』(砂子屋書房刊)

 破調や句またがりのみられる作品を引いた。会社の合理化に直面して、転職も考えた時期の一連の歌は、濃い徒労感を漂わせている。三、四首目は、「メルトウォーター」と題された一連に含まれている、不気味な作品だ。福島の原発事故後、水の放射能汚染が心配されたことを背景としている。「みずをください」という言葉からは、原爆投下後の広島・長崎の被災者の姿が、重ね合わせてイメージできるだろう。

 私はこれまで加藤治郎が会社に取材して作った歌があまり好きではなかったが、今度の歌集の歌は、作者が深刻な現実に直面して、よろめきながら作った空気が直に伝わって来て、よいと思った。浮かび上がってくる語り手の姿は、過大な仕事を前に疲労困憊し、やや鬱気味ですらある。合間に差し挟まれる相聞歌も、悲哀感をにじませている。そうして、自身の短歌の仕事においては、歌誌「未来」の自分の選歌欄の代表的な投稿者、笹井宏之が突然に夭折した。なんということだろう、こんなことが、あっていいのか。

あるときは青空に彫るかなしみのふかかりければ手をやすめたり

きみの残した牛のスケッチ幾枚か 乙女子の絵のあればかなしも

ティーバッグに天使が座っているようで、うとうと上下させているのさ

 二首目が、笹井への挽歌。私は、第二歌集以来リアルタイムで加藤治郎作品を読んできた。私はオウム事件に取材した歌を含む『昏睡のパラダイス』の方が好きだが、それは別のところに書いたこともある(『解読現代短歌』一九九九年刊)。今度の歌集は、たぶんあの頃よりも多くの読者の評価を得ることになるのではないかと、私は思う。時代の先端を走っていた加藤の修辞に、時代の方が追いついて、作者はその重圧に圧しひしがれそうになりながら、何とか言葉の球を打ち返している。その苦しげな様子が、同様に重苦しい現実に直面させられている東日本大震災後の多くの日本人の苦しみに通ずるところがある。時代の現実とわたりあう「私」の詩の言葉とは、どのようなものなのか。細部を論ずればいくらでもつつく所はあるけれども、この歌集は、一つの答を出していると言えるのではないかと私は思う。

タグ: さいかち真 加藤治郎

大島史洋のうた

2021年11月23日 | 現代短歌
十六番目。
日めくり詩歌 短歌 さいかち真 (2012/07/03)
投稿日:2012年07月03日 カテゴリー:日めくり詩歌(月~金曜更新)

新しく植えられし木は義務として立ちいる如しコートの巡りに

ケイタイに余念なき顔つくづくと日本の鼻のつましきかたち

耳遠き父母の会話のかなしけれ聞こえぬからにいさかいもなく

   大島史洋歌集『遠く離れて』(ながらみ書房刊)

作者は、飾らない人柄で、とがったところはないけれども、リアリズムの徒らしく、なかなか皮肉な観察眼を持っていて、自分に対しても他人に対しても決して甘くはない。けれども、人情があって良識に富み、しかも知識を誇らず、談論すれば闊達にして、諧謔に富む。慕わしい人柄である。ほんものの「アララギ」直系の歌人というのは、こうでなくちゃいけない。何しろ、小学館の『日本国語大辞典』の編集長だった人だもの。それなのに、大学などに教えるために出ることもせず、そのままゆっくりと退職後の生活に入った。

私は、大島さんにこの人は変わった人だよ、と言われたことがあるが、大島さんにそれを言われてもなあ……。大島さんも、相当に変人だ。平凡なことを言って暮らしていても、どこかで俗世間の枠を超越したところを持っている。それを作者は、あくまでも平俗な言葉で語ってみせる。抑制のきいた「アララギ」伝来の言葉と方法を使って、正確に、端的に表現してみせる。

定年を過ぎてもいまだ吾にある親というもの思いみざりき
芥川多加志二十二歳にて戦死せり胸痛きかな小説「四人」の発見

これは、落ち着いて読むことができる、大人の文芸だ。この歌集の大島さんは、ついに認知症の母上を亡くしている。そういう老いの意味についても、短歌には短歌の認識の仕方があると、私は思う。そうして、短歌は、日常の些事、かずかずの「現象」を容易に形式のなかに取り込みながら、無意味なものと意味のあるものを一つながりに結んでゆく。大島史洋の歌は、そのような認知の場において生きてはたらく力を持っている。だから、読めば励まされるのである。

タグ: さいかち真, 大島史洋

土屋文明のうた

2021年11月23日 | 現代短歌
十五番目。
日めくり詩歌 短歌 さいかち真 (2012/07/16)
投稿日:2012年07月16日 カテゴリー:日めくり詩歌(月~金曜更新)

横はる吾は玉中の虫にして琥珀の色の長き朝焼け       『韮菁集』
 「玉中」に「ぎよくちゆう」、「琥珀」に「こはく」とルビ。

葦原は丘の如くに茂り立ちただ物々しま夏かぎろひ      『六月風』
 「葦原」に「あしはら」、「丘」に「をか」とルビ。

斎藤茂吉は、短歌のおもしろさとか、良さというものは、読みはじめ、作りはじめてから、すぐにわかるというような性格のものではないと言っている。たとえば掲出した二首目の歌を読んで、読者が自分自身の経験と照らし合わせて、炎暑のなかの道をたどった記憶が、みごとに言葉となって言い表されているのを読み、ああ本当にこんな感じだ、実にうまく言ったものだ、という読後感を持ったりするというような経験を積むことを通して、短歌というものの良さはわかって来るという性質のものである。

私は四半世紀前に「未来」短歌会に入会して、土屋文明の歌を、戦後間もない頃にいっしょうけんめい読んだという世代の人々と、幸いに交流を持つことができた。その中でもっとも印象に残っているのは、正確には覚えていないが、「土屋文明の作品のことだったら、その表通りだけではなくて、裏通りのことまで知っている」という岡井隆の言葉と、同じく岡井の「(ただうまいというだけのものではない短歌を作るには、)『山谷集』なんかの、あの荒々しいところを一度通って来ないとだめなんだ」という趣旨の発言である。

これらの言葉に触れることによって、私なりに自覚し、茂吉のいわゆる「悟入する」ところがあって、食わず嫌いだった土屋文明の多くの歌集をだんだん読んでみようと思った。そうして何よりも、近藤芳美の著書『土屋文明論』(一九九二年刊)を手にしたことや、古書で買った同じく近藤の『鑑賞土屋文明の秀歌』(一九七七年刊)、さらに雑誌「歌壇」の土屋文明特集(石田比呂志が『自流泉』について書いていた)などが、私の土屋文明への関心を深めてくれた。

小工場に酸素熔接のひらめき立ち砂町四十町(しじつちやう)夜ならむとす    『山谷集』

夏の光するどく空にうづまけり崩れ著(いちじる)き十津川(とつがは)の山     『往還集』

土屋文明の作品が持っている生々しい部分、力強くて、生きることにどん欲で、痛烈な反骨の精神のようなものを、私も受け継ぎたいと、若気の至りで思ったことがあったが、どうも逞しさの土台が違うという気がずっとしていた。そもそも漢文などの古典についての知識の桁が違う。それから生活というものの捉え方のスケールが違う。鰯の頭をがりがり囓って育ったのと、エクリチュールのガムをくちゃくちゃ噛んで育った者とのちがいでもある。

近藤芳美が、しばしば引用した文明の歌は、次のようなものだ。

白き人間まづ自らが滅びなば蝸牛幾億這ひゆくらむか       『青南集』

 これは米・ソの核実験が続いていた頃の歌である。福島の原発事故以後の今となってみると、この「白き人間」、原爆を生み、核兵器を作り続けている白人の支配する西欧文明国家への呪詛の歌を、これが作られた当時と同じような抗議する気持ちで読むことはできないのである。でも、この歌を、ただ反米・反核の気持ちを述懐しただけの歌と読むことは、できないのである。物事をもっと大きなスケールで文明史的にとらえる視覚のようなものが、この歌人にはあった。とは言いながら、この歌には戦後の進歩主義・革新的社会主義が持っていた反米意識も伏在している気がする。土屋文明は息子が共産党員だったから、左翼の思想にも理解はあった。けれども、「アララギ」の文明の高弟たちには自由主義的な精神の持ち主が多かった。私は、土屋文明は、アメリカ軍による占領という経験の中で、短歌形式と「アララギ」の存続を企図した歴史的な構想者であると思っている。戦後すぐは、現在のような比較的自由な時代が訪れるとは夢にも思わず、短歌が禁止されるような最悪の事態までも想定しながら土屋文明は活動していたのである。

戦後の日本人の多くがとらわれた「日本的なるもの」への自己嫌悪の念は、戦後詩を短歌の上に据えた。ところが歴史が一巡して、その戦後詩そのものが、かつての短歌のようになりかかっている。われわれの課題は、大きく重い。

 追記。「白き人間」の歌は、具象的で重く、政治的社会的な風刺の歌として戦後指折りの歌の一つである。 11.25

タグ: さいかち真, 土屋文明, 斎藤茂吉

生沼義朗『関係について』

2021年11月23日 | 現代短歌
十三をとばして十四番目。

日めくり詩歌 短歌 さいかち真 (2012/07/27)
投稿日:2012年07月27日 カテゴリー:日めくり詩歌(月~金曜更新)

狂犬が常に何かに吠えているブログ見ており、見世物として

薄くそして鈍き刃のごとくして聴こえ来るなり『ホフマンの舟歌』

  ライブドア事件報道

情報の情とは何ぞ 水に落ちし犬いっせいに撲られており

生沼義朗『関係について』(北冬舎)

現実というものは、なかなか容赦がない。一個人の生活史の中の出来事でも、世の中全体の景気の動向や、社会的な環境のあり方でも、思い通りにならない事象が、後から後からあらわれて、その苦さにただもう耐えているしかないというような、そういう時というのは、ある。生沼義朗の今度の歌集は、そういう部分で共感される要素を多く含んでいる歌集と言ってよいだろう。

一九七五(昭和五〇)年生まれ。これが第二歌集である。中澤系の五歳年下。この年代の若手歌人の中では、もっとも現代短歌の動向に通じている一人であろう。前衛短歌から今の学生歌人まで、一通り目を通していて、新しいものの出現に敏感である。でも、作品には浮ついたところがなくて、掲出歌をみればわかるように、むしろオーソドックスな短歌の形を守っている。今度の歌集には、青年の域を脱しつつある作者らしい、生活の歌が見える。それが私には、とても魅力的に感じられた。

要はつまり肩書きのあるその日暮らし、自分で会社を営むことは

午睡することもそれよりも覚めるのもさみしき、日曜日の仕事場に

ようやくに味覚戻れど年跨ぐストレスにまた舌先は荒ある

国家にはつねに関心あるもののヒューマニズムに興味はあらず

一冊を読んでいると、コミケとのかかわりについての説明や、友人の結婚式に出席する歌の一連など、多少作者の私生活の内容を語ることに傾きすぎた作品が目に付いた。私は、作者の私生活の個人的な内容、のようなものには興味がない。けれども、作者が見ているものの細部をどうとらえているかには、興味がある。上に引いたような歌が、今度の歌集にはたくさんあって、それは単に私生活の一面をとらえて嘆いたというだけの性格のものではないと思った。底に流れる憂愁が、現代日本人の多くの心に響くところを持っているのである。

タグ: さいかち真, 生沼義朗

金井秋彦のうた

2021年11月23日 | 現代短歌
十二番目。金井さんは「アララギ」の中の前衛短歌肯定者で結核のため早世した金石敦彦とまぎらわしい名前なので、一応おことわりしておくと、「未来」短歌会の選者をつとめた歌人である。さらにまぎらわしいことに、金井秋彦さんはその金石敦彦に師事していたのである。

 金井秋彦さんの遺歌集が出た際に、岡井隆がいとおしくて思わず本の表紙をなでさすったと「未来」の編集後記に書いている。

日めくり詩歌 短歌 さいかち真(2012/8/22)
投稿日:2012年08月22日 カテゴリー:日めくり詩歌(月~金曜更新)

この朝もきて坐る椅子老いしわが奴隷の膏しみてにおうを    金井秋彦
  「膏」に「あぶら」とルビ。

        『捲毛の雲』(一九八七年刊)

 横須賀の商工会議所に勤めていた作者の仕事の歌である。 

「この朝もきて坐る椅子」と二句で切れ、「老いしわが」で小休止。五・七調の歌である。
分かち書きすると、

この朝もきて坐る椅子。
老いしわが、奴隷の膏
しみてにおうを

というような感じだろうか。一首の中で言葉が幾度も屈折して、微妙なリズムを生み出している。それが同時に、現実の作者の内面の屈託の表出として感じられるところに短歌のおもしろさがある。人は、生活のために仕事にしばられて生きている。自分の椅子には、自分の体臭がしみついている。それを「奴隷の膏」だという。どこか悲劇的で、現代の明るいオフィスの雰囲気にはそぐわない歌かもしれないが、どんな時代になったって、サラリーマンの仕事には、「奴隷の膏」と言いたくなるような要素が、必ずあるはずだ。暑い夏などには、冷房のない時代の事務仕事は、きつかっただろうなあ。

日常のことにて今朝も置かれあり経営苦調書癌死亡証明書など

夕べ帰りきて身を休めまた出でてゆく商人ら争う街へ

 これを見ると、作者の仕事がどんなものだったかは、だいたいわかるだろう。短歌の場合、小説などとちがって事実的な事柄は、このぐらいに示されていれば、それで良い。作者には、事務所にやって来る商人たちの生活の内容がよくわかっていて、時には商売の生殺与奪にかかわる案件も目の前に出で来るのかもしれない。
わざわざこういう歌を拾って書き抜いてみたが、作者の本領は、別にここにあるわけではない。掲出した机の上の書類の歌のすぐ隣にこんな歌がある。

苦悶の梨という比喩に頷きいるときに別れ告げあう声の優しも

字余りと破調の目立つ歌で、仮に分かち書きすると、一二句が、
句またがりなために、

くもんのな
しというひゆに うなずきいる
ときに わかれつげ
あう こえのやさしも

というような、五七五七七に合わせようとする読みの意識と、散文的に読み下そうとする意識がぶつかって、独特の屈曲した抑圧的なリズムを感じさせるのである。しかし、これでは本当にわかりにくいので、

苦悶の梨 という比喩に 頷きいるときに
別れ告げあう
声の優しも

とでも書くほかはないだろうか。いずれにせよ仕事の退け時に「苦悶の梨」なんていうことを考えながら、誰かの絵、もしくは詩作品のことを考えている作者が、ここにはいて、そういう対象化された事物によって心の屈託を形象化しようと思うほどに仕事の中身は、苦悶を呼び起こすような、現実の厳しい姿をあらわすものだったということなのだ。
 金井秋彦は、広い意味での芸術家としての魂を持ち続けた人だった。歌人という規定のされ方のなかだけで生きるのではなくて、詩人であろうとした。また画家としての素養があり、私は実物を見たことがないのだが、油絵などもかいたらしい。とりわけ自然の諸相を心象として表現することにこだわりを持っていた。基本はリアリズムだけれども、この人の方法は、表現主義的なリアリズムというようなものだった。人間関係的にも、前衛短歌を領導した吉田漱や岡井隆のすぐ隣にいたから、わかりにくいけれども、前衛短歌の影響と言うよりも、金井秋彦の方法は、「アララギ」リアリズムの表現主義的発展形とでも言うべき、内在的なものだった。自己の内側で熟成させて、自ずから変化して出て来たものである。

焼木坂の樹樹ゆれ今日は寒くなるその先触れの繭状の雲

おのずから鎧わぬものに柊の老いし樹に棘の失せていること

斜陽のなか木立を出でてゆく影がふいにかがやきて向うへ跳びぬ

 金井秋彦は、大文字の「文学」が、光輝を持っていた時代の人である。「聖書」とかリルケの詩とか、ゴッホやセザンヌの絵とか、そういうものに接することが自分の生の在りようと何かしらかかわりを持っていると思って精神的な生活を営もうとした。内面の生、というものを持続しようとした。そういう精神生活の横に短歌が随伴していた。いま、そういう生き方をしている人は、ごく少ないのではないか。徹頭徹尾内向して、自分の穴を掘っているような、そういうマイナー・ポエットとしてのあり方を、過ぎ去った時代の一典型として慕わしく思い起こしながら、何か華やかな話題性のようなものに引っ張られて、言葉と体を空転させている才人たちに気後れを覚えるようなタイプの人に、そっと金井秋彦の歌をおすすめしたいと私は思うのだが。

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家原文昭歌集『踏水』

2021年11月23日 | 現代短歌
十二番目。
日めくり詩歌 短歌 さいかち真(2012/9/4)
投稿日:2012年09月04日 カテゴリー:日めくり詩歌(月~金曜更新)

「兄です」と施設の人に言いながら歩行器の母がわれを見送る

九十二の叔父より来たる快気祝叔父の好みの佃煮各種

間引きつつ枇杷の袋を掛けており脚立の上に風に吹かれて

                家原文昭歌集『踏水』(ながらみ書房)

『宜春』に続く七冊目の歌集。母の言葉も、叔父からのいただきものも、それはそうあるよりほかにないものとして受け入れられている。そこに淡いユーモアが漂う。

絵馬殿の奉納額の蟹朽ちて板に残れり蟹の輪郭

庭前の斑入り椿の荒獅子に花多ければ花多く落つ

彦島の先に六連の島が見ゆ風頭とう山の頂
 「六連」に「むつれ」、「風頭」に「かざがしら」とルビ。

 同じ一連から三首引いた。方眼の升目にきちんと書かれた楷書のような歌だが、
言葉に無駄がなく、近代の子規以来の写生の技の伝統が、ここに生きている。作者は石田比呂志の近くにいた人だ。歌に邪念のかけらもなく、要するに、自然体である。

日当たりの良きところより枯れの入る豌豆畑に豌豆を摘む

年年を畑の隅に生い茂る洋種山牛蒡多年草たり

 淡々とした写生の歌だけれども、どこかに命の摂理のようなものを語っているところがある。そうして、ほんの少し、人生の陰影を感じさせるようなところがある。そういう意味を感じるのは、私という読み手の一瞬の気まぐれにすぎないが、植物の生に向き合っているかぎり、人間は無為ではないし、人生も無意味ではないのだということがわかる。

納屋の屋根歩く鴉の音聞こゆトタンに重みかかるその音

 こういう歌がおもしろくないと、短歌はおもしろくないだろうと思う。私は美術館に出かけられなくても、旅行に行かれなくても、庭がなくても、この歌があれば不満はない。作者の納屋は、ありありと私の納屋である。

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二宮冬鳥のうた

2021年11月23日 | 現代短歌
十一番目。本当に二宮冬鳥はいい歌人だなあ。
日めくり詩歌 短歌 さいかち真(2012/9/17)
投稿日:2012年09月17日 カテゴリー:日めくり詩歌(月~金曜更新)


板のみちふみて林をいできたる原のうへには万年山が見ゆ
 「万年山」に「はねやま」とルビ。

天つかげあまねくありて龍胆のつねなる色を今日は悲しむ

たたなはるやまなみなべて音のなく光のしたに秋の赤まつ

                 二宮冬鳥歌集『壺中詠草』(昭和六一年刊)より

 「九重山飯田高原」という題の一連から引いた。姿のいい山を遠望するのは、気持ちのいいものだ。私は高所恐怖症のきらいがあるので、山にはのぼらないが、山を見ると、むやみにそれを絵にかきたくなる。この歌集の頃の作者は、七〇歳前後。「龍胆のつねなる色を今日は悲しむ」とあるのは、古語の「愛(かな)し」の気持ちが極まって、本当に「悲しく」なったのだろう。こういう近代短歌以来の自然詠というのは、誰が作ってもそう変わりばえのするものではないが、こうして一つの格調を持って詠まれると、あらためていいものだと思う。

蠟梅のひらくころより心臓の痛みはじまり紅梅のはな

死にしひと夜夜くれば話はなししてけふはそののち目のさめてをり
  「夜夜」に「よるよる」とルビ。

微かなる虫といへどもちかづきて来たりすなはち遠ざかりたり

 作者は心臓を病んでおり、歌集の中には自身の死を思う歌がいくつもある。作者が、常に心がけているもの、それはこの世の「美なるもの」と出会うことである。文字通り「蠟梅」と「紅梅」の間に、私の「心臓の痛み」が挟まれているのである。それを念頭に置いて見ると、故人と対話する歌や、小さな羽虫を詠んだ歌のどちらもが、端的な「美」の表象として立ち現れていることがわかる。
 美的な生き方というものは、あるのだろうか。美をもとめる生き方というのは……。二宮冬鳥は、長崎の原爆の被爆者の一人なのだが、声高にそのことを歌うことはしなかった。近年になって全歌集が出たので、興味のある人はそちらを入手することをおすすめする。

タグ: さいかち真, 九重山飯田高原, 二宮冬鳥, 壺中詠草, 日めくり詩歌, 短歌

今関久義歌集『四天木の浜』

2021年11月23日 | 現代短歌
ファイル移動の十番目。書いたこと自体を忘れている文章だが、「絶対の孤独を生きて逝きしとふ人の跡思ふこのごろ夜ごと」など、あらためていい歌と思う。

日めくり詩歌 短歌 さいかち真(2012/09/28)
投稿日:2012年09月28日 カテゴリー:日めくり詩歌(月~金曜更新)

明かすべき人ひとりなし幽囚の思ひに耐へて配膳を待つ

なほ生きてありて如何なる意義ありや問ひやまずけり夜半の潮騒

朝なさな水注つぎ足して病む者がいのちよろこぶかすみ草の花

あへぎつつ車椅子曳く犬に遭ふ待ちて歩道にしばし見送る

絶対の孤独を生きて逝きしとふ人の跡思ふこのごろ夜ごと

                 今関久義歌集『四天木の浜』(ながらみ書房刊)

 歌集の題は、「してぎのはま」と読む。序文、大河原惇行。序文に引かれている歌がどれも良いので、そのままみんな書き写したくなったが、それは本書を手に取る人の楽しみのために残しておきたい。私は、通りすがりに敬老園の先の九十九里浜にたたずむ作者の姿を望見したのにすぎない。
 一首目、幽囚の思いに耐えて配膳を待ち、二首目、なお生きてどのような意義があるのかと問う孤独な思惟から、生死のことを真摯に見届けようとする作者の強い意志を感ずる。
巻末の剣道四段、弓道四段、居合抜き五段、裏千家淡交会の終身師範という履歴が目を引く。作者は、武道と芸道の達者である。そのように、言葉を使って、自然と人生の〈現相〉(「現実」にかわるタームとして用いている)を表現することにおいても、作者は達者であろう。

道入の黒楽見ては涙こぼす茶の湯者左千夫は孤独なりにき

先生がいふ卑しさとは何か何か夜明くる波のけさしづかなり

 ここで言う先生は、小暮政次のことであると、大河原の解説文にある。同郷の先人伊藤左千夫も、作者の師なのである。師のある人は、幸せである。集中には玉城徹への挽歌もある。

「概念よ、君の歌は概念よ」懇々と眼交にして諭されにける

 これは、「歌を作ることについての歌」だが、「概念」のどこが悪いのか、と、ここに働いているドグマのようなものに反発する人もいるだろう。しかし、近現代の短歌史では、「概念」を排することを通して〈現相〉に直接対峙することを企図した人々の系譜が、ずっと続いて来た。そこで目指されているものは何かというと、「写生」と言ってもいいし、「人生」と言ってもいい。それに対して、「概念がいけない」のは、それが「思いこみ」だからである。「思いこみ」をやめたら、普遍性のあるところに近づけるかもしれない。では、その普遍性のあるところのものとは何か。たぶん、人生と文学芸術における「真」である。……こんなもろもろの思惟を、一首の歌で言われたって、わかりっこない、と言う人はあるだろう。仕方がない。歌とは、そうしたものである。
(ちなみに、私は「概念」だから悪い、という立場はとらない。概念だから悪いという立場で作った作品が、概念よりも劣っていることは、しばしばある。それは、この作者にだってある。私はそれをすべて肯定しているわけではない。)

タグ: さいかち真, 今関久義, 四天木の浜, 日めくり詩歌, 短歌

内山晶太歌集『窓、その他』

2021年11月23日 | 現代短歌
ファイル移動の九つ目。
日めくり詩歌 短歌 さいかち真(2012/10/11)
投稿日:2012年10月11日 カテゴリー:日めくり詩歌(月~金曜更新)

目の奥に吐き気のたまるゆうぐれを歩きおり家につくまで歩く

         内山晶太歌集『窓、その他』(六花書林刊)

この感じ、誰しも身に覚えのあるところではないだろうか。一日じゅう、たくさんの印象を受け取めながら街を歩いたり、仕事をしたりして来て、ゆうぐれどきになると、その嫌忌の蓄積が飽和状態になって、「吐き気」を催すほどになってしまうのだという。

 たんぽぽの河原を胸にうつしとりしずかなる夜の自室をひらく 

 歌集巻頭の歌。読んでからしばらくして、ここで言っている感じが、じんわりと伝わって来る。つまり「私」は、たんぽぽの咲いていた河原のイメージ、そこから受けた情緒的な快さを抱いたまま、夜の自室のドアを開いた、というのである。河原を歩いていた時は、まだ完全に日が暮れていなくて、河原にずっと咲いているたんぽぽの花が見えていたのかもしれない。あるいは、夜道でも、街灯などの光を吸って花だけが浮かんで見えていたのかもしれない。結句の「自室をひらく」という描写はやや大づかみだが、それはこの歌に合っている。

 旗を見るようにみているはるかなる麒麟の画像はおおかた光

 これは、きっちりと決まった写生の歌である。ドットの集まりで構成された電光パネルのようなものが、向こうの方に見えるのだ。

 「疲れた」で検索をするGoogleの画面がかえす白きひかりに

 これも、グーグルをうまく使っていて巧みな歌である。

 コンビニに買うおにぎりを吟味せりかなしみはただの速度にすぎず

 とうふ油あげこんにゃくしらたき漂える夏の夜の夢のなかのデパート

 
 こういう玄人好みの歌がたくさん入っているところが、うれしい。大向こう受けをねらって歌集を作っていない。「かなしみはただの速度にすぎず」という唐突で抽象的な断定も、日常生活の底によどんでいる混沌の中から、それを踏まえて出てきているということが、歌集一冊に目を通してみればわかる。むろん、空振りの歌もないではない。しかし、十分に実験的な意欲の感じられる第一歌集だ。

 頭よりシーツかぶりて思えりきほたるぶくろのなかの暮らしを

 忘却のこのうえもなき安けさにおつり忘れて歩みはじめつ

 一首目は、修辞のつじつまが合いすぎているところと、無意味でばかばかしいところが、うまく釣り合って、もう少しで駄歌になってしまいそうな、一首の理屈っぽさを救っている。これは、たぶん作者の体質(性情)が根っこにあってできている歌だということが、何となく直感的にこちらに伝わるから、むげに公式的な裁断を避けさせるのである。二首目は、もしかして深遠な歌なのかと声調がやや読者を構えさせるから、多少誤解の余地を残している。しかし、ユーモアの歌と読むべきだろう。この人は、性格だけでも十分にやっていけるし、もう少し孤独な美的完成を目指してやっていくこともできると思う。後者の道は、同行者が必要だ。こういう歌が、ふだんの歌会でどんなふうに言われているのか、私は興味を覚える。

 

タグ: さいかち真, 内山晶太, 日めくり詩歌, 短歌, 窓、その他

倉地与年子のうた

2021年11月23日 | 現代短歌
ファイル移動の八つ目。
日めくり詩歌 短歌 さいかち真(2012/10/24)
投稿日:2012年10月24日 カテゴリー:日めくり詩歌(月~金曜更新)

 機械におきかへらるるわが価値の苦き汗を吸ふ寒菊の黄は

 黒き雪降るよと言ひて仰ぎをりくさびらのごとき顔唐突に

 その翳が地上を暗くするごとし夕べの虹を掌もて蔽はむ

                    歌集『乾燥期』(一九六二年)より

               『倉地与年子全歌集』(短歌新聞社刊)所収

 戦後文学の主題の一つとして、日常とか、日常生活というものが論じられた時期があった。戦後の焼け跡からの経済の復興があった。その中で生きていた人びとの思いの一端を、倉知の歌によって知ることができる。掲出歌は、どれも結婚後早々に夫を失い、女手ひとつで子を育てなければならず、会社の事務員として働く日々の、屈従と辛苦が感じ取れる歌だ。
虹をうたってこのように薄暗い歌を残した人の心象の暗さを思う。空前絶後の歌ではないだろうか。続けて次のようにも歌う。

  デパートも機械も人の呻吟もこのひとときの虹の孤のなかに

結句は、「虹の孤」と刻字されている。弓なりの「弧」ではない。「弧」を「孤」と誤植された可能性もないではないが、「弧」では一般的であり、ひとつの虹としてあえて「孤」を用いた可能性を考えておきたい。

 ラジオ テレビなほ売らむかな工業デザイナーら乳汁のごとき絵具を溶きて

 内閣の変りしことも話題にならず技師ら何萬分の一の確率を探る

 われは美しきものを愛さねばならぬ負荷整流器のこぼす水銀粒を拾ふ

 互換性ある女の位置に迫りきてくちばし聡さとし能率強化

 清冽の粉雪とぶ日もがらすのうち九人のをとめ監督しつつ

 季節感なき事務室に陽のさせばをとめらのみ果皮の匂ひをはなつ

 一連のうち六首を続けて引いた。全歌集の解説で作者の作品の背景について、小高賢が男女雇用均等法も存在しない時代のことである、と指摘しているが、労働の現場において男女格差が厳然として存在する中での、息苦しい人間関係を描いた傑作だろう。四首めの「互換性ある女の位置」とは、作者自らの占める位置のことである。それは「九人のをとめ」を監督する年長者としての作者の立場を、もっと能率を上げないとあなたの地位は危ないぞ、と迫って来る会社の圧力である。

 「人間管理」ここまで追ひて来ることもなからむ山の秀に松は萌ゆ

 たった今、この瞬間にも作者と同じような思いを抱きながら働いている人がいるのではないかと私は思う。

※なお「互換性~」の歌については、「潮音」社の木村雅子氏にご調査いただき、もとの歌集からの誤植であるとして「聡し」になおした。

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