都ビル、奥村商店、田丸電機。千代田区神田須田町1-8。左:1985(昭和60)年7月21日、右:1985(昭和60)年2月24日
靖国通りの須田町交差点と淡路町交差点の間。地下鉄の出入り口は丸の内線淡路町駅と新宿線小川町駅のもの。都ビルのほうが田丸電機よりは背が高いのだが、形で田丸電機のほうに目が行ってしまう。ぼくは田丸電機の建物をこの辺りのランドマークのように認識していたこともあった。周りに高いビルが立つ前なら大通りに向いた塔屋を持つ建物はかなり目立ったと思う。
右写真は都ビルの南の裏側。現在は手前の駐車場がビルになり、奥にある神社が手前の裏通りのほうに移っている。
『日本近代建築総覧』には「田丸電機、1929(昭和4)年、設計:樋口次郎」、「都ビル、1929(昭和4)年、設計:千葉利智」。
1986(昭和61)年6月22日
田丸電機の「ONKYO田丸電機」の袖看板がなくなっている。都ビルの左のビルの看板は「太陽神戸銀行」。網がかぶせられて空き家のようだが、都ビルが現在も残っている。
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昭和30年頃の地図には「都SK」つまり都商会という会社になっていますから、その会社が風呂桶でも売っていたのか? というくらいのことしか思い浮かびません。「都ビル」となっていますから、その会社がビルのオーナーだったのでしょうね。
そうですか、ついに解体されましたか。
なぜこれまで解体されずに放置されるがままだったのか
謎でしたが、それだけ権利関係が複雑だったのでしょうか・・・。
今後の展開も教えて下さいませ。
私は若い頃東京の都心から城南地域にわたり外回りの仕事をしていたので、流一様がアップされている画像を観ると昔の友達とそのままの姿で再会出来た気分になり興味深く拝見しております。
私もこの都ビルは、昭和の時代から目をつけていました。
先日完全に解体されたのを確認したので、そのレポートを思い入れたっぷりにアップしております。
ご興味ありましたら読んでみて下さい。
新旧関わらず、建物を見て歩くことを趣味にしているものです。
自分でも数年前から建物探訪プログを書いていますが、都ビルの記事を書いている時に、この「ぼくの近代建築コレクション」に出会いました。
失われてしまった建物を知る為に大変貴重な記録だと思います。
是非リンクをさせて頂きたく、連絡させて頂きました。よろしくお願いいたします。
まず、写真がいいですね。建物全体の写真に、部分の写真が数枚という構成は過不足がない、という感じで見やすいです。文章が専門家らしい表現で簡潔にまとめられていると思いました。私は建物を表現するのに言葉に困りますが、貴ブログで勉強できそうです。
リンクに関してはよろしくお願いします。私のほうにもリンクをはらせて頂きます。