ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




桜門ビル。千代田区三崎町2-2
左:1992(平成4)5月4日、右:1983(昭和58)年9月

日本大学法学部図書館の向かい側にある日大通信教育部の先代のビル。建て替わったビルは6階建て、1階は石張り2階以上の壁には茶系の渋い色のタイルを貼って古風に見せた外観だ。あまり階数も高くしないで、先代のビルの面影を伝えようということなのだろうか。
『日本近代建築総覧』では「桜門ビル、建築年=昭和初期、構造=RC4階建」としかない。日大が建てたものなのかどうかも分からない。日大が建てたとすれば、元から校舎ではなく、事務所や校友会―日大の校友会の下部組織を桜友会というらしい―が使うための建物だろう。
この建物を取り上げたサイトに、『廃景録>消えた近代建築>桜門ビル』と『Site Y.M. 建築・都市徘徊>失われた近代建築 in Tokyo >桜門ビル』がある。解体されたのは2002(平成14)年で、現在のビルは2003年12月の竣工という。



桜門ビルの玄関と裏口
左:1995(平成7)年6月25日、右:1992(平成4)年5月4日

玄関に架かっている看板は「桜門ビル」「日本大学法学部校友会」「日本大学通信教育部校友会」と「通信教育部学習センター」の張り紙。



左:1985(昭和60)年8月4日
上:1985(昭和60)年9月15日

桜門ビルの隣は、今のビル(加藤ビル、1987年築、7階建て)が建つ前はキッチン南海と加藤洋服店(テーラー・カトウ)があった。その右の駐車場は1986年の地図で「日照堂専用駐車場」。桜門ビルの1階角が日照堂で、看板に「カレジアンショップ」とある。大学の購買部だろうか。加藤洋服店の正面は戦前の看板建築のようにも見えるが、三崎町は空襲で木造家屋は焼失した区域だ。

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コメント
 
 
 
懐かしいです。 (かめきち)
2016-01-11 12:43:09
懐かしさのあまり、失礼してコメントさせていただきます。
桜門ビルの3階だったかと思いますが、日大本部直属のサークルとして部屋の一画を使わせて頂いていました。
写真に写っている側の窓側で、日当たりの良い居心地の良い空間でしたので暇さえあれば経済学部・法学部、たまに近隣の明治大学のサークルメンバーが入り浸って寛いでいました。
凄かったのは1階にあったトイレです。ヒモを引っ張ると天井近くの箱から水が流れてくるタイプで、まさにゴッドファーザーpart1でマイケルが初めての暗殺時に銃を隠したトイレそのものでした。
今は全て取り壊されている図書館とともに、古き良き時代を感じさせる建物でした。
 
 
 
>かめきち様 (流一)
2016-01-12 11:46:59
桜門ビルには大学のクラブやサークルの部室もあったのでしょうか? 明大の学生までもが出入りしていたとは! 平気でタバコなんかをふかしていたのでしょうね。トイレの水槽というのは、おそらく鉄板で内貼りされた木の箱だったのでは?
 
 
 
日大新聞社は何処 (みたもん)
2019-10-17 03:17:05
桜門ビルって昔、日本大学新聞社が入っていませんでしたっけ。
 
 
 
>みたもん様 (流一)
2019-10-17 12:06:37
私は知りませんが、ありそうな感じですね。
1977昭和52年の住宅地図に、正面玄関の位置に「三崎町郵便局」とあります。郵便局が入っていたビルが建替えのため、一時的にそこに置かれたようです。
 
 
 
思い出しました! (みたもん)
2019-11-09 04:28:26
ご回答ありがとうございます。
日大新聞社は、たしかにここの4階か3階にありました。
なんか懐かしいです。
近くの4号館は学生自主管理のサークルの部屋だったかで、明大を追い出された青ヘルが居候していた時代です。
 
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