日本大学法学部図書館の向かい側にある日大通信教育部の先代のビル。建て替わったビルは6階建て、1階は石張り2階以上の壁には茶系の渋い色のタイルを貼って古風に見せた外観だ。あまり階数も高くしないで、先代のビルの面影を伝えようということなのだろうか。
『日本近代建築総覧』では「桜門ビル、建築年=昭和初期、構造=RC4階建」としかない。日大が建てたものなのかどうかも分からない。日大が建てたとすれば、元から校舎ではなく、事務所や校友会―日大の校友会の下部組織を桜友会というらしい―が使うための建物だろう。
この建物を取り上げたサイトに、『廃景録>消えた近代建築>桜門ビル』と『Site Y.M. 建築・都市徘徊>失われた近代建築 in Tokyo >桜門ビル』がある。解体されたのは2002(平成14)年で、現在のビルは2003年12月の竣工という。
桜門ビルの3階だったかと思いますが、日大本部直属のサークルとして部屋の一画を使わせて頂いていました。
写真に写っている側の窓側で、日当たりの良い居心地の良い空間でしたので暇さえあれば経済学部・法学部、たまに近隣の明治大学のサークルメンバーが入り浸って寛いでいました。
凄かったのは1階にあったトイレです。ヒモを引っ張ると天井近くの箱から水が流れてくるタイプで、まさにゴッドファーザーpart1でマイケルが初めての暗殺時に銃を隠したトイレそのものでした。
今は全て取り壊されている図書館とともに、古き良き時代を感じさせる建物でした。
1977昭和52年の住宅地図に、正面玄関の位置に「三崎町郵便局」とあります。郵便局が入っていたビルが建替えのため、一時的にそこに置かれたようです。
日大新聞社は、たしかにここの4階か3階にありました。
なんか懐かしいです。
近くの4号館は学生自主管理のサークルの部屋だったかで、明大を追い出された青ヘルが居候していた時代です。