ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




旧宇田川煎餅屋。千葉県松戸市小山。左:2012(平成24)年3月27日、右:同年2月4日

旧水戸街道の葛飾橋通りで、 文七森田商店の並び。左写真左手に、江戸川堤防の上を流山方向へいく流山街道のバイパスの起点である小山交差点がある。昭和初期に建てられたと思える古い家が並んで残っている。昔は商店だったのだろうが、今は住居にしている場合が多い。この家並みの後ろはすぐ江戸川堤防だ。
『昭和の松戸誌』(渡邉幸三郎著、崙書房出版、平成17年)の「昭和12年の家並み図」を照らし合わせて戦前の店名を推測してみる。左写真左の平屋の看板建築は「岩間」という軍人の家で戦後、炭屋をやったという家、としておく。店の構えは炭屋を開店したときにこしらえたものだろう。その右隣は宇田川煎餅屋。その右に路地が入っていて、家の側面が見えている。右写真左の白い壁の家は永戸パン屋。その右は廃屋で、すでに天井も崩れかかっている。たぶん、長谷部小鳥屋か。



1段目写真の裏側。2012(平成24)年3月27日

葛飾橋通りは堤防の上から平地の旧水戸街道へつなぐ通りだから小山交差点付近は盛土で坂道にしてある。1段目写真のあたりも盛土したらしく、堤防との間は窪地だ。通りの側が1階でも裏に回ると2階建てで、旧宇田川煎餅屋の横を入る路地も坂道である。そこを下ってもすぐ堤防になるだけで、裏側を通っている道路はない。そんなところに入り込んでは、そこに建っている家の人から見れば裏側を見られるだけのことで愉快ではないだろう。ぼくも申し訳ないとは思ったが、好奇心には勝てない。
『昭和の松戸誌』によると、戦前、この窪地に「村田瓦屋釜場」があった。「堤防下には村田瓦屋が二基の釜場を設け、住居の両側に細工場、周りは乾燥用棚や松葉の山で、釜脇には一面に瓦が干してあった」そうである。

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