ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




町田食品店・森沢商店。中央区銀座2-13。1985(昭和60)年10月13日

昭和通りの1本東の裏通り。昭和30年頃の地図(住所は銀座東2-7)では、天野そば店、町田食品店、森沢紐店、椿堂文具店、松本理髪店とならんでいて、あまり変化していないようだ。



森沢商店。1987(昭和62)年5月

1枚目と同じような写真だが町田食品店が取り壊されて森沢商店の側面が見えている。


酒蔵秩父錦。銀座2-13。1988(昭和63)年2月14日

ちょっと銀座とは思えない風景だが、建物が建った昭和初期は木挽町だった。木挽町ならこんなものか、とわけも無く納得してしまったりする。
秩父錦の出桁造りの建物は今も健在だが、その周囲はすっかりビル化された。かつては写真のように両隣は銅版貼りの看板建築だった。写真左が藤田クリーニング店、右が萬福(中華料理)。秩父錦が薪炭商だったという記述はネット上でよく見かける。木村伊兵衛だったと思うが炭屋だったころの写真があって、それあたりが原典かもしれない。

萬福
1988(昭和63)年2月14日

現在は隣のビルと一緒に新しいビルになって萬福の入口はビルの角に移動した。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )



« 高林クリーニ... 蛇の目寿司、... »
 
コメント
 
 
 
中央区の移り変わり・・・ (とおる。)
2007-09-05 21:44:59
最近、蛎殻町から墨田区に引っ越しました。

墨田区はまだまだ古い建物が健在です。いまだに、電話番号も03-○○○-・・・という看板を多く見かけます。

中央区は利便性も高いですし、オフィス街としての利用価値も高いでしょうから、街がどんどんと変ってしまうんでしょうね。
 
 
 
墨田区 (流一)
2007-09-07 10:26:32
>とおる。様
墨田区は都心とはまた違った面白みが発見できるところではないでしょうか。本所区・向島区の名残を探すのもいいし、錦糸町駅周辺のちょっとごみごみした町を歩くの……
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。