ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




民家と瀬戸物倉庫。中央区日本橋蛎殻町1-5。1985(昭和60)年10月10日

新大橋通りの東の裏通りになる。写真右の日本家屋は純粋な住宅で、この辺りでは珍しい。体育の日の祝日なので国旗を出している。
隣の倉庫には陶器が保管されているのを目撃したことがある。古今・お江戸日本橋の「蛎殻町」に『明治から大正期にかけて蛎殻町には、箱崎川の水運を利用した船荷が陸揚げされたため、稲荷堀の通りには雑貨問屋が並び、1丁目には瀬戸物問屋が集中していました。』の記述がある。人形町の瀬戸物市はそれを引き継いでいる。昭和35年頃は、瀬戸物市は新大橋通りの東側、水天宮交差点からかつての富士銀行の辺りに展開していたのを憶えている。
倉庫の隣の角の家は15年位前(撮影時の)に「ファミリー」という喫茶店になった。



雪印牛乳蛎殻町販売所。日本橋蛎殻町1-5。1985(昭和60)年10月10日

新大橋通り、銀杏八幡の向かいの横丁。写真右端にわずかに銀杏八幡の銀杏の木が写っている。雪印牛乳の建物は新建材で改装されてしまったが現存し、商売も続けているようだ。戦前の地図では「料リヤ」となっている。
後ろの大阪屋は商人宿。写真のビルに建て変わったのは昭和45年頃だったと思うが、このビルも昭和62年にはなくなってしまう。以前の建物は和風の二階建てだったが、持ち主は建替えなければよかったと思ったことだろう。大相撲の触れ太鼓がやって来ていた。



雪印牛乳蛎殻町販売所。1987(昭和62)年頃

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コメント
 
 
 
ちょうど・・・ (とおる。)
2006-12-28 21:23:59
このあたりはちょうど木村湯の向かい角あたりですよね?

こんな風景だったんだなぁ・・・。
 
 
 
思い出しました・このあたり (くまです)
2017-01-22 16:24:07
この先の新大橋通りを渡って、銀杏八幡様の斜め前に、蠣殻町の生まれた家がありました
それより以前は、新大橋通りの小網町にあり、焼けて蠣殻町へうつったそうです
小網町当時の家の写真があったら見たいものです^^
90歳近い叔父に電話したら、小網町の家を懐かしがっていました
床屋さんでしたが、キッコーマン系列の社長さんや
美智子皇后の叔父さん、白木屋のっとり事件の横井社長が常連さんのようでした
 
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