ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




小山花卉店。中央区日本橋人形町2-3。1987(昭和62)年5月31日

写真右の道路は人形町通りの1本北の裏通りで、左の横丁へ行くと人形町通りの板倉屋食品店の角に出る。角の家と小山花卉店は現在もこのままだが、右奥に見える看板建築の家はビルに変わった。
火保図を見ると、角の家は昭和30年ごろは「リラ(洋装)」、戦前は「カフェー」で『にほんばし人形町(人形町商店街協同組合、昭和51年)』によると「松竹」という店名になっている。


はやし(料理・酒)。人形町2-3。1987(昭和62)年5月31日

ジョリー(マタニティ)
人形町2-3
1985(昭和60)年4月18日

ジョリーは昭和30年頃は鈴木洋品店で、『人形町々並細見図』(『にほんばし人形町』付録)の大正15年の図に出てくるから写真の建物は鈴木洋品店として建てられたと思われるが、アーチの飾りの中の丸に大のマークはなんだろう。
写真右に吉野家があるが、人形町に進出したチェーン店のなかで最も早い店だっのではないかと思う。2階は「ゲームコーナー・ジュン」で、少し前まで、やはり「ジュン」という喫茶店だった。吉野家の前はレストラン「潤」。昭和30年頃は竹屋という反物店で、竹屋は『人形町々並細見図』の昭和5年に出てくる。
ジョリーの左が甘酒横丁の角になる玉英堂(和菓子)で、尾張屋という甘酒屋のあった場所だ。間野先生(歯科医・故人)は「甘酒屋横丁」と言わないと承知しなかったが、そういう明治生まれの人は死に絶えたようなので、念のためぼくが記録しておく。

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コメント
 
 
 
夜の光 (とおる。)
2007-07-18 00:06:59
夜、この小山さんの前を通った時、薄暗い店の中、土間に水の光がつややかに光っているのを見たときになぜか下町を感じました。
 
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