ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




直井整骨療院。中央区八丁堀2-22。1984(昭和59)年6月17日

第一田村ビルの四つ角の北側。奥に新大橋通り沿いのトヨタ八丁堀ビルが見えている。写真左端が野沢天祐堂の野沢ビル。1986年の住宅地図では角の「直井整骨」から奥へ、「杉山ビル、テクニカルサービス、内外印刷(株)、東栄(有)・玉野製作所、巻渕ビル、高野ビル」であるが、撮影時には巻渕ビルと高野ビルはまだ建っていない。新大橋通りとの角は「ヨンゴー」(配管部品、材料)である。
野沢天祐堂は1925年創業の漢方専門薬局。昭和30年より前の、まだ木造の家だった頃、ショーウインドウに置いてあったアルコール浸のビンに入った蛇をしげしげと眺めた憶えある。
現在では直井整骨療院が「鈴らんビル」(1・2階は「ゆめ乃」)になり、以下、宮地ビル、東京テクニカルサービス、内外ビル(1985年10月竣工、1階は 珈琲屋めいぷる)、日本フィッシング会館(1998年竣工)、高野ビル(1階は写真屋さん45)。



トミヤ。八丁堀2-16。1984(昭和59)年6月17日

1枚目の写真の横丁の反対側、平成通りのほうを見ている。角が三菱製紙販売と加賀屋(戦前から続く靴店)でそこから少し入ったところ。1986年の住宅地図では写真左から奥へ、「藤川商店(食料品卸)、トミヤ(食器)、林レフ、東光商事不動産、トミヤ(たばこ)、料理殿長、(株)ヤカ(印刷)、池田商店、新高屋食料品(べったら漬の看板)、中央ドライ、榎本(豆腐、平成通りの裏道の角)」。
ここの町並みは現在も意外と残っている。藤川商店、殿長、ヤカ、榎本豆腐店は建物もそのままで商売も続けている。榎本豆腐店はかつてはこの辺りでいくらでも見られた木造モルタル壁で和風の住居のような造り。今ではけっこう貴重な存在である。その向かいのまりっぺ(おにぎり)も写真に看板が写っているが、榎本豆腐店に似た家。この一角は八丁堀がビル街になる以前の姿がまだ見られる。

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