糖業会館。千代田区有楽町1-9。左:1986(昭和61)年8月17日、右:1992(平成4)年3月8日
設計は渡辺節、清水組の施工。社団法人糖業協会のクラブハウスおよび事務所として建てられたらしい。建てられた昭和14年は9月にナチスドイツがポーランドに攻め込んで第2次大戦が始まった年だが、製糖業界は景気がよかったのだろうか。
清水建設200年作品集で竣工時の姿を見ると、正面から見たところは5階建てで、奥にもう1階、その一部に7階の部分が乗っている。上の写真では7階までは階段状の空間を埋めるように増築され、8階もありそうだ。
糖業会館の玄関。左:1985(昭和60)年11月22日、右:1986(昭和61)年5月18日
ニッポン放送の開局は1954年で、最初から糖業会館に本社を置いた。ビルの増築はどうもニッポン放送の要請によるものらしい。
現在は2004年竣工の「糖業会館・ニッポン放送本社ビル」に変わった。
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昔のビルは玄関の造りからして重厚さがあって現代のビルはどうしても安っちく見えてしまいます。
一時期世間を騒がせたニッポン放送の旧本社ビルの姿を拝見できて今回も貴重な写真に大満足です。
ビルの谷間で、いつも日が中途半端に翳ってるものですから、撮影しないままでした。その後お堀端を歩いていたら、糖業会館が取り壊されてたのを気づきました。あと、銀座の東邦生命も同じような感じで撮影しなかったら、ある日近くを通ったら取り壊され更地になっていました・・・・。
でも三信ビルが取り壊されたのをはじめ、銀座や日比谷の古いビルディングが旧に少なくなったような気がします。
この建物の地下にあったレストランを利用しましたが、
フロアに段差があり、部屋の奥まった部分の壁に
見事なモザイクタイルがあったのを覚えています。
ああ、写真を撮っておくんだった。
レストランは「ニュートーキョー」だったと思います。
内部の様子が見たかったですね。渡辺節の代表作である大阪の綿業会館のような感じだったのか、あるいは普通のオフィスビルだったのか気になります。
糖業会館を取り上げる際にネット検索してみましたが、ほとんど情報は得られませんでした。
私はどうも行動力がなく、まだ紹介いただいた本を見ていないのですが、月刊誌『太陽』の1986年2月号「特集―甦るアールデコ」に内部の写真3点が載っていました。なかなか贅沢な造りだったようですね。
お写真懐かしく拝見しました。
S60当時は、小生、糖業会館内でアルバイト
しておりました。
今では、向かいにある農林ビルや保険会社のビルも
すっかり変わってしまいましたね。
もう20年以上も前の貴重な写真に巡り会えて
ただただ嬉しいです。
私のように60歳を過ぎると20年前などはそれほど昔のこととは感じませんが、東京の都心などはほとんど一変してしまいましたね。
これを機にこれからもよろしくお願いします。
今でも忘れられません。三信ビルとともに有名でした。
内部の写真はありますか???
製糖業は消費者とは食品会社を介してしか関係しないので、どういう会社があるのかも知りませんが、戦前は食品会社の社長がここに来て、砂糖を回してくれるように頼んでいたのでしょうか。
交詢社のイメージでした。代官山・恵比寿で仕事をしているのですが、同潤会アパートの写真とか私も撮影しておけばよかったと後悔しています。これからもHPを拝見させて頂きます。ますますのご活躍を!