ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




野田市立中央小学校。千葉県野田市野田611。2006(平成18)年4月29日

野田市立中央小学校は戦前に建てられた「三年館」と「七年館」の校舎が残っていて使われている。写真はどれも三年館のもので、七年館は道路からは離れているうえ、昭和40年に建てられた新校舎と管理棟の陰になっているので、学校の敷地に入らないとちゃんと写真を撮れない。
関根要太郎研究室@はこだて>千葉県野田市立中央小学校』によると、設計者は不明、施工は大林組、三年館は1928(昭和3)年3月の、七年館は1932(昭和7)年7月の竣工。『千葉県の近代産業遺跡>近代建築』の『「千葉県近代建造物実態調査報告書」の現況』によると、「キッコーマン(株)が寄贈したもので、当初昭和記念館と呼ばれていた。道路側ファサードにはそのことを示すように、柱型上部に亀甲紋の入った装飾が施されている。」とある。



野田市立中央小学校。2006(平成18)年4月29日

中央小の南を東西に通っている道路を「東町(あずまちょう)通り」という。中央小の校門の前にそれを示した標識が立てられている。またこの通りの街灯には「中央東会」の標示板が付いている。
東町通りの大谷石の校門は昭和25年に作られた(教育資料館の「学校の沿革」)。その門の左右に低い土手を築いて生垣にしている。昭和28年にプールを造って、「プール堀上の土で、東町側の土手を築き、完工する」とある土手だろう。そうすると、学校の向かい側を「東町(あずまちょう)」といったのだろうか?
写真の辺りは現在、駐車場になってしまって土手もなくなっている。

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