ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




フクヤ美容室。中央区日本橋人形町2-22。1987(昭和62)年2月22日

大門通りの甘酒横丁との交差点からすぐ北の辺り。大門通りから東側は旧住所では浪花町である。写真右のビルは「二葉亭ビル」。現在もあるビルだが今はGoogleマップでは「京樽人形町ビル」。その角を入って次の四つ角に、撮影時には「東京芳町会館」があったようだが今はどうなのだろう。
写真左の日本家屋は「牧野商店」で、現在は牧野商店とフクヤ美容室が6階建てのオフィスビルになっている。


左:牧野商店。日本橋人形町2-22。1988(昭和63)年1月29日
右:大勝軒本店。日本橋人形町2-22。1987(昭和62)年2月22日

出桁造の両脇に防火壁を張り出させた建物が牧野商店。見たところ戦前の建築に見えるが、大門通りから東側はほぼ空襲で消失した地区になるので、この家も戦後に建て直されているかもしれない。
牧野商店の左は大幸ビルで、現在も「人形町眼科クリニック」の看板を出している。このビルの隣が小林ベーカリーのビルで、その角を東に入ったところが右の写真。写真右端が小林ベーカリーのビル。中華料理の大勝軒はかなり有名な店だった。大勝軒という店名はよく目にする。この店が本店だか元祖なのかもしれない。「ラーメンと餃子」という店ではない。シュウマイはたいていの客が頼んだ一品だったが、餃子はメニューになかったと思う。家族でご馳走を食べに行くという感じの店だったが、昼食ならシュウマイとラーメンで済ませる場合もあった。ラーメンは日本そばの器で出てきた。そのせいか味もなんとなく日本風のあっさりした感じだったように覚えている。
ネットで調べると「人形町大勝軒系」という暖簾があって、その大元だった。1912(明治45・大正1)年の創業である。現在、人形町3丁目にある大勝軒は1987(昭和62)年に暖簾分けされたものらしい。
建物は、タウン誌の記事でだが、昭和28年に建てられたものと覚えている。入って左の窓にはステンドグラスがはまっていた。
現在は大勝軒ビルに替わった。大勝軒という喫茶店を開いているという。



香月。中央区日本橋人形町2-22。1987(昭和62)年2月22日

大勝軒の並びで東の方を見ている。木造の家は戦後まもなく建ったものだろう。写真右端は「山一」で、大勝軒から3軒先。山一のビルと写真中央左よりの白い壁の家とが現存している。それ以外はビルに建て替わった。

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