ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




吉田商店。中央区新富2-3。1987(昭和62)年12月6日

平成通りの新富2郵便局の交差点を新富橋の方へ入ったところ。
看板には「雑貨/家庭日用品」とある。雑貨屋ともいうが昭和25年ごろの火保図に「吉田荒物」とあり、最近はあまり聞かなくなったが荒物屋といったほうが適当のような気がする。建物の横に「新富スタンプの店」の看板が下ろされている。この頃には役目が終わったのだろうか。



酒亭花菱。新富2-2。1987(昭和62)年5月3日

吉田商店の横丁の向かいで、写真右へ行くとすぐ新富橋。写真左の木造家屋は花貞という生花店。花菱と花貞を囲むように平面がL字型のビルがあるが、富士写真製版のビル。


2009.05.26追記
吉田商店
1989(平成1)年11月5日

吉田商店を写した写真がもう1枚あるので、1枚目の写真とほとんど同じ構図なのだが載せておく。吉田商店は現在も旧店舗のすぐ近くのマンションの1階で盛業中だ。昭和23年に創業し、現在のご主人で3代目になるという。

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コメント
 
 
 
Unknown (したまちっこ)
2008-01-04 11:45:37
 花菱と花貞さんは昨年まで残っていました。アッと言う間に取り壊されてしまい「写真を撮り損ねた!」と悔やんでいたのですが、思いがけないご対面に頬が緩みました。
 跡地はビジネスホテルになるようです。新富町は以前は春木屋さん他和風旅館も多かったのですが・・・味気ないホテルが建つんでしょうね。
 
 
 
>したまっちこ様 (流一)
2008-01-04 23:02:22
花菱のかわいい建物も消失ですか……
春木屋旅館については覚えがありません。戦前の地図にも載っていますね。「東京案内記」(木村毅編、黄土社、昭和26年発行)という古い本の旅館一覧に載っていました。『最寄駅:(都電)新富町、距離:スグ、室数:14、収容人員:45、一般料金:1,000円』となっています。ちなみに上野の駅前旅館で500円位、目黒の雅叙園が1,500円です。
 
 
 
Unknown (したまちっこ)
2008-01-05 17:10:46
 春木屋旅館は、平成通りにある新富ニ郵便局とみかど果物店(現中華料理店)の間の道を新大橋通り方向に少し行ったところにある黒塀の旅館でした。田島ふみ子さんの「東京下町新富育ち」という本にも出てきます。田島さんの生家は春木屋の前にあったそうです。
 昔は松竹の関係か役者さんが泊まることも多かったようです。
 
 
 
 
懐かしい! (吉田商店)
2009-06-06 22:58:20
ふとしたきっかけで、こちらのブログに出会い、昔の我が家に再会できるとは…、感激です!
今夜はたまたまテレビのアド街ック天国が新富町。
これまた不思議なご縁かと。

懐かしい新富町の町並みを沢山見させていただきました。
またゆっくり拝見させていただきますm(__)m
ありがとうございました!
 
 
 
>吉田商店様 (流一)
2009-06-08 18:33:43
当ブログへの訪問とコメントをありがとうございます。当ブログの写真の建物の方からコメントを頂けるとは、私も感激です。
新富町は銀座の隣ですから古い建物がビルに換わってしまうのは致しかたないのでしょね。ブログの写真は20年くらい前のものが多いのですが、それでも写し損ねた建物が多いのだろうと思います。
吉田商店の隣の煉瓦亭はアド街ック天国で紹介された煉瓦亭の旧店舗なのでしょうか?
もし差し支えないようなら、吉田商店の沿革などをお知らせ願えないでしょうか。それでこのブログも充実してくると思うのですが。これからもよろしくお願いします。
 
 
 
恐縮です (吉田商店)
2009-06-11 12:36:45
コメント返信をいただけるとはこちらこそ恐縮です。
おっしゃる通りアド街ックに出ていた煉瓦亭は写真の我が家の隣にある煉瓦亭が旧店舗です。その昔はおもちゃ屋だったと聞いています。
私は吉田商店の三代目ですが(現在は新富の違う場所で営業中)、店の沿革は母のほうが詳しいので、また母から聞きコメントさせていただきます。

先日の中和産業のライオンの写真、大変懐かしかったです!
 
 
 
沿革 (吉田商店)
2009-06-25 12:34:14
ご連絡が遅くなり失礼致しました。


吉田商店は昭和23年に祖母が始め現在に至っています。
平成元年か二年に写真の場所を立ち退くことになり、自宅での商売を祖母が亡くなった翌年の平成七年まで営業し、その後現在の場所(新富2‐3‐5)に移りました。
二年半前に母から私に代替わりし営業を続けています。
簡単な沿革で申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。
 
 
 
>吉田商店様 (流一)
2009-06-25 21:09:25
わざわざのご報告、ありがとうございます。
戦後すぐの創立ということでしたか。銅板貼りの建物は、昭和初年に多く建てられた形式の商店建築なので、やはりその頃のものだと思います。新富町は空襲にはあわなかったので、家を手に入れるとすぐご商売を始めることができたのでしょうね。
本文1枚目の写真とほとんど同様の写真ですが、1989年に撮った写真を追加しました。
1枚目の写真の日付「1989(平成1)年11月5日」を「1987(昭和62)年12月6日」と訂正しました。
 
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