ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




カフェー・パウリスタ、いし川。中央区新富2-11。1986(昭和61)年5月

新大橋通りを正金アパートの角で西へ入ったすぐのところ。写真右の空地は家が2軒あった。住宅地図ではパウリスタの隣は「観堂」その右側は空白。昭和30年頃には「尚文堂印刷」だからそれだったかもしれない。
「昭和50年代写真帖」というサイトの「築地―p.5」に1978年撮影の写真が載っている。パウリスタは「コヒー・センター」の看板を上げているが、1階は和風の引き戸だから喫茶店には見えない。コーヒー豆を売っていたのだろうか。取り壊された2軒が写っている。


神林印刷
新富2-14
1985(昭和60)年頃

新大橋通りの裏側で、入船橋に近い。スクラッチタイル貼りの壁のようだが写真がぶれていてよく分からない。撮影後じきに取り壊されたようで、その後は見ていなくて取り直しもできなかった。

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コメント
 
 
 
お隣りは・・・ (したまちっこ)
2009-05-19 17:41:30
 ご無沙汰しております。
 このパウリスタは珈琲豆の販売店でした。今も近くに場所を変えて(倉庫兼ですが)珈琲豆の販売を行なっています。コーヒー豆を買うと挽いてくれて、ミルクとドリップ用のペーパーをおまけにつけてくれてとてもお得です。
 パウリスタのお隣りは、昭和40年代後半頃までは「池田屋」というお惣菜屋さんでした。ふかしたてのシュウマイと注文に応じて揚げてくれるコロッケとトンカツ等。おいしかったですよ~。
 引き出しに小麦粉やパン粉が入っていていつもおじさんがそれを順番につけて揚げるのを楽しみに見ていました。
 その隣りがおそらく書いていらっしゃった印刷屋さん。その先が地元の子どもなら誰でも知っている楽しいご主人がいるパン屋兼お菓子屋の「木村屋」さん(今でも独特の瓦屋根の建物は残っています。)
 会社員の方々は池田屋さんで買ったお惣菜を木村屋さんでパンに挟んでもらってコロッケパンやトンカツサンドをランチにしていました。
 
 
 
 
>したまちっこ様 (流一)
2009-05-20 10:26:58
新富町をアップするのにだいぶ間が開いてしまいましたが、早速のコメントをありがとうございます。
パウリスタは喫茶店が増え始めた昭和40年代からコーヒー豆の販売を始めたのかな、という感じがします。今も続いているということですが、やはり飲食店がお得意さんなのでしょうね。
池田屋のコロッケと木村屋のパンでコロッケパン――いいですねえ。
 
 
 
池田屋さん (新富三郎)
2023-02-23 16:32:44
「池田屋」さん、なつかしいですねー。コロッケとトンカツ、おいしかった、よく食べた。ご主人は竹内さんで
働き者。娘の奈美ちゃんは私と京橋中学で同級生だったが、若くして亡くなった。奈美ちゃんと卓球したのが忘れられない。終戦後で誰もが必死に生きていた。神林印刷にも2-3回遊びに行ったことがあり忘れられぬ。夢のようだ。
 
 
 
>新富三郎様 (流一)
2023-02-24 12:09:09
「池田屋」は昭和25年頃の火保図に「竹内干物善二郎」で載っています。その建物があるうちに撮影したかったですね。新富三郎様が新富町で遊んでいた少年時代はその火保図の世界だったのでしょうか。
「京橋中学」は今、なんという中学校になっているのかご存じですか?
 
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