ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 





上:旧大蔵省関東財務局横浜財務事務所
神奈川県横浜市中区日本大通34
2010(平成22)年4月10日

左:旧労働基準局
2002(平成14)年1月14日

「日本綿花」という会社が横浜支店(本社は大阪)として1927(昭和2)年に渡辺節の設計、佐伯組の施工で建てたビル。スクラッチタイル張りの壁と軒のロンバルディア帯からロマネスク様式になるのかと思うのだが、アーチの入り口も窓もない。そういうことを考えても仕方ないのかもしれない。ビルの後ろに、よく似た形、大きさのビルがあるが、同時期に建った日本綿花の倉庫(たぶん生糸の)である。
明治期前半、紡績業の原料である綿花の輸入は神戸などの外国商館が独占していたが、1892年(明25)に関西の財界人が中心になって日本綿花(株)を大阪に設立して綿花の輸入を始めた。しだいに取引範囲を広げて、1943(昭18)年には総合商社をめざして日綿実業(株)と改称した。横浜支店は生糸の輸出を主な業務にしていたようだ。戦後は進駐軍に接収され、日綿実業はほかに移ったのだろうが、接収解除になっても戻らなかったらしい。日綿実業はその後、1982(昭57)年に「ニチメン(株)」と改称。2004(平16)年に日商岩井と合併し「双日(株)」となっている。

 


上:2010(平成22)年4月10日
左:2009(平成21)年7月26日

建物の戦後の履歴だが、接収解除後は1954(昭和29 )年に 国が取得して、1960(昭和35) 年2 月から 大蔵省関東財務局横浜財務部として使用を開始する。横浜財務事務所は1993(平成5)年に横浜第二合同庁舎に移った。その後は空き家だったが、1997(平成9)年3月から12月まで、横浜地方裁判所が建て替え工事のために仮入居したことがある。2003(平成15)年3月に横浜市が取得、同年8月に横浜市登録歴史的建造物として登録された。2006(平成18)年に「ZAIM」というアーティスト達のアトリエ・展示場として使われたが、2010(平成22)年3月末で閉館している。現在は市が建物を使ってくれる企業を探しているようだ。
倉庫は1961(昭和36)年から労働基準局が使用するようになった。労働省(現・厚生労働省)の部局のことだろう。今後は耐震補強工事を実施した後に中区庁舎の一部として活用していくという。現在は「なか区民活動センター/なか国際交流ラウンジ」の看板が出ている。

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