ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




区立鉄砲洲小学校。中央区湊1-4。1987(昭和62)年12月20(4枚とも)

現在、鉄砲洲児童公園に、1976(昭和51)年に開校百年を記念して建てられた石碑があり、そこに「鉄砲洲小学校の沿革」を記したプレートがはめられている。それには、「1877(明治10)年7月、京橋区南飯田町一番地に築地小学校として開校」「1892(明治25)年9月、京橋区新湊町三の四の五へ移転」とある。そこは現在の湊2丁目になるようで、関東大震災後に鉄砲洲通りが通されることで、現在地に建てられたのが写真の校舎である。「1910(明治43)年5月、東京市鉄砲洲尋常小学校と改称」した。
写真の校舎は東京市が建てた震災復興小学校。2010年に日本建築学会が中央区へ出した保存要望書によると、「起工=昭和3 年4 月20 日。竣工=昭和4 年3 月19 日。設計担当者=原田俊之助。施工=上遠合名会社」である。原田俊之助は東京市土木局の主任技師ということだが、明石小学校、泰明小学校にもかかわっている。外観の特徴は大きい窓の間に円柱の柱型を通して、その上に単純な庇を設けていること。全体は立方体の組み合わせで、出入り口などをアーチの開口部にしている。


鉄砲洲小学校は1993(平成5)年4月に八丁堀の京華小学校と合併して「中央小学校」になった。なんとも味気ない名前になったしまったものだ。2010(平成22)7月まで、写真の校舎を改修して使っていたが、その後解体され、2012(平成24)年10月に現在の新校舎が完成した。


鉄砲洲小学校体育館

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