ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




日証館ビル。中央区日本橋兜町1。1984(昭和59)年6月24日

横河工務所の設計、清水組施工で1928(昭和3)年の建設。
今は4・5階上の軒が直線になっているが、1950年代の写真を見るとヨーロッパの城のような細かいアーチの連続で(ロンバルディア帯というらしい)、4階の窓の中央部6箇所に半円形のバルコニーが突き出ている。
今は首都高と駐車場になってしまったが、かつて楓川(紅葉川もみじがわ)が日本橋川から分かれて京橋川に通じていた。その河口に近いところに兜橋が架かっていたが、写真はその兜橋の東の際からの眺めに当たる。左の木立は兜神社。渋沢栄一が1879(明治21)年、洋館の家を建てた場所だ。『中央区沿革図集』の「大正元年日本橋地籍地図」では、兜神社と日証館ビルを合わせた場所に「渋沢事務所」とあり、写真右の「山加証券」のところが兜神社だ。
テナントが出している看板の文字を書き出しておく。「大成証券」「茜証券」「日本橋公証役場」「山文証券」「公社債新聞」「五場証券」「中原証券」。



日証館ビル1階の玄関ロビー。奥の窓の外は日本橋川。1986(昭和61)年9月7日


日証館ビル
1985(昭和60)年4月14日

左に建替え前の東証が写っていて、日証館ビルを半分隠している。日証館ビルの裏は日本橋川で、江戸橋と鎧橋の間になる。この辺りでは川幅が広がりカーブしている。道路が折れ曲がっているのは日本橋川に沿った道だからだ。
日本橋川の曲流は埋め立て前の海岸線であった名残りであるらしい。だとすると、自然地形がほとんどない東京下町、それも都心部でこういう道路が現れることはきわめて珍しいことだと思う。
ここがビジネス街になったのは、渋沢栄一が目をつけたからだ。1975年あたりまでは、ビジネス街といえば、丸の内、大手町に兜町だけであった。

清水建設/シミズの歴史/清水建設二百年作品集で清水建設が建設した建築・土木の竣工時の写真を見ることができる。そこの日証館ビルの写真は川の対岸から見たもの。キャプションは「東京株式取引所貸ビルディング、東京府東京市日本橋区、1928年10月、発注:東京株式取引所、設計:横河工務所」で、家主は東京株式取引所(現・東京証券取引所)だったと判る。

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コメント
 
 
 
ポスト2 (kzs)
2008-06-21 01:22:05
東証の脇のボスト。これはどこと関係があるのでしょう。
 
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