ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




奥宮薬局。千葉県野田市333。2006(平成18)年3月18日

流山街道(野田の商店街では本町通り)の千秋社(旧野田商誘銀行)の向かい側にある元商家。『時空散歩 野田散歩;醤油醸造の文化遺産を辿る』によれば「奥宮薬局」だった家。写真では塀で隠れてしまったが、ショーウンドーが造られている。
下の写真は奥宮薬局の隣―たぶん同じ敷地だと思う―に建つ、奥宮歯科医院の平屋の洋風の家。上の写真の右端に看板が立っているが、今はなくなっているので、閉院したと思われる。



奥宮歯科医院。2006(平成18)年3月18日

当ブログ前回で紹介した『野田の金融と商業』というサイトの「明治末期の野田町下町を描いた鳥瞰図」を見ると、奥宮薬局の位置に「野田人車鉄道株式会社本社」が描かれている。ただし、雲の中に描かれているので場所、あるいは時代が異なるということらしい。
本町通りには「野田人車鉄道」の軌道が敷かれていた。明治の昔は醤油の輸送はもっぱら江戸川の船運に頼っていた。江戸川まで運ぶのにトロッコがあれば輸送力が上がるだろうと、1900(明治33)年に営業が始まった。本町通りの場合は下町(しもちょう)交差点から愛宕神社前交差点の手前辺りまでらしく、明治期には本町通りの両側に醸造所や倉庫が存在していたということだ。奥宮薬局のすぐ南に千葉興業銀行があり、その横の道路は江戸川河岸までの人車鉄道の支線が敷かれた道である。

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