中将湯ビル。中央区日本橋3-4。1986(昭和61)年1月12日
八重洲通りと中央通りの交差点に立つ。壁面には事故防止用のネットが掛けられている。
中将湯は津村順天堂の商品と認識していたが、現在の社名は「ツムラ」。ツムラの「歴史」によると、1893(明治26)年、日本橋に創業。1952(昭和27)、中将湯ビル落成。1986(昭和61)年、千代田区二番町に本社社屋が完成。それまでは日本橋のビルが本社だったのだろ。
左:誠ビル。日本橋3-4。1986(昭和61)年1月19日
右:警眼社ビル。日本橋3-4。1986(昭和61)年1月12日
第一信用金庫のビルを挟んで古いビルが並んでいた。誠ビルは現在でも残っている。警眼社は戦前からの名称なので警備会社ということはないだろう。私立探偵社のような感じを受ける。
警眼社ビルの隣に「ヤエス松竹」の看板がある。ビルの地下にあった映画館で、撮影時は日活ポルノを2本立てで上映している。もっと以前は洋画の1本立てだった。昭和35年頃ここで見た「悪魔の発明」をもう一度みたい。
この八重洲通りに面してジャズ喫茶「ママ」があったのだが、どのビルだったのだろう。煙草売り場がある狭い入り口からすぐ階段を上った2階で、一度満席で地下へ回された時があった。ぼくがかよったのはコルトレーンが「至上の愛」を出した頃だ。
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ヤエス松竹の写真を探して辿り着きました。
最近、映画館が嘗てあった風景を探しています。
この写真をツイッターで使用させていただいてもよろしいでしょうか?
早速のご快諾ありがとうございます。
先程、あの界隈を歩いてきて同じアングルで写真を撮ってきました。
残念ながら左隣の「誠ビル」は取壊されていました。
後程、ツイッターで写真を使わせていただきます。
以下の様に掲載させていただきました。
https://twitter.com/takatsu_izumi/status/327330353201168384
ありがとうございました。
goo古地図の昭和22年航空写真と昭和38年航空写真では、同じ建物に見えます。日本橋3-6にはビルは1棟しか写っていないので、どの建物かわかると思います。その写っている建物が中将湯アパートメントなら、昭和40年頃にはまだ残っていたことになります。
仮定の話ばかりで申し訳ありませんが、手持ちの資料ではこんなところでしょうか。
ご回答をいただきておりながら、お礼とお返事が遅れて申し訳ありませんでした。やはりアパートはあったのですね。部屋番号は、確か『404』か『444』で、入る人が居なかったそうです。階からは、皇居も富士山も観えたようです。社長が、『Chujyoto Apartment, Nihon-bashi Gotori Sanchome』と、言っておりましたが、私は大阪生まれですので、東京のことはよく知りませんでした。十数年前にJALの機内雑誌に、津村順天堂の会社案内がありまして、日本橋という文字がありましたので、きっと社宅なのだろうかとも、思ったりもしました。今は、もう無いのですね。社長は、戦中1943年にアメリカに強制送還されて以来、日本を訪れること無く、2010年99歳で亡くなりました。銀座、高島屋、丸善という言葉を、よく聞きました。ありがとうございました。