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大門交差点。港区浜松町2-1。1989(平成1)年11月23日
第一京浜の大門交差点からJR浜松町駅の方を撮った写真。写っている2階建ての建物は取り壊されてしまっているが、そこに新しいビルが建ったわけではないので、現在の景観もあまり変わりがない。写真左手奥はいうまでもなく世界貿易センタービルで、その手前の2階建てのビルのところは空地だったが、いよいよ再開発の工事が始まったらしい。そこには29階建て、高さ156mのビルが建つ。それが完成した後、世界貿易センタービルも建てなおす計画で、2019年に解体する予定という。
世界貿易センタービルは1970(昭和45)年3月の竣工で、使用期間は解体時で約50年。この位の年数なら建て替えられるビルは普通にあるのかもしれないが、やはり驚いてしまう。霞が関ビルと共に日本の高度成長の象徴のようなビルといえると思う。建て替わってしまうと、「世界貿易センタービルの跡地に建った」と過去が語られるのだろう。そうなる前に、世界貿易センタービルが建つ以前はどうだったかここに書き残しておこう。とはいってもネットによる情報だけなので、よくは判らないのだが。
『世界貿易センタービルディング>企業情報>エリア紹介』には「終戦後も一面焼け野原と化した浜松町駅周辺にただひとつ残されていた都電車庫が、復興に伴って賑わいを見せていました」とあるから都電車庫だったわけだ。「車庫が賑わいを見せる」というのが分からないが、車庫の周辺が、ということなのだろう。
『東京今昔街角散歩』(Jtbパブリッシング、2012年)の昭和5年の地図には「昭和通」(第一京浜)から「車庫」へ、引き込み線が描かれている。そこで昭和22年の航空写真を見ると、引き込み線は確認できず、車庫に電車も写っていないようだ。その時点では車庫ではなくなっていたのだろうか? また、ネット検索すると「東京市電気局浜松町工場」(電気局は今の交通局に当たる)というのが出てくる。『大林組70年略史』には、1919(大正8)年8月、「東京市電気局浜松町工場塗工場他」が竣工したという記載がある。たぶん、市電の車両工場があって、関東大震災後それが芝浦にあった支所に移転し、芝浦工場に発展した。浜松町の跡地は車庫にしたのかと推定できる。現在は東京都交通局大門庁舎がある。
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東電サービスステーション。浜松町2-3。1990(平成2)年
1枚目写真の世界貿易センタービルの手前に写っている建物。1969年の地図に「東京電力サービスステーション」となっている。1958年の区分地図に「東電芝出張所」とあるのも同じ建物だろう。昭和22年と38年の航空写真に写っているから戦前の建物らしい。陸屋根であり、RC造だったので空襲で周りは焼けてもなんとか残ったのかもしれない。
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1995年の学生当時、貿易センター内でアルバイトしていました。そのころはまだ今のような高層マンションも少なく、また汐留の開発もまだでしたので、WTCビルもまだまだネームバリューもあったと思います。夜には貿易センターの展望台からは開発前の汐留に薄暗い大きな空間が見えていたことが思い出されます。いまとなっては近くに高層マンションもあったり、虎の門や愛宕の森ビルもあったり、と若干影が薄くなっているように感じます。
さてこの交差点ですが、大門駅の建て替えしていましたね。
貿易センターがThinkParkを大崎で開発していた当時、私も別件ですが大崎に仕事に行っており、とうとう浜松町のWTCも先が見えてきたのかな~と感じていました。
1969年の住宅地図では、第一京浜国道の浜松町1丁目交差点で間違いなさそうです。そうだとすれば、写っている建物の住所は「港区東新橋2丁目12番地」です。
1969年の地図によると、写真の右から「弘和電機KK(株式会社)」「丸善石油新橋給油所」「朝日陸運KK」「宇田川つり掘」「光?堂カメラ」「昭和電機KK」。球形の広告塔は「東京蓄電池工業KK」でしょうか?
現物の写真で、写っている文字が読み取れるかもしれませんね。